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輝理と影臣  作者: 在江
第二章
14/30

夜半の影

 はっ、とした。


 寝落ちしていた。

 慌てて辺りを見回す。異変はない。


 動悸(どうき)を抑えて耳を澄ますと、先と変わらぬ寝息が三つ、確かに聞こえた。

 藤野家の親子は無事である。ほっ、と息をつく。


 その息を吐ききらないうちに、雨戸の向こうで、(かす)かな気配を感じた。

 息を詰める間に、(すで)に、道場の方へ遠ざかっている。


 ここを離れて良いものか。影臣は迷う。


 出入りの音がした。道場の辺りだ。一方で、影臣のいる辺りには、人の近づく気配はない。


 木刀を(つか)んで立ち上がった。(ふところ)には、小刀を忍ばせてある。これを出すのは相手次第である。

 できれば使いたくなかった。だが、いざという時に躊躇(ためら)っても、いけない。

 片手で、そっと在処(ありか)を確かめた。


 足音を忍ばせて、道場へ向かう。引き戸の向こうに人の気配がする。

 複数である。


 経四郎(けいしろう)を呼ぶべきであった。今からでは、遅い。


 灯りが点いた。

 暗闇に潜む影臣は、戸の隙間から漏れる微かな光で、辺りを見ることができた。己の周囲に敵はなく、全員が道場の中にいる、と知れた。


 不意打ちなら、勝てるかもしれない。勝つのは無理でも、騒ぎ立てて、藤野家の三人が逃げる隙を作れれば良い。

 影臣は、頭の中で算段(さんだん)をつけ、同時に移動を始めた。


 灯りは手燭(てしょく)程度である。その(ほの)かな光が、密やかな気配と共に、徐々に近付く。

 影臣は、敵の気配をかたどろうと、集中した。


 戸が、開いた。

 影臣は、無言で思い切り木刀を突き出した。



 突きは、空振りだった。


 目を光で射られたかと思うと、体術で床へ伏せられた。

 懐から小刀が飛び出たのを、軽く蹴られて向こうへやられる。


 ひと思いには、殺されなかった。何の目的だ。藤野家の後継に、決まっている。


 終わった。


 影臣は、せめて最期に暴れようとしたが、びくとも動けなかった。木刀は、既に手から離れていた。


 「殺気を漏らすな馬鹿者。丸見えと変わらん」


 灯りが引いた。


 「そう、叱るな。一撃は、良かったぞ」


 藤野輝晃(てるあきら)が、手燭(てしょく)を持って立っていた。


 影臣を押さえるのは、その守護人、伯父の影治(かげはる)である。影臣は、一気に力が抜けた。

 抵抗を止めた途端に、伯父の手が、体から離れた。


 「ちょうど良い。これから風呂を追い焚()きする。俺の部屋へ行って手拭いと、ご当代様の着替えを見繕(みつくろ)え。足袋(たび)も忘れるな。釜に、湯が残っているだろう」


 影臣が起き上がる間に、輝晃が手燭を増やし、小刀と共に渡してくれた。


 「世話をかける」


 藤野家当主の柔らかな声音に、安堵感を覚える。


 「いいえ。こちらこそ‥‥」


 影臣は、言いさして目を(みは)った。


 着物が、(ひど)く汚れていた。ゆらめく蝋燭(ろうそく)の灯りに照らし出された茶色の濃淡が、泥ばかりではないことを、影臣は経験から見てとった。

 ここ(しばら)く、秋の入口らしい上天気が続いていた。ぬかるむ道など見当たらない。


 伯父を見る。(あるじ)よりも、酷い汚れようであった。着物ばかりか、顔まで飛沫(しぶき)がかかっている。

 そして重要なことに、二人とも、怪我を負った様子はなかった。


 「急げ。木刀は、もう要らん」


 動きが止まっていたらしい。

 影治が、低く()かした。普段なら厳禁であったが、何かしら問わずには、いられなかった。


 「不要ですか」


 「心配ない」


 輝晃の優しい声音と微笑みが、どういう訳か、今度は恐ろしく感じられた。



 伯母の三智(みち)とその主である藤野継尚(つぎなお)、そして向坂家の(めい)士朗(しろう)の死体が見つかったのは、翌日のことである。


 検視は全て向坂玄哲(げんてつ)が担当したらしい。

 漢方も蘭学(らんがく)も修めた玄哲は、御一新(ごいっしん)後になると、奉行所に代わって発足した警察から頼られるようになった。


 さぞかし、警察にも顔が効いたことであろう。影臣は、皮肉にも、そんな風に考えて、自ら恥じた。


 弟妹の解剖をするだけでも辛いことである。その上、もしかしたら死因を誤魔化(ごまか)さねばならなかったとすれば、影治か輝晃か知らぬが、非常に(こく)な仕事を強いたことになる。


 警察の捜査結果の発表では、継尚を始め、全員が事故死と判定された。


 噂は、立った。


 真に事故死だったとしても、四人もの急死である。

 加えて、逮捕には至らなかったが、同時期、弁当の管理が行き届かなかったとて、藤野家から数人の奉公人に対し、いちどきに暇を出したのであった。


 和加(わか)も、その一人だった。輝理の弁当を詰めた当人であった。

 実家とも絶縁状態だった彼女が、その後どうなったのか、影臣は知らない。地元を去ったことは、確かである。


 新聞記者と称する、如何にも怪しげな風体(ふうてい)の男たちが、両家まで取材に来た。

 藤野家や青柳家の当主が、彼らに何を話したか、影臣のみならず、両家の子供達が聞かされることはなかった。

 だから、彼らが道端で待ち伏せて、金平糖などを餌に質問を投げかけても、満足するような答えを聞かせることはできなかった。


 尤も、知っていたとしても、(より)ですら、余所者に話しはしなかったろう。


 後に、青柳家は影治ではなく、桂明(かつあき)が対応した、と聞いた。知らぬ存ぜぬで通したと思われた。


 あの夜、なるべく静かに動きはしたが、灯りを点けて出入りし、風呂まで焚き直したのである。

 にもかかわらず、藤野家の三人はもちろん、桂明も経四郎も、他の奉公人も、誰一人姿を現さなかった。思い返せば、奉公人が様子を見に来ることすらないのは、不自然であった。

 (あらかじ)め、(こも)るよう命ぜられていたものであろう。こちらが返り討ちに遭った場合の指示も、勿論、あったに違いない。


 記者たちは、向坂家や分家の沢山ある鈴木家にまで足を運んだ。だから、噂が余計に広まったのだ。

 しかし、警察が発表した事故死以外の記事は、出なかった。


 日ごろ、怪しげな風説も記事にする新聞には、珍しいことだった。

 これも、玄哲だけでなく、藤野家や青柳家が裏から手を回したものであろう。


 新聞は止められても、人の口に戸は立てられない。

 影臣も、会う誰彼(だれかれ)から、質問を受けた。


 前日、弁当を食わずに早退したことで、同級生や、初等科の子供たちの注意を引いてしまっていた。

 稲の刈り入れが始まる農繁期(のうはんき)であるにもかかわらず、小学校の出席率が異様(いよう)に上がったほどである。


 「あの日、午後から殺しに行ったのだろう」


 そんなことを、平気で尋ねてくる。子供だから、遠慮がない。


 影臣に語れることは、ほぼないに等しかった。


 あの日、伯母と伯父の間に何があったのか、本当のところは知らされていない。


 事故死とは、信じていなかった。夜の闇に浮かんだ、泥と血に(まみ)れた二人が、脳裏(のうり)に刻まれていた。


 二人とも、言い訳も説明もしなかった。


 輝晃は、風呂に入って着替えると、影臣に送らせて藤野家へ戻り、徹夜していた治明(はるあき)明三(めいぞう)に迎えられたし、影臣が家へ戻った時には、影治も風呂上がりで着替えを終えていた。


 翌日学校へ登校できるよう、すぐさま寝るように命じられ、ただでさえ疲れていた上、徹夜しかけていたので、刻限ぎりぎりまで熟睡した。

 話を聞く暇などなかった。


 輝理もまた、同様に質問責めの毎日を送っていた。

 叔母叔父を亡くした(みお)に、朝から通学の途上で問われ、清可(きよか)和実(かずみ)に止められるというやり取りが連日に(わた)った。

 校舎は違えど、学校にいる間の苦労が察せられた。


 人の噂も七十五日、という(ことわざ)がある。

 影臣は、お題目(だいもく)のように頭の中で唱えながら、いつ終わるとも知れない質問や決めつけを流し、黙殺(もくさつ)し続けた。


 そのうち、政府転覆(てんぷく)を狙った大きな事件が発覚し、世間の注目が一斉にそちらを向いた。

 犯人が地元の県令(けんれい)をも標的としていたことが、近隣の大人と子供の興味を()いた。

 新聞は毎号でかでかと記事を載せ、人の噂も、この大事件で持ちきりとなった。


 その事件が落ち着かぬうちに、また似た事件が起こり、次々目新しい話題が持ち上がるにつれ、影臣たちへの詮索(せんさく)は、いつの間にか消え去った。



 影臣が十二となった正月、輝理は藤野家当主に就任し、彼はその守護人に任命された。

 当然の思いだった。あの出来事を共に乗り切ったのだ。


 それにしても、化粧して着飾った輝理が、見違えて綺麗であったには驚いた。あまつさえ、微笑まれた日には、勝手に顔が赤くなってしまい、往生(おうじょう)した。


 女は化ける、と教わった。その実例が、目の前にあった。

 (もっと)も、翌日には、普段通りの輝理に戻っており、影臣は残念なような、嬉しいような、不思議な気持ちとなった。

 変わったことと言えば、影臣に対する話し方である。

 輝理は、目上の者への物言いから、目下に対する言い方へと変えていた。前当主の輝晃の言葉遣いを真似ているようで、微笑ましくもあった。

 影臣も、呼び捨てを様付けへ変えることから、立場の違いを意識するように心がけた。

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