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輝理と影臣  作者: 在江
第二章
15/30

主の縁談

 師範学校へ進学してからの輝理は、一層勉学に集中しているようだった。


 上京してから、寮生活のために、会う機会もない。普段の様子は、配下である(みお)からの手紙で知るほかない。

 影臣からは、報告も兼ねてしばしば便りを出すのだが、文が届いたのも、初めのうちだけだった。


 どうやら、返信を全て澪に任せているらしい。勉学に注力するためとはいえ、筆無精(ふでぶしょう)にもほどがある。


 外出に誘った際も、当日になって現れたのは、澪一人であった。


 「ご当代(とうだい)様は多忙のため、本日お越しにならないそうです」


 その日は仕方なく、配下を帝都観光へと案内する羽目(はめ)となった。澪が喜んでいたのが、まだしもである。ただ、その姿を同輩に見られ、誤解されては堪らない。

 影臣は、一日落ち着かない気持ちで過ごした。幸い、誰にも見咎められなかったようだ。

 以降、誘い出すことを断念した。


 その輝理が、縁談を受けると言う。青天の霹靂(へきれき)であった。


 向坂家の別荘で男に迫られたのを見て、咄嗟(とっさ)に追い払ってしまった。

 主は気にするなと言ったが、あの男は枯れても帝大生だった。郷里に、それ以上の独身男性がいるかどうか。

 影臣には、思い当たる人物がいない。

 あれは、失敗だったかも知れない。


 しかも、釣書(つりしょ)だけで決めるつもりとか。自棄(やけ)になるでもなく、淡々と述べる辺りが、(あるじ)らしかった。

 話を聞くに、清可(きよか)や澪の縁談が決まらないことに(せき)を感じ、先んじて相手を定める気になったようであった。

 彼女らの兄である玄丈(げんじょう)の圧力も多少はあったろうが、つまりは、影臣の責である。


 一高時代に迫ってきた、婿漁(むこあさ)りに目を輝かせる女学生には幻滅した。主が男を追いかける性質(たち)でないことは、承知している。

 影臣は、そのことを誇らしく思っていた。

 しかしながら、縁談となると、これまでまるっきり男の影がなく、空想上の恋愛にうつつを抜かすでもなかった輝理に、男を見る目が備わっているかどうかは、疑問であり、問題でもあった。


 幸い、輝理は釣書を見せると言うので、影臣は藤野家を訪ねることにしたのだ。

 まさか、あんな若造に、主を()(さら)われるとは、思いもよらなかった。



 「おはようございます、輝理さん。鈴木巳喜八郎(すずきみきはちろう)です。守護人の、青柳影臣さんには、ご無沙汰をしております」


 巳喜八郎は、最初から、影臣に挑発的な視線を送ってきた。

 (そなえ)次春(つぎはる)と同窓に当たり、前当主である輝晃(てるあきら)から学費を援助される身であるという。まだ、何者でもなかった。


 主は、そんな若輩者(じゃくはいもの)にも誠意を持って向き合った。

 巳喜八郎は、喜び(いさ)んで話し続ける。(しま)いには、顔を赤くして、本当の夫婦になりたい、と言い出した。子種(こだね)を提供するのみならず、互いに情愛を通わせる意味である。

 青臭(あおくさ)い、と心の内で冷笑した影臣に対し、輝理が思いがけない反応を示した。


 主は、顔を真っ赤に染めたのである。のみならず。


 「私は、そのつもりでいる」


 返事をした時には、落ち着いていたが、求婚を受け入れたも同然の言葉だった。巳喜八郎も同様に解釈したと思しき様子で、礼を言う。


 「落ち着き給え。まだ承諾した訳ではありません」


 つい、割り込んだ。輝理が当主であっても、戸籍上は、戸主である父、輝晃の許可が必要だ。

 勝手に当人同士で決められない。


 巳喜八郎は、不満顔を隠さない。世間には、既に一人前として働く者もあるのだが、まだ子供である。


 改めて、集められた釣書を読む。どれも、輝理には不足に見えた。

 あの帝大生にすべきであったか。しかし、婚約前に手を出す不埒(ふらち)(やから)であった。

 仮に、いま一度、あの場に戻っても、やはり影臣は二人の間に割って入ったであろう。


 「どうだ。私は、彼で良い。影臣は、やりにくいか」


 巳喜八郎を帰した後、主に尋ねられた。主が選んだのなら、従うべきである。


 「私がお仕えするのは、輝理様にございます」


 影臣は釣書を片付け、輝理に手渡そうとした。指先同士が触れ合い、思わず書を取り落とした。


 体のうちを、(いかづち)が駆け巡ったようだった。(せみ)の声も消え、畳も柱も失せた中に、輝理だけが居る。息が苦しかった。


 「駄目だぞ、影臣」


 輝理が言った。影臣は、我に返った。部屋の中が暑い。


 「何もしておりません」


 咄嗟(とっさ)に返した。主は、冷静に指摘した。


 「釣書が落ちている」


 「失礼しました」


 急いで釣書を拾った。主と目を合わせられなかった。

 形ばかり辞去(じきょ)挨拶(あいさつ)をすると、影臣は、逃げるように門を出た。


 すると、家へ向かう道の途上に、巳喜八郎が待ち構えていたのだ。


 「青柳さん」


 名を呼ばれて、足を止めざるを得なかった。今、最も会いたくない相手だった。


 「鈴木さん」


 影臣は、()えて屋号を避けて呼んだ。分家の多い鈴木家である。

 お前など、有象無象(うぞうむぞう)の一人に過ぎない、との意を込めた。


 「僕は、負けません」


 巳喜八郎の顔が、みるみる紅潮(こうちょう)する。


 「次春くんから聞きました。輝理さんは、あなたと離れられないって。でも、僕は身も心も挙げて輝理さんの一番になります。青柳さんにも、必ず認めさせますから」


 失礼します、と言い捨てて、巳喜八郎は影臣の脇をすり抜け、走り去る。

 呼びかけに込めた意味を、汲み取ったようには見えなかった。藤野家当主と青柳家の守護人の関係を、正確に理解しているとも思えない。その辺りは、まだ婚約者でもない彼に、次春が曖昧(あいまい)に説明した所為(せい)であろう。


 それらの事情を全て含めた上で、彼の宣言は何処か影臣の心に響くものがあった。

 影臣は、しばしその場に立ち()くした。


 「何なんだ、あれは」


 声に出して(つぶや)いた頃には、先ほど輝理に触れた衝撃が、身の内から消え去っていた。



 「ははは。純な少年ではないか。輝理さんには案外、年下の方が合いそうだ」


 清可は笑い転げた。細い指に挟んだ紙筒棒(かみつつぼう)の先からも、口の中からも、ふはふはと煙が出て影臣を襲う。


 近頃流行りの、紙巻(かみまき)煙草(たばこ)である。キセルと違って、道具が少なく、持ち運びが楽だと評判だ。

 大学でも、煙をたなびかせる学生を、時折見かける。当初は輸入物が幅を利かせていたが、今では国産物も出回っていた。

 もとより煙草を()まない影臣は、煙を吸って咳き込んだ。


 「しかし、目指すところが師範学校止まりでは、輝理様が()すには勿体(もったい)ない」


 呼吸を落ち着けてから、返す。

 卓の上には、天狗印(てんぐじるし)の煙草の箱の他に、鉄鍋(てつなべ)に入った牛鍋(ぎゅうなべ)と、麦酒(ビール)瓶とグラスがあった。いずれも、ほぼ空である。


 影臣と清可がこうして会うのは、よくあることだった。

 名目(めいもく)は、輝理の守護に関する定期連絡である。


 実際のところ、清可は女学校に奉職(ほうしょく)して側におらず、主は寮住まいで危険も少ない。一応、同輩として澪もいる。清可と影臣が会っても、連絡するほどの話は、まずない。


 それでも(つど)うのは、帝都において、清可が忌憚(きたん)なく話のできる、唯一の相手だからである。

 二つ上の彼女は、もちろん影臣を(あるじ)として立ててくれてはいるものの、このように二人きりの場では、敬語を使わない。そんなところも、気楽だった。


 これが澪相手だと、互いに気を張って疲れてしまう。

 彼女は寮暮らしの学生である。外出にも手続きが要る。それに澪が抜ければ、その間、輝理を一人にしてしまう。


 「だが、造り酒屋の帝大生を退(しりぞ)けたじゃないか。それ以上を望むなら、華族(かぞく)様しかおらぬ。あの方々は、婿(むこ)入りなどしないだろう」


 「それは、そうだが」


 向坂家の別荘で、矢緒(やお)という大学の先輩が、輝理の両手を突然握りしめ、影臣が引き()がした話や、梨畑(なしばたけ)の鈴木巳喜八郎と婚約が整った経緯を話したところである。

 その当時、別荘にいた清可も、矢緒の話は初耳だった。


 「それとも」


 清可は、煙草に口を付け、すうっと吸い込み、影臣を()けて煙を吐いた。目を細めている。


 「種だけもらって、一生独り身にさせたいか。それなら、臣が隠退(いんたい)するまで輝理さんに、つききりでいられるからな」


 影臣は、はっとして清可を見返した。己の気付かぬ心の内を、言い当てられたように思った。


 清可もまた、影臣の反応に驚き、頬を硬くした。紙巻煙草を、ぎゅうぎゅうと灰皿へ押し付け、火を消す。キセルと違い、使い捨てなのである。


 顔を上げた時には、真剣な面持ちだった。


 「臣。お前は、()退()()()()()()()()のだろ。残された輝理さんを支える人を、(つぶ)してどうする」


 守護人の隠退の意味を、知っているかのような物言いだった。


 当主の交代をもって、守護人もその任を終える。

 守護人は、隠退後、速やかに寿命を終わらせなければならなかった。


 直接に知るのは、新旧の守護人と、青柳家の継主(つぎぬし)、向坂家の当主のみである。


 先代の守護人、伯父の影治(かげはる)()った時、清可は地元の女学校へ通っていた。既に上京していた玄丈よりも、事情を知る機会は、あった。


 「そうだな。輝理様が選ばれた人だ。先も長いし、適任かもしれぬ」


 「ふっ。婿ではなく、まるで護衛を選ぶようだな」


 清可が頬を(ゆる)めた。

 影臣も微笑み返した。頭の中では、伯父の遺言が(めぐ)っていた。


 己の欲するところではなく、主人の欲するところに従え。


 三智(みち)伯母の末路(まつろ)を思うと、当時、そんな箴言(しんげん)を残すとは意外であったが、今の影臣に見合った忠告である。

 まだ当人でさえ思いもよらぬうちに、先を見越していたかのようであった。


 伯父の境地に至るまでに、随分遠い道のりを歩むことになりそうだ。()()時までに、せめて背中が見えるほどには追いつけると良いのだが、と影臣は思った。

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