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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
宵と明けの顔
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フアナと月の標

 ブリュージュのカーニヴァルを楽しみつくす粋は、日の落ちた時間に町に繰り出す事にある。宗教世界と密接に関わった昼時間のパレードや見世物は、陽の雰囲気に溶け込んで情報を聞き出すのに役立つが、未だ興奮冷めやらぬ火照った肌のつやから、一さじの汗を汲み取る事もまた、この熱狂の愉しみである。


 夜時間のリオネルの愉しみに護衛を付ける事は少々憚られたが、敢えてはっきりと、フアナにその事実を告げる事を条件に、彼の街歩きを許した。

 陶製人形がオレンジの明かりに照らされて不気味な凹凸の影で笑みを作る机上に肘をつき、月光照り付ける中にベラドンナ色の明かりが灯る宮殿直下の城下町を眺める。カペル王国の首都ペアリスであれば、ベラドンナの明かりも楽しみの一つと思うのだが、それを生業とする人々が、ブリュージュに潜伏する事実に猛烈な不信感を匂わせる。帝国近衛兵がブリュージュの兵卒と無礼講で話す篝火の下で、鳴りを潜めた六角形の鐘楼が見下ろすのは、果たして明かりの灯る室内か、乞食が昼間のゴミを拾い集める手さばきの器用さか。


 ナルボヌから宮廷舞踏会に呼ばれたり、宮廷舞踏会からナルボヌへ引き戻されたりしている間に、私の心は無邪気な夢から現実へと引き戻され、微睡みにぼやけた瞳があらゆる美し営みに疑いの目を向けるに至った。


 或いは破産を認めておけば、幸せだっただろうか?それは判然としないが、唯、私の選択がこの一夜を緊迫したものに変えてしまったのは事実である。


「ジョアンナ様はお見えかしら?」


「フアナ様ですか。どうぞ……」


 私は無防備な背中を晒しながら、視線も向けずに答える。扉を開けたフアナ嬢は、その背に着飾った財布を伴って、入室してきた。


 腹を割って話す、とそう言った手前、着飾る事も億劫になっていた私は、普段着のままで二人の方を向く。兵士は連れていない。薄っすらとした明かりが、美伯フィリップの驚いた表情を認めさせた。


「あらあら、折角旦那と一緒に来たのに、これでは灰被りのようですわね」


 フアナは首を擡げて微笑む。オレンジの明かりに照らされた私の表情が、彼女にどのように伝わったのだろうか、彼女はそのまま少しフィリップの立つ右側に首を傾げて見せる。彼女は一旦夫の後ろに下がると、フィリップが私に近づくのをその場で見つめている。


「ジョ、ジョアンナ様。その様な服では、折角の恩寵が、勿体無い……。どうぞ、ご自愛下さい」


 途切れ途切れの吃音が私の背後で跪く。白くしなやかな指が月光に照らされて、さながら発光するかのようだ。

 王子とのロマンスを歌う童歌ならば、私は一夜の夢に溺れる事だろう。フアナとの対話さえなければ、金貨の輝きに見初められなければ。


「フィリップ卿、ご用件はどの様なものですか?」


 発光するような素肌を視線に入れないように気遣いながら、私は不気味な陶製人形を睨む。眉を顰め、机上に置いた聖典に右の手を置いた。


 フィリップは私の顔を覗き込む。男性特有の魅惑的な香水のにおいと、透き通った肌を嫌でも視界に入れようとしてくる。

 彼か、彼女の武器を分かっているからこそ、私は彼を正視しないように視線をぐるりと回す。一周回ってフアナの静かな微笑に行きついたとき、不思議なほどの激情が浮ついた感情を勝った。


「ご・よ・う・け・ん・は?」


 諦めたらしいフィリップはすく、と立ち上がり、苛ついた表情で指を弾く。凄まじい速度でひとりでに動いた豪奢な紅白の椅子が、廊下を疾走して彼のすぐ後ろにやって来た。


 席について早々、彼は憎らし気に「我儘な女は嫌いだ……」と、得意の吃音で言葉を濁しながら呟いた。

 一夜の夢が瓦解するのはほんの一瞬だ。


「まぁ、いいでしょう。貴方の所のリオネルが、堕胎薬を持ってきてね。丁度その類を求めていたから、貴方から買ってやってもいいか、と、思ったのだが。田舎臭い女は強情で困ったものだ」


「ヤーコプ陛下ほど嫌いになる方はいないと思っていたのですが、不思議なものですね」


 私は鼻で笑い、フアナと私の間に座るフィリップを嘲るように見つめる。出来る限りの横柄な態度に対して、気を悪くしたフィリップは机に叩きつけるように肘をついた。


「なるほど、貴女はとんでもない女だ。二人纏めて貴人を貶めるとはね。まぁいいさ。私は貴女になぞ興味はない。ちっとも役に立たない特別遊撃隊の風上にも置けない輩に効くという薬を貰いに来ただけなのでね!」


「そうですか。ではどうぞ、リオネルにお問い合わせください。私よりよほど話が分かるのですからね」


「そうさせて貰おう!それでは、ごきげんよう!」


 彼は陶製人形が飛び上がるほどの力で机に張り手を打つと、その衝撃に合わせて立ち上がる。揺らめく灯が衝撃に細く靡いても、不思議と感情は穏やかだった。


 部屋を出たフィリップが指を弾くと、再び椅子が廊下を滑走し始める。椅子が地面を引き摺る音が途切れると、その場にとどまっていたフアナが前で手を組みながら私を見下ろしていた。


「まだ、何か?」


 フアナは微笑を湛えたままで、目を細める。


「いいえ。今回も良い話が出来ましたわ」


 フアナは優雅に踵を返すドレスを浮き上がり、フリル越しにすらりとした足が覗くと、年相応な淑女特有の、白くなったくるぶしが見えた。


「フアナ様。結婚生活は楽しいですか?」


 彼女は立ち止る。少し顔を持ち上げ考え込むと、ゆっくりと、振り向いた。


「私には快適ですけれども、貴女には向かないと思いますわ」


 彼女は直ぐに向き直り、明かりに満ちた廊下へと向かって行く。「それと、貴女は少し太った方がいいですよ」と、吐き捨てるように言って見せた。


「余計なお世話よ」と言う言葉は、口の中で飲み込んだ。


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