3話 忘れられた聖女
(カイルだ! ようやく会えた!)
「ぐっ……げほっ、げほっ」
カイルの名を呼ぼうとした瞬間、また喉に強烈な痛みが走り、言葉が出てこない。でもカイルと会えた。それなら、すぐにこの拘束も解いてもらえるはず!
――それなのに、目の前の彼はさらに険しい顔をして、私を睨みつける。
「お前は何者だ! どこから入ってきた! 答えろ!」
(……どうして? カイルは、私のことがわからないの?)
こんなにはっきりと目が合っているのに、カイルは私の名前を呼んでくれない。それどころか、危険人物と判断し、私の首筋に剣を当てた。ひやりとした刃の感触に、これが現実なのだと嫌でも思い知らされる。
(顔が似てる別人なの? だって、カイルなら私のこと忘れるはずないもの)
彼には兄弟はいなかったはずだ。だって、プロポーズしてくれたあの日――『俺は一人息子だから、サクラと結婚したら娘ができたと言って、両親が大喜びするぞ』――そう言ってたから、よく覚えてる。
何かがおかしい。
それに、よく周囲を見てみると、見知った顔が何人かいた。名前までは覚えていないけれど、たしかアルフレッド王子の側近だったはず……。
(一人で歩いているときに挨拶してくれた人もいるから、絶対に私の顔がわかると思うのになんで?)
彼らはカイルと同じように、突然現れた私を警戒している。一人でもいいから聖女だと気づく人はいないのか、私は必死で部屋を見回すが、やはり誰も見つからない。
「おい! きょろきょろするな! 誰か仲間がいるのか? 答えろ!」
何も話さず挙動不審な私にいら立ったのか、カイルはいっそう乱暴な口調で問いただす。押し当てられている剣の刃も、力が込もっているのか、かたかたと震えていた。それでも話そうとすると、喉が焼けるように痛くなって声が出ない。
(どうしよう……! どうすれば、私が聖女だってわかってもらえるの?)
いつも一緒に過ごしたアメリさんやブルーノさんはいない。もちろん、司教様の姿も見当たらない。どこを見渡しても私を助けてくれる人がいないのだと悟った瞬間、背中に一筋の汗が流れた。
そのとき――私を囲む人だかりの奥から、一人の女性の声が聞こえてきた。
「カイル、その者は危険だわ。だってこの部屋に突然現れたのよ? みなさんも見ていたでしょう?」
その声の主がこちらに向かってきているのだろう。人々のざわめきの中に、カツカツという靴音が近づいてくる。
(この声、聞いたことがある……たしか、この人は――)
「アンジェラ王女! 近づいてはなりません!」
「あら、大丈夫よ、カイル。だって婚約者のあなたが、守ってくれるのでしょう?」
(やっぱり彼はカイルなんだ! でも今、カイルのこと、婚約者って言った……?)
「王女、それは……。とにかく私は剣を手にしています。この女が暴れたら取り押さえなければなりません。下がってください」
「もう、私の婚約者は心配性ね。それだけ私のことを大切にしてくださってるってことだけど」
ふふっと笑って、アンジェラ王女はカイルの後ろに身を隠した。その姿はまるで、カイルが私から彼女を守っているみたいだ。信じたくない光景に、胸がえぐれるような痛みを感じる。
(わけがわからない。一年前、カイルは確かに私と結婚しようと言ってくれた。それなのに、なぜアンジェラ王女の婚約者になっているの? この一年で、いったい何があったの?)
「うっ……ううう……」
ぽろぽろと勝手に涙がこぼれ、止まらない。そのうえ、うめき声をあげるたびに喉に苦しい痛みが走り、びくりと体が動いてしまった。すると、その動きでカイルの剣が私の首に食い込む。熱い痛みとともに、首筋を生ぬるい液体が伝い流れた。
「うう!」
(痛い……! 喉も首も痛いよ……)
頭上から、ぎりっと歯ぎしりのような音が聞こえた。きっと、私がめそめそと泣いているから、カイルがいら立っているのだろう。顔を上げると、やはり彼の睨みは鋭さを増していた。
「……おまえはこの王宮に、転移の魔術で現れたのか?」
この国で「転移の魔術」を使えるのは、カイルと師匠のジャレドだけだ。カイルもジャレドに教わって、ようやく習得できたのだ。私も何度か練習したけれど難しくてできなかったので、首を振って否定する。
「それならどうやって、この部屋に入ってきた! 王宮は魔術師が結界を張っている。許可された者以外は入れない!」
その質問には答えようがない。だって、私はこの王宮に入る許可をもらっている。ここにはいないようだけど、王太子のアルフレッド殿下が直々に私の血を登録してくれたのだ。
(でも、許可を持っていることをどうやって伝えたらいいの?)
私はしばらく考えたあと、手を広げ、指の腹を切るしぐさをした。そしてそれをトントンと手のひらに押し当て、魔法陣に血を登録したことをジェスチャーで伝える。同時に声を出さないよう、奥の部屋を見つめながらパクパクと口を動かした。
(あの部屋で登録したの。口パクじゃ、わかってもらえないかな……)
すると次の瞬間、再び喉に痛みが走り、私は前のめりに倒れてしまった。
「う、ううう! げほっ」
「……何をしているんだ?」
兵士たちに起こされ、なんとか座り直す。すると、カイルはほんの少し表情をゆるめ、ぼそっと呟いた。
「もしかして、言葉を話せないのか?」




