表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輝理と影臣  作者: 在江
第二章
17/30

婚約の裏側

 夏期休業に、輝理が向坂(こうさか)家の別荘へ招待されたのは、影臣が勤めにより長く休めないためもあったが、清可(きよか)采配(さいはい)でもあった。


 偽装婚約に向けて、いよいよ工作を始める魂胆(こんたん)である。


 影臣から持ちかけた話ではあったが、その後の動きは(にぶ)かった。

 会社の顧問から話が流れたのか、直属の上司からの縁談攻勢が、ぴたり沙汰止(さたや)みとなったからである。


 その代わり、交際相手とはいつ婚約するのか、と問われることが増えた。

 相手も職業婦人で多忙ゆえ、と適当にお茶を濁していたものの、徐々に煩わしくなるのは先の縁談と同様である。


 これで婚約を交わしたら、次はいつ結婚するのか、結婚したら、次はいつ子が生まれるのか、子が生まれたら、次の子はいつになるのか、と延々問いは続くのであろう。


 (あるじ)の輝理が、ひとまず婚約だけでも、と結んだ理由が、腹に落ちた。

 断れない縁談を強いられるよりは、問いを浴びせられる方がましである。影臣も、大分諦めがついてきた。


 輝理へは、変わらず折りに触れて文を書き送っていた。返事は(みお)からしか来ない。

 偽装婚約の許可を、事前に得ておきたかった。

 しかし、影臣に恋慕の情を抱くらしい澪の目に触れると思うと、直截(ちょくせつ)には書けない。遠回しな(ほの)めかしになってしまう。


 「夫婦が互いに子を望まない婚姻なら、認めていただける組み合わせもあろうかと存じます」


 書いてみたが、唐突に過ぎる。続きも思いつかない。影臣は、びりびりと破いて(くず)にする。


 これまでにも、己の文が澪に見られることは、想定していた。


 輝理の予定を把握し、どのように守護するか、あるいは、どのように対応したか、影臣よりも澪の方が、事情に通じている。役目については、主を通すよりも、守護人とその配下の間で直接やりとりした方が早い。


 当然、影臣は、輝理と澪、それぞれに分けて手紙を書いていた。しかして、返信は澪のみからで、それも輝理に書き送った内容にも触れている。


 二人とも、寮暮らしである。

 影臣も、学生時代に寮生活を経験している。郵便物は、各自で取りに行く決まりであったが、朋友がついでに持って来てくれた事も、確かにあった。

 輝理としては、読んだ印に返事を送るのが面倒で、どうせ文をやる澪に、ついでに書いてもらおうとしたのだ、と思い込んでいた。


 まさか、目に触れてもいない可能性があるとまでは、考えなかった。

 恋情に駆られた澪が、寮の仕組みを利用して影臣の文を独り占めにしたものか、輝理が守護人からの手紙など取るに足らぬ、と打ち捨てたものか。


 せめて前者であって欲しい、との思いもまた、思い込みかもしれない。


 いずれにせよ、主を側で守る絶好の位置に居る澪を、役目から外す決断は下せなかった。

 代わりは、いない。



 学校が夏期休業に入って、しばらく過ぎた。


 「コンヤク トトノウ モトム ウチアワセ」


 職場へ、清可が電報を打ってきた。日時指定の場所は、別荘の近くである。


 「いやあ、遂に、青柳君も婚約か。色々忙しいだろうから、ついでに休暇を取ればいい」


 上司がにこにこと肩を叩く。

 受取人の影臣より先に、会社中が電報の内容を知っていた。顧問からは、祝儀まで貰った。


 打合せは、会社の休日に設定されている。休暇のことはひとまず置いて、影臣は指定の店まで行ってみた。


 鉄路(てつろ)が伸び、別荘地付近まで汽車で行けるようになったのは、便利であった。


 店は、向坂家の別荘がある地から、やや離れた城下町にあった。


 汽車を降り、駅から人力車を雇う。

 今や懐古の情を呼び起こす、立派な和風建築からなる座敷には、既に清可が待っていた。


 卓上には、ビールの空瓶と(あじ)の骨が載っている。和食である。

 影臣と併せて酒と食事の注文を済ませると、清可が煙草に火をつけた。今日は天狗印の箱だ。


 「兄様から許可を得た」


 「ご当代様は」


 「無論だ。(おみ)からも連絡したと聞いたが、兄様の方でも、青柳家と藤野家から許可を貰っている。父からも。ただし、帝都にある間、という縛りをかけられた」


 「構わん。地元では、必要ないだろう」


 向坂家を含む三家の特別なつながりは、細部はともかく、地元民に周知のことである。

 影臣と清可が婚約披露などすれば、(かえ)って詮索(せんさく)が激しくなる。


 「そうだな。澪の件がなければ、私もそれで良いのだが」


 と、主の顔を避けて煙を吐く。酒だけ先にやってきた。口に煙草を(くわ)えた清可が、二人分を猪口(ちょこ)に注ぐ。


 「臣。輝理さんは、お前が文を出していることを、知らなかったぞ。待て。とりあえず、飲め」


 顔色が変わったらしい。猪口を唇へ押し当てられた。アルコールのひんやりした感触が、喉を滑り落ちる。一瞬だけ、頭が冷えた。


 「澪が、隠したということか。いつから」


 「恐らくは、寮へ入って直ぐではないか。輝理さんも、はっきりと認めなかった。長年に亘る話だ。お前から文のないことが当たり前に過ぎて、理解できなかったかもしれん」


 身の内から、熱が()り上がる。思い返せば、入寮したての頃、確かに輝理は返信を寄越(よこ)していた。

 それがなくなった頃からとすれば、実に五年以上もの間、主との往信が途絶えていたことになる。影臣は、気付かなかった己の迂闊(うかつ)さを悔いた。


 「女子寮だからな。臣が気付くのは無理だろう。輝理さんも呑気(のんき)なことだ」


 「輝理様は、悪くない」


 清可は、酒を注いだ。


 「わかった。まずは澪が悪い。妹が迷惑をかけて済まなかった。飲んでくれ」


 影臣は、勧められた杯を(あお)った。空き腹に、酒が()みる。


 「澪を、配下から外したい」


 「だろうな。だが、難しい。高等師範を、ただ辞めさせる訳には、いかない」


 官立師範学校には、国から様々な支援が入っている。だからこそ、卒業後の奉職義務(ほうしょくぎむ)も課されているのである。


 「なあ、臣。どの道、あと一年だ。奉職先まで同じにはならん。敢えて外さずとも、自然と距離を置かせることはできる」


 「それまで知らぬ顔をしろ、とでも言うのか。妹だからと」


 「影臣様」


 清可は、まだ長い煙草を揉み消した。


 「私も澪も、望んであなたにお仕えしておりますが、家族としては、違います。父も、兄様も、私も、妹を守護人の配下に付けるより、とっとと何処へでも縁付けたかった」


 料理が運ばれて来た。綺麗に並べて載せられた盆ごと、卓へ置く。

 店員が去るまで、共に口を利かなかった。


 「済まない。言い過ぎた。日頃、付き合ってもらうことにも、感謝している」


 清可が(はし)を取る。


 「こちらこそ。臣に仕えるから、生涯独り身で暮らして怪しまれない職にも就けたし、輝理さんの近くに居られたからな。私はお前に感謝しかない。妹のことは別だ。まず、食べよう」


 若干(じゃっかん)聞き捨てならない言葉が耳に入ったが、影臣も食事を始めることにする。和定食は、天ぷらも刺身もついて、目にも楽しい豪華な品であった。


 「学校を辞めさせる方策より以前に、まず配下として失態があった、という口実が必要だ。輝理さんが気付いていないなら、証拠を押さえるのも難しい。本人が素直に認めるとは思えないからな」


 ひとしきり食べた後、清可が話を元へ戻す。影臣は、黙って聞き手に回った。


 「だから、まず私たちが婚約して見せて、様子を(うかが)う。澪が婚約する気になったら、臣への執着が薄れて、文を渡すかもしれない。寮内に護衛は、いた方がいいだろう」


 「同時に、輝理さんにも働きかけて、文を隠した証拠を得る。澪が反省すれば良し。しなければ、その時は、輝理さんと距離を置けるよう手を打とう」


 「どうやって」


 大方食べ終えた影臣は尋ねた。清可は落ち着いて答える。


 「食べる間に思い出したんだが、休学制度がある筈だ。いきなり退学は無理でも、病気などを理由に一時的に通学を止めることはできる。何なら輝理さんが卒業してから、戻せばいい」


 「従うだろうか」


 影臣にしてみれば、輝理宛の手紙を隠匿(いんとく)したことが既に、主への叛逆(はんぎゃく)である。

 既に罪を犯した人間が、その罪すら認めないのに、己の意に反する指示に従うとは、思えない。


 「従わせるさ」


 清可もまた、食事を終え、新たな煙草に火を点けた。


 「うちは医者だからな。いくらでも、やりようはある。向坂家の名誉にかけて、この度の不始末のけりは、つける」


 ふうっと吐き出した煙の向こうで、清可の目が光った。



 清可と別れた後、婚約にかかる手続きの名目で、会社に休暇申請の電報を打った。向こうで予想していたのか、思ったより早く許可が出た。

 表向きはめでたい限り。内実は、随分と食い違っていることである。


 その日は、食堂の近くに宿を取り、翌日、別荘へ出立した。

 仮初(かりそめ)ではあるが、澪の手前もあり、身なりを整えた。手土産も用意した。


 出迎えたのは、(あるじ)の輝理であった。

 久々の対面が、他の女との婚約を願い出る日と重なったのは、皮肉であった。影臣は、己の恋情を改めて自覚した。

 口に出さないのは当然であるが、その上に悟られてもいけない。後ろめたさで、主の顔をまともに見られない。


 「影臣様」


 こちらを見る澪の顔を見て、理解した。己の胸にある感情と同じものを、この配下も内に抱いていた。

 決して叶うことのない想い。鏡を見るような心持ちであった。

 一瞬、澪が輝理に対してしでかしたことを忘れ、憐憫(れんびん)の情が起こった。


 「兄が待ち申しております」


 清可が呼んだ。既に、玄丈(げんじょう)との打ち合わせは済んでいる筈であった。

 澪が、この場に立ち会ったのも、清可の誘導である。


 「では、ご挨拶(あいさつ)(うかが)います」


 思い切って、主の顔を見た。途端に、引き返したくなった。

 清可とは何の情も交わしていない、ただの方便(ほうべん)です、と説明したかった。どの程度まで輝理が知っているか、影臣は聞きそびれていた。

 澪の気配で我に返る。伸ばされた腕を、さりげなく避ける形で、影臣は(きびす)を返した。


 「影臣様、私も」


 思惑通り、付いてくる。

 主の方は、動かなかった。


 清可は、輝理が立ち会っても構わない、と言ったが、影臣は、嘘でも他の女を()うところを、見られたくなかった。

 だから、安堵した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ