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輝理と影臣  作者: 在江
第二章
18/30

偽装の犠牲

 (みお)の取り乱しようは、尋常(じんじょう)ではなかった。


 輝理が鈴木巳喜八郎(すずきみきはちろう)と婚約を結んだ時の、己との違いに驚き、影臣は清可(きよか)に制圧を先越されてしまった。


 清可は、鎮静剤まで用意させていた。周到(しゅうとう)である。

 しかし、駆けつけた輝理に暴言を浴びせるのを防ぐには、間に合わなかった。


 「私が文を()()()()()のに」


 確かに、澪は、そう言った。


 澪がしたことは、許せるものではない。

 同時に影臣は、(あるじ)が己を(うと)んじた訳ではないと知り、少しばかり嬉しくも思ったのである。

 それなのに。


 「申し訳ない。思慮(しりょ)が足りなかった」


 輝理が、澪を(かば)うような言動をするのが、()せなかった。


 たまたま澪が手紙を(かす)めたのが先で、やはり己を遠ざけたかったのか。初めは外出に誘うなど、勉学の(さまた)げになるとして、後には、婚約者のいる身となり、男の守護人は不要と判断したからか。



 影臣は、主とのやり取りの後、悶々(もんもん)とする心のうちを、僅かではあるが、清可に漏らさずにはいられなかった。


 「違うだろう」


 黙って聞き入っていた清可は、即答した。片手にグラス、他方に大黒様ラベルの酒瓶(さかびん)を抱えている。煙草(たばこ)がないのは、影臣に遠慮したらしい。


 昼間と打って変わり、浴衣に角帯(かくおび)を貝の口に結び、歌舞伎(かぶき)の二枚目役者風に仕上がっていた。


 二人で客室にあった。酒もグラスも影臣に用意されたものだが、やってきた清可が開封した。

 琥珀(こはく)色の液体だった。日本酒ともビールとも異なる、甘い芳醇(ほうじゅん)な香りが(ただよ)う。


 「ご当代様の責任感だな。現に、私たちは、澪に学校を辞めさせたい、と思っている」


 日本酒よりも強い酒なのか、普段と違い、ちびちびと含むように飲む。


 「輝理さんの意を()んで、休学に留めてやるか」



 目覚めた澪から、手紙の隠匿(いんとく)を白状させていた。事前に、人払いをした上のことである。


 「大変、申し訳ございませんでした。影臣様を、お慕いするあまり、身をわきまえない事を致しました。二度と致しませんから、どうか、お許しください」


 涙を流して訴える澪の姿は、哀れを誘った。

 しかしながら影臣に、彼女を許すつもりは毛頭(もうとう)なかった。理由を(かんが)みれば、再び似たような罪を犯す恐れは、十分にあった。


 清可はその場で澪に、次年度までの休学を承知させた。玄丈(げんじょう)と地元方面には、もはや事後報告である。

 その報告の際、清可は澪を守護人の配下から外す話も、併せてしたのである。もちろん、事前に影臣の了承は得ていた。これには、一つ条件が付いていた。


 澪には、配下から外した事実を知らせない。


 元々、高等師範学校を卒業した後は、側仕(そばづか)えが難しいと見られていた。教師の配属は国が決める。藤野家にも青柳家にも、国の人事に口を出せるほどの力はない。

 また、政策的にも、女性二人を揃って同じ学校へ赴任させることは、考えられなかった。


 そして、輝理に残っている在学期間を澪が休学で過ごすならば、配下の仕事は実質的にここで終了となる。


 それでも()えて外したのは、影臣の意向(いこう)でもあり、澪に対する罰でもある。

 罰を当人に知らせないのは矛盾(むじゅん)するが、影臣の婚約を聞いた時の反応から考えれば、騒ぎを抑えるためには致し方ない措置であった。


 婚約と言えば、澪は二人の関係について、かなりのところまで半信半疑だった。


 「この度の姉とのご婚約は、偽装ですわよね」


 勘が鋭い、というよりは願望であろう。予想のついた事でもあり、影臣は、全く動揺しなかった。


 「失礼な。これでも遠慮しているのに。ねえ、(おみ)様」


 清可が体に手を回し、接吻(せっぷん)をねだるように、顔を上向ける。口元に笑みを浮かべているが、目は笑っていない。背中側にある指が、影臣を軽くつねった。

 存外に、痛い。彼女の意図は、その前から察していた。


 「う。こらこら。人前で恥ずかしいじゃないか、清可」


 影臣も微笑みつつ、清可の(ほほ)(てのひら)(おお)い、音を立てて(ひたい)へ口付けた。

 触れるか触れないかの距離にある掌に鳥肌を感じ、内心で苦笑する。歯が浮くとは、このことであった。


 「あっ」


 澪が短い悲鳴を上げた。見れば、青い顔をしている。

 これは効いた。澪にとっては、休学よりも重い罰であろう。内心に留めてはいるものの、同様の罪を抱える影臣には、その重みがよくわかった。

 そしていずれ、己も同じ罰を喰らうことを知っていた。


 「おや。まだ体が慣れないようだ。横になるといい」


 妹に与えた効果を見取り、素早く身を引いた清可が、強引に澪の上体を横たえた。

 澪は、(ぼう)と宙を見たままだった。


 こうして澪は配下から外れ、清可は澪の休学手続きや寮引き上げのため、帝都へ戻ることになった。


 「打合せの時点で、ここまで読んでいたのか」


 影臣は、清可から酒瓶を取り上げて、棚へ戻す。まだグラスに酒が残っていた。


 「全体の流れは、事前に説明した通り。進行が早まっただけだ。お陰で、余分な薬を使わずに済んだ。互いのために、良かったと言うべきだろう」


 「そうか」


 詳しくは、聞かなかった。青柳家に秘伝の薬があるように、向坂家にも秘伝の薬があるに違いない。

 例えば、寝たきりにするような。


 「これで、輝理さんの帰郷に付き添えるのは、臣しかいなくなった。ちょうど、休暇も取ったと言っていたな」


 「この機会に、改めて婚約や澪の件を説明して回る。外向けに、ある程度の形も整えなければならない」


 「臣。輝理さんから、()()()よ」


 清可の顔は、あくまでも真面目である。素面(しらふ)にしか見えない。


 「何を。俺は、そんなことはしない」


 戸惑う影臣を前に、清可が残った酒を一気に(あお)った。


 「そうか。なら、いい」


 次いで体のあちこちを探り、諦めて席を立った。


 「どうも、煙草がないと、落ち着かん」


 「あれも、阿片(アヘン)のように、中毒性がある。呑みすぎるな」


 阿片は、隣の大国であった清が、凋落(ちょうらく)する一因を作った薬である。日本も欧米に負けじと、機に乗じて版図(はんと)を拡大しつつあった。


 「キセルと紙巻きで、そんなに違うものか。御一新前と変わらないよ」


 清可は明るく言い残して、部屋を出た。


 「キセルで呑んでも中毒になる、という意味で言ったのだが」


 影臣が呟いたのは、扉が閉まった後であった。



 主から避けられている気がする。


 澪との一件から、影臣は輝理と、何となしに気まずい雰囲気であった。

 そんな中、帰郷のため、伏せっている澪の代わりに、供をすることになった。


 主と共にいることは、守護人の喜びである。とはいえ、二人きりの旅で、終日を沈黙のうちに、汽車へ閉じ込められるのは、神経に堪えることだった。

 移動の慌ただしさに(まぎ)れ、澪の休学と、配下から外すことを伝え損ねていた。


 「交換しないか。賄いではなく、私が握った物だが」


 気付けば輝理が、握り飯を差し出していた。やや小ぶりの山が三つ並ぶ。影臣の耳に、主の言葉が反響する。


 『私が握った』


 輝理の手になる飯である。是非とも、口にしてみたい。


 「久しぶりに、食べてみたい」


 続く主の言に、弁当を交換した昔を思い出した。

 輝理の叔父、継尚(つぎなお)が、当時の藤野家当主だった輝晃(てるあきら)を襲った事件である。

 襲撃の日、輝理の弁当には、毒が仕込まれていた。作ったのは、継尚側に抱き込まれた奉公人である。見張りの目を盗んで影臣が弁当をすり替えたことにより、輝理が毒を口にせず済んだのだった。


 「思い出されたのですか」


 輝理は、当時の記憶を失っていた。しっかりして見えたが、八歳かそこいらである。受けた衝撃は大きかったろう。


 聞いてみると、一部を思い出したに過ぎなかった。それも、事件にあまり関わりのない部分である。

 ただそこに、己の姿があることを知って、影臣は密かに満足を覚えた。


 輝理の手になる物を口にするのは、初めてである。

 単なる握り飯が、ひと噛みごとに味わい深く、極上の品に感じられた。


 一方で、影臣の握った飯は、輝理には大き過ぎるようであった。中の一つを、半分に割って戻された。残りは食べてもらえたが、頬に飯粒が残った。


 以前に影臣の握り飯を食わせた時も、同様のことがあった、と思い出す。


 「失礼します」


 飯粒を取り去り、己の口へ入れた。

 頬の感触は、子供のそれには及ばぬものの、女人らしく柔らかく感じられた。


 輝理が恥ずかしがって頬を染めるのを、幼時の記憶と重ね可愛らしいと見惚(みほ)れた影臣は、そこで己の任務を思い出した。


 澪が罪を認めたことと、それに対する処置を聞かされた輝理は、特段の感想も述べなかった。状況からして止むを得ない次第であり、今更反対しても(くつがえ)らないことを、承知していた。


 これまでのやり取りの間に、気まずさが、すっかり解消していた。


 汽車の旅は、長い。

 輝理は、緊張が解けたせいか、寝入ってしまった。

 それもまた信頼の証であるように思われて、影臣は嬉しく寝顔を見守った。

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