お邪魔虫
輝理の婚約者である巳喜八郎が、面白くない気持ちでいるのを、影臣は重々承知していた。
しかし、一分も譲る気はない。
三人で、汽車に乗っている。
誘ったのは、巳喜八郎である。生家は、梨の収穫期を迎えて忙しいのに、このため、一日予定を空けたのだ。主の輝理に、断る理由はない。
恐らくは、備である弟の次春から協力を得て、輝理の予定を押さえた上で、日を決めたのである。
ぎりぎりまで誘いを伏せたのは、影臣を巻くため、と容易に推測がついた。
現に、輝理からは、何の連絡もなかった。
駅で影臣の姿を見出した巳喜八郎の驚きぶりは、笑いたくなるほどであった。
「ど、どうして」
「道中の警護を手抜いたな。帰りは務めてもらうぞ」
「承知しました」
輝理が当然のように話しかけるのを見て、てっきり繋ぎを取られた、と合点したようだ。
真相は、違う。
藤野家の奉公人に、影臣の手の者を紛れ込ませてある。先の代、備による当主襲撃が出来する以前からの慣習であった。伯父の影治が、変事の兆候を察知し、敵方の動きを誘導したのも、彼らの協力によるものだ。
当時の人は、ほとんど残っていない。手の内がばれないよう、敵方の奉公人が馘首になった時、共に辞めた者もいた。
向坂家出自の配下ほどには繋がりがない代わり、一人一人に負わせる仕事も軽い。
故に、あまり信を置かぬように、と伯父から忠告されたが、澪の件を考えれば、最終的に信頼できるのは、己と主である、と影臣は思うのであった。
幸いにも今、藤野家に潜る者は、折に触れて必要な知らせを影臣まで届けてくれる。
それで、本日の逢引きを知ることができたのだ。
藤野家一族は、誰もこの関係を知らない。予定を告げなかった輝理が、影臣の到着を不思議に思わないのは、守護人のお供を当たり前としているだけである。
ともかくも、影臣は汽車に間に合って、三人で外出となった。
実のところ、婚約者と二人きりで外出したところで、世間的に問題はない。
外見上、婚約者同士に見えないとしても、年齢的には姉弟に見える。やはり、問題は生じない。
仮に、巳喜八郎が体の関係を迫ったところで、輝理は、きっぱり断れる質である。嫌ならば。
影臣としては、祝言を挙げるまで、男を輝理に触れさせたくない。まして、巳喜八郎は若い盛りである。この先、寮に入ったとて安心できない。
影臣自身、寮の先輩に無理矢理、遊郭へ連れ出されたことがある。その気になれば、女と遊ぶことも出来る。
婚約を盾に体の関係を結んでおいて、他の娘を孕ませたから、そちらの責任を取る、と破談になった例を知っている。
輝理に、そのような憂き目を見せるわけにはいかない。
とは建前で、本音は巳喜八郎と二人きりで遠出させるのが、嫌なだけだ。影臣も、自覚はある。
婚約者も、その心を本能的に察しているように思われた。
当の輝理は、男同士の間に散らされる火花を知らぬ気に、車窓から外を眺めていた。
「この辺り、大分、家が増えたな」
「開墾した農場が、順調なようです」
巳喜八郎が、勢い込んで説明した。
とある元勲が、払い下げの土地を買取り、移住者を募って農地を増やしていた。昔は木に覆われた山道であったものが、開墾により、帝都から続く広い平野の一部と化した。
広い農地を突っ切るように、鉄路が伸びているのである。
影臣を牽制した割には、巳喜八郎は口数少なかった。婚約者と初めての遠出に、緊張したものか。
一緒になって車窓から外を眺めるうち、汽車は順調に進んで、目的の駅に到着した。
駅舎前には、人力車が並んで客を待っている。
主と巳喜八郎は、乗る素振りも見せず、通りへ向かって歩き出した。
影臣は、後ろからついていく。汽車の中でも、少し離れた座席にいた。その程度の遠慮はする。
輝理が後継を産まねばならないことは、影臣とて承知している。婚姻後まで邪魔立てする気は、毛頭なかった。
巳喜八郎が、輝理の望む時期まで身を慎むならば、学歴はともかくとして、まずまず良い婿がねと言える。
これが年上の男なら、まず式を挙げるだろうし、式を挙げれば、夫婦生活を拒むのも難しい。
それに、相手が輝理でないならば、師範学校出は申し分ない学歴なのである。例えば妹の頼にその縁談が持ち込まれたら、父の桂明も喜んで嫁に出す。
主の夫になる人物には、どれほど高く望んでも足りないように、影臣には思われるのであった。
守護人の思いをよそに、主と婚約者の距離は、順調に縮まりつつある。
「この辺りは、賑やかだな」
「神社の格が戻りましてから、ますます栄えるようになりました」
広い通りの両側に、店が立ち並ぶ。大きな建物は、旅館である。前にお抱えの人力車が並んでいる。
小さいながら旅館の看板を掲げた家屋は、いくつも見られた。昔ながらの和風建築の他に、外壁にモルタルを塗った洋風の建物もある。
蕎麦屋などの食事処も通り過ぎ、話に出た神社まで歩き着いた。見上げるほどの階段が、上へ伸びている。
なかなかの急坂である。
「どうぞ」
巳喜八郎が差し出す手に、輝理は躊躇いもなく手を預けた。彼が得意気に影臣を振り返ったので、余裕を見せて微笑み返してやった。
登りきった先に鎮座する社殿は、戊辰の頃に戦火で焼け落ち、再建されたものである。
はや二十年ばかり経つが、手入れが行き届いているのか、まだ新築のように見えた。
「縁結びの神様が、祀られているのですよ」
「私たちは、すでに婚約しているではないか」
「お願いして損はないでしょう」
階段を登る間中、輝理の手を握ることに成功した巳喜八郎は、はしゃいでいた。
参拝の後、輝理と巳喜八郎がおみくじを引いた。影臣は遠慮した。
「中吉だ。概ね、精進せよ、とのことだな」
「僕は吉です。恋愛が、叶うとあります。嬉しいです」
と、また影臣をちらりと見る。学問を気にして欲しい、と影臣は思ったが、口には出さない。師範学校への進学は、まだ予定に過ぎないのである。
私塾にも通う次春ほどではないものの、成績は良い、と聞いてはいた。輝晃の教導があるにせよ、独力でそこまで到達したのだ。進学を見込める程度の能力はあるのだろう。
その後、駅へ引き返す途中で、あちらこちらの菓子屋へ寄って羊羹や餅菓子を買い求め、他にも呉服屋を冷やかしたり、人形屋を眺めたりしながら、食事処を探す。駅前まで来て、気楽な食堂で昼食にした。
昼時を少々過ぎていた。客はまばらで、運よく小上がりに通された。相席でもない。
「手水に行ってくる」
丼を食べ終えると、輝理が席を立った。厠は、店の奥に設えてあった。影臣は、視界の端に、出入口を捉えておく。
「輝理さんは、渡しませんよ」
麦茶を飲む影臣に、巳喜八郎が言ってきた。思いの外、真剣な顔つきである。影臣は、そっと湯呑みを置いた。
「私は守護人に過ぎません。婚約者はあなたです」
「わかっています。でも、不安なんです。今日だって、二人きりと思ったのに」
言い淀む。彼は若く、正直に過ぎた。そこがまた、良いところでもあった。
輝理が気に入るのも頷ける。影臣もまた、正面から向き合ってやりたい衝動に駆られた。
しかし、この真面目な若者に対して、己の心を全て曝け出したところで、理解を得られないことも、承知していた。
「私はいずれ、隠退せねばなりません。その後、長きにわたって、ご当代様のお側に居られるのは、巳喜八郎君だけです」
影臣の口調から何かを感じ取ったのか、巳喜八郎の顔つきが変化した。
「どうか、その時には、ご当代様を、よろしくお願いします。そして、ご当代様が安心して教職を勤め上げられるよう、あなたには、婚礼まで身を慎んで勉学に励まれるよう、お願いします」
「はい」
巳喜八郎は、大人しく返事をした。影臣は、呑み込んだ言葉を思い、やや後ろめたく感じる。
「青柳さん」
「何でしょう」
「僕、七つも年下ですので、敬語抜きで構いません。巳喜と呼び捨ててくださって、結構です」
「わかった。しかし、ご当代様の婚約者を呼び捨てには致しかねる。巳喜君でどうだろうか」
「はい。それから、青柳さんを、兄と呼んでもいいですか」
「え」
輝理を渡さない、と先ほどまで宣っていた若者の掌返しとも言うべき態度に、影臣は困惑する。
「おや。短い間に、随分と仲良くなったものだ」
輝理が戻ってきた。紅を引き直して艶やかである。
「良いではないか。臣兄とでも呼んで貰えば」
「ありがとうございます」
影臣が返事をする前に、話が決まってしまった。影臣としては、輝理が許すならどちらでも良かった。
その後、各々進路が決まってから、巳喜八郎から写真を求められた輝理は、帝都の写真舗で撮影した物を、送ってやった。主は高等師範学校を卒業後、東北へ赴任する。
流石に遠い。これまでのように帰省もできない。寮暮らしの身に、日々の慰めを、と請われたのである。
それは良いのだが、ついでだから、と影臣と清可も写真を撮らされ、互いに交換させられた。影臣もまた東北へ転職を決め、婚約者の清可は帝都に残って教職を続けるのだ。
偽装婚約もそのままである。輝理には、偽装と明言する機会を逸していた。
「私も、輝理さんの写真が欲しいのだが、一枚貰えまいか」
清可が図々しく強請るのを、影臣は羨ましく聞いていた。疚しい気持ちがあるだけに、素直に写真が欲しいと言えない。
「あら。清可さんが私の写真など持って、どうなさるの」
「影臣様と並べて、飾って拝むよ」
「まあ」
輝理は笑って、清可のために、焼き増しした。
清可がしてやったり、と影臣を見た。彼女の質からすると、影臣と並べるのは周囲を謀る為で、輝理を飽かず眺めるのが本命であろう。
しかし、写真とはいえ、己が主と並んで飾られることを想像すると、影臣は少しばかり愉快な心持ちとなった。




