8話 ある男の決意
「おはようございます、アンジェラ王女。今日はずいぶんご機嫌のようですね」
「あら、カイル! ちょうどいいわ。あなたに特別な役目を与えようと思っていたところなの!」
朝の挨拶を口実に王女の様子を見に来たのだが、ケリーの情報どおり、彼女は処刑に向かうための護衛騎士を集めていた。だが、その騎士たちも俺の指示が間に合ったようだ。この場に集められた部下に目で合図を送ると、俺は何食わぬ顔で王女のほうに歩み寄った。
「実はね、あれからお父様に昨日の侵入者のことをお伝えしたの。そうしたら、私の命を狙っていたんじゃないかって怒ってしまって、処罰が必要だって言うのよ?」
にっこりと笑う王女の顔は、初めて会う者には無邪気で可愛いお姫様に見えるだろう。しかし、これから行われる処刑のことを知っている俺にとっては、そのあどけない笑顔こそが不気味だった。
「陛下が? しかしあまりにも急ですし、まだ取り調べが終わっておりません。処罰はアルフレッド殿下が帰還されてからでも遅くはありません。もう一度お考え直しいただくことは――」
「カイル! 何を言っているの? あの女はわたくしを狙ったのよ! 王宮に侵入したのも、もうすでに何かを仕掛けた後かもしれないわ!」
「それなら、なおさら生かして取り調べるべきです」
反論されるとは思いもしなかったのだろう。王女は一瞬で顔を赤くし、キッとこちらを睨みつけた。
「もういいわ! 今日の処刑は決まったことなの。お兄様がいたとしても、お父様の印があるこの書類があれば、誰の意見も関係ないわ!」
何がそんなに嬉しいのか。王女は得意げに笑いながら、処刑を許可した一枚の書類を差し出した。たしかに陛下の印が入っている。しかも手にしているのは、この国の王女だ。これを偽物だと証明できない以上、今はどうすることもできなかった。
(なにがあっても実行するということか……やはりおかしい。これほど急ぐのは、彼女と王女の間に何かあるのだろうか)
しかし、今はそんなことを考えている暇はない。王女は俺が沈黙していることを、処刑に賛同したと受け取ったらしい。こちらを振り返り、楽しげに言った。
「じゃあ、カイルがあの女を、崖から突き落としてね」
この言葉を事前に知らなければ、怒りで暴れていたに違いない。
「かしこまりました」
俺は怒りで震える拳をそっと背中に隠し、静かに頭を下げた。
「……っ!」
牢屋から連れ出された彼女は、たった一晩で今にも倒れそうなほど弱りきっていた。顔は青ざめ、頬には涙の跡が痛々しいほど残っている。大きな瞳はただ虚ろで、何も映していなかった。処刑が行われる聖女の崖に到着してようやく、俺の存在に気がついたようだ。一瞬、目を見開き驚いた顔をみせたが、すぐにこれから起こることを悟り、そっと目を伏せた。その健気な姿に、胸がえぐられるような痛みが走る。
(あと少し、あと少しで君を助けてあげられる!)
細心の注意を払って、王女を欺かなくては。少しでも不審に思われれば、彼女を突き落とす役目を他の者に譲るだろう。いや、王女本人が、やると言い出すかもしれない。
(そうなったら、全てが台無しだ……)
俺は王女が彼女を傷つけようとしているのにも気付かないふりをして、その時を待った。
「……悪く思わないでくれ」
これから俺がすることは、君を助けるための行為だ。どうかこのまま動かず、俺に身を委ねてくれ。
祈るような気持ちで手に魔力を込める。背後の王女たちに怪しまれないよう、転移の魔法陣が描かれた羊皮紙を握りしめ、一歩前に出た。
そのときだった。ガラガラと、王女を乗せた馬車が動き出す音がした。ケリーの仕業だ。作戦どおり、部下たちが王女の視線をそらすために馬車を動かしてくれたのだ。
(今だ!)
俺は彼女を後ろから強く抱きしめ、崖から飛び降りた。
「目を閉じてくれ!」
飛び降りざま、転移の魔術を発動する。その瞬間、まばゆい光が俺たちの体を包み込んだ。
「うっ!」
ドスンとどこかの地面に着地し、俺は彼女を抱きしめたまま転がった。あわてて体を起こし、彼女を抱え直して、柔らかい草の上に座らせる。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
「…………」
目の前の彼女は俺の顔を見ても、きょとんとしている。何が起こったのかわからないのだろう。キョロキョロとあたりを見回すと、今度は俺の顔を手のひらでぺちぺちと叩いた。
「本物だ。俺も君も死んでないぞ」
「…………?」
それでも首を傾げ、何か考え込んでいる。しばらくしてハッと思い出したように自分の頬をつねると、ようやくこれが夢じゃないとわかったようだ。顔を上げ、再びこちらを確認すると、瞳を大きく見開いたまま、口をパクパクと動かす。
(はあ……かわいい)
どうやら俺の心のタガが外れてしまったらしい。今まで押し込めていた感情が、一気に彼女への想いとなってあふれ出してくる。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ」
彼女の体を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。やはり状況がわからないようで、腕の中で首を傾げている。その仕草すらもかわいくて、ますます彼女を抱きしめる力が強くなった。
「なにかの理由で言葉が話せないけれど、俺の言っていることは理解できるんだな?」
よく咳き込む様子をみるに、おそらく喉を痛めているのだろう。そう言うと、彼女はコクコクとうなずいた。
「それなら、今日起こったことを説明させてほしい」
俺は、彼女の罪が確定していないまま強引に処刑されそうだったこと。それに反対だった俺が、転移で一緒に逃げたことを伝えた。最初は目を白黒させて驚いていた彼女だったが、今が安全だとわかると、表情豊かに話を聞き始めた。眉間にしわを寄せて怒ったり、俺が処刑に反対して一緒に逃げたと伝えると、うつむいて顔を赤く染めたり。
(やっぱり、彼女が悪人だとは思えない……)
すると彼女は急に俺を指差した。そして次に自分を指差し、首を傾げる。何かを伝えたいのだろう。俺がじっと見ていると、同じ動作を繰り返し、最後にピョンと飛び込む動作をした。これは、もしかして……。
「どうして一緒に崖から飛び降りたのか教えてほしい、ということか?」
当たりだったようだ。彼女は真剣な顔でうなずき、俺の答えをじっと待っている。
(そうだな。国に仕える騎士が、王女に逆らってまで助ける理由を知りたいのは当然だ)
とはいえ、聖魔力や共鳴している可能性などを話しても、余計に混乱させるだけだろう。俺は彼女の手をぎゅっと握りしめ、今思っていることを素直に伝えた。彼女に届くように、ゆっくりと。
「君を助けたかった。ただ、それだけだ。これからは俺が君を守る。だからもう泣かなくていい」
返事を聞いた彼女はしばし無表情だったが、みるみるうちに大きな瞳に涙がたまり、あふれ出した。止まらない涙をそっと指でぬぐうと、彼女はくしゃりと顔をゆがめ、声を上げて泣き始めた。
「ああ、ああ……ううう……げほっ、げほっ」
「そうか、泣くのも苦しいか」
かわいそうに。それならば昨夜は、どれほどの痛みに耐えて泣いたのだろう。いや、痛くてもいいから泣きたかったのか。そのくらい悲しく寂しい夜を過ごしたのだ。
こんな華奢な体で。彼女の服は泥にまみれ、髪も乱れている。昨夜は一睡もできなかったのだろう。目の下のくまがくっきりと出ていた。
――彼女は俺が命をかけて守りたい
これが勝手に頭に響く声なのか、俺の本心なのか、もうわからない。
(それでも今は、これが正しいことだと思う)
俺は声を出さないよう静かに泣く彼女を、いっそう強く抱き寄せた。




