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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
宵と明けの顔
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次期皇帝の憂鬱

「あー……」


「お疲れ様でございました」


 自室に戻ると、閉じ込められていたらしいリオネルが、私の飲んでいたものよりもずっと濃い紅茶を嗜んでいた。最早黒い、と言う表現がしっくりくる紅茶の傍らには、やや黒ずんだ杖が不自然に立てかけられていた。


 杖にはカペル王国最大の生物、赤き竜、ロートドランの掘り込みがあり、そこに黒ずんだ銀がはめ込まれたもので、かなりの年代物である。所謂流行の強大で強力な竜の掘り込みではなく、一昔前の、つまり少々間抜けな顔をした竜の掘り込みである。


「鼻の穴が大きな竜が気になりますか?」


 リオネルは砂糖を茶うけ代わりに齧りながら聞いてくる。


「その杖の持ち主が気になるのよ……」


「それはヤーコプ・フォン・エストーラ様のものです。そろそろ戻ってみえると思いますよ?」


 リオネルはにやにやとしながら答えた。私は自分の服を見て戦慄する。動きやすいズボンに、淡白な白いシャツとベスト。件の使用人服に毛の生えたような服装である。


「え、ちょっと待って、着替えちゃっ……」


 激昂する寸前で扉が開かれる。今すぐに何処かに隠れようと試みるも、隠れられるような場所はどこにもない。ドレスが放り出された仕切りのあるベッドの中に飛び込もうとしたが、扉は止まってくれるはずもなかった。


「悪い悪い、どうにもブリュージュでは一服が捗らなくて……」


 意地悪そうな青年、ヤーコプ・フォン・エストーラと目が合う。私はひきつった笑みのまま、即刻ベッドの上に飛び乗った。

 リオネルは肩を震わせて笑いを堪えている。陶製人形も同じように私を見て指さし笑っているように思われた。それらを殴り付けたくなる衝動を、天幕の中のドレスを掻き回して堪えた。


「侍従か?侍従だな!はっは!傑作だ!リオネルの言った通りではないか!全く、見事なまでに格下の服を着こなしている!」


 ヤーコプは足早にベッドの中に駆け寄って、リオネルの足元に隠されたように立てかけてある杖を使って間仕切りを強引にこじ開けた。


 ドレスの袖口を探していた私と目が合う。思わず叫びそうになるのを堪えて、袖口で服を隠すようにして苦笑を返した。


「貴女が噂のジョアンナ・ドゥ・ナルボヌであらせられるか!こうしてこっそりと貴方の部屋に上がったことをまずは詫びよう。皇帝特権と思って飲み込んでくれたまえ」


 口だけがひたすらパクパクと動く。リオネルが堪えきれずに机に突っ伏して笑っている。机上の燭台が震えるほどの笑いとは、正しく彼の謀なのだろう。しかし、何故主人の醜態を晒すような事を彼はしたのだろうか?第一皇子の目は最早貴族と向き合う時のそれではなく、完全に断食芸人に向けられたそれである。彼は杖を軸にして、無遠慮にベッドの上に腰かける。若いが特別に美男子と言うわけではなく、また、特別に醜いというわけでもない。ただ特徴的な顎を摩りながら、左手で杖を突き私をまじまじと見つめてくる。


 薄暗いベッドの中、肌の白い陶製人形とヤーコプの奇異の瞳だけがギラギラと輝いている。ベッドのシーツに皺を作りながら、ヤーコプは親し気に私に詰め寄ってきた。


「君、ジョアンナ。聞きましたよ、単身で姉さんに立ち向かったのだとか。実に興味深いと思いましてね、私は。全く腰抜けか生け花を花冠と偽って着飾る女ばかりのこのご時世に、ご立派な「蛮勇」をお持ちのようで!」


 饒舌にべらべらと皮肉を垂れる目の前の男は、ぎらつかせた瞳を一切私から逸らさずにいる。使用人服の、布越しに見える体の線を舐めまわすようにも見える瞳の動きに先程とは別の感情が込み上げ、私は崩れてしまったドレスを強く握って歯を食いしばった。

 私の抗議が通じたのか、捲し立てるように皮肉を述べる言葉を一旦区切ると、彼は杖で三度地面を突く。即座に部屋に飛び込んできた男の使用人の尻を蹴ると、彼からパイプを奪い取る。即座に火を点けると、一服をしながら、杖を立てかける。燻るやにの臭いが彼の口から零れると、彼は一つ息を付きなおしてパイプを咥えたまま此方を向く。


「失礼。私は最近これに凝っていてね。思考が冴え渡るというか、無いとイライラしてしまう時がある。臭いは少々、我慢してください」


 一人称から語り口まで人に合わせて変えるところは、彼の叔母よりもむしろ洗練されているように思われる。私は燻る嫌なにおいを吸わないように気にかけながら、首を横に振った。


「それで、姉さんとはどんなお話をされたのだ?」


「大したお話ではありませんよ。ただ、カペルの文化に関心がある、と仰っていたにすぎません」


 ヤーコプは片眉を持ち上げる。望みの回答が得られなかった事が不服だったのか、パイプを咥えた口の隙間から大量の煙を零した。


「何を取り付けて来たかと聞いている。この目に狂いはない。辺境貴族の言葉遊びに付き合っている暇はないのでね」


 私はリオネルの方を見る。リオネルは胸元に手を当て、すまし顔で頷く。お心次第、と言ったところだろうか。


「……カペル王国の情報収集に役立つ約束ごとを取り付けました」


「具体的には?」


 先ほどの馴れ馴れしさから一転、嘘のように表情に色が損なわれている。私は出来る限り言葉を選びながら、出来る限り明確に伝えられるように言葉を選んで説明した。ヤーコプは途中実に不愉快そうに歯を剥き出したが、立てかけた杖が倒れないようにしきりに視線をそちらにも向けた。


 今一度一服に集中をした彼は、一息ついて、私を見る。探りを入れている時の猜疑心に満ちた嫌な顔だ。


「……成るほど。姉さんは、まだどちらにつくか決めかねているわけだ。少しばかりサービスしておいた方が良さそうだが……。いや、結構。姉さんへの裏切り行為のような事をさせてすまないね。私としては、いつまでもブリュージュにはエストーラであってほしい。血の繋がりもそうだし、何よりも国政の安定のためにもね。しかしカペル王国と険悪なムードになるのも良くない。ブリュージュと言うのは実に難しい場所だが、その正統性はこちらにあると思う。君、ジョアンナは、どの様にお考えか?」


 彼は煙たそうに顔をしかめる。リオネルは調書でも取るかのように黙々と何かを書き取っている。


「私は、フアナ様を一人の友人として捉えております。もしカペル王国の一員になって下さるのであれば、それは一つ嬉しい事です。ただ、それ以上でも、それ以下でもございません」


「そうか。賢明な判断に期待しているよ」


 そう言うと、ヤーコプは杖を手に取り立ち上がる。彼は丁寧に礼をして、そわそわとしている使用人の尻を蹴飛ばし、そのまま部屋の外まで出て行った。


 この実に性格の悪い男が立ち去り、大きな音を立てて扉が閉ざされると、私は思わず「何あの男……」と呟いてしまった。


「一つ一つ、細やかな舵取りが求められているようですね。実に、恐ろしい国だ」


 リオネルは顔を持ち上げて机の上の絵画に向く。幸福絶頂にあるカペラの頭上には、立派な花冠が乗せられていた。

 そのすぐ下にある含み笑いの陶製人形が、今まさにその花を摘もうとしているようだった。


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