1話 二回目の召喚
「はあ……疲れた」
残業続きの仕事からようやく解放され、私は乱暴にバッグを床に放り投げた。ボスンと埃が立ち上がり、掃除をしていないのが丸わかりだ。疲れ切った私は、着替える気力もなく、スーツのままベッドに寝転んだ。
「……カイルに会いたい」
私、渡辺咲良は、一年前、異世界に聖女として召喚されたことがある。
「……ショウキ、ですか?」
「はい。聖女サクラ様には、わが国オズマンドの瘴気を払ってほしいのです」
ある日突然、足元で魔法陣が光ったと思ったら、次の瞬間にはたくさんの人に囲まれていた。上を見上げると天井一面に宗教画のような神々しい絵が描かれていて、窓には色とりどりのステンドグラスがきらめいている。
(ここは、教会……?)
ペタンと座り込んだ私に手を差し伸べたのは、顎に白い髭をたくわえ、いかにも聖職者といった服装をしているおじいさんだった。優しく微笑み、「どうか我々を助けてください」と、私の手を握った。その手の温かさに、私は思わずうなずいてしまったのを覚えている。
「サクラ様! 大丈夫ですか! ブルーノ、サクラ様の手当てを!」
瘴気を浄化するのは、思っていたより大変な仕事だった。そもそも瘴気とは、吸うと病気になってしまう毒の霧のようなものだ。 それを私は一度、自分の体に取り込み、きれいにしないといけないのだ。
「うう……ん。漫画では簡単そうだったのに」
「サクラ様、マンガとはなんでしょうか?」
不思議そうな顔で私に冷たいタオルを当ててくれているのは、「ブルーノ」さん。さらさらのブラウンの髪に、蜂蜜色の瞳。私より五つ上の好青年で、この国オズマンドでの私の世話係だ。
「サクラ様の世界には、不思議なものがいっぱいありそうですねえ」
にこにこと微笑みながら、私に栄養回復の薬を飲ませているのは、もう一人の世話係、「アメリ」さん。こちらもライトブラウンの髪を器用に結い上げ、くりっとした小さめの瞳が小動物を連想させる、二つ年下のかわいい女の子だ。 二人ともとても優しくて、私のことを尊敬してくれていた。
「二人にもう一度、会いたいな。ブルーノさんは、アメリさんに告白したかな?」
本格的に浄化の旅に出たときは、二人も一緒だった。はたから見れば両思いだとわかるんだけど、当人同士はずっと教会暮らしなので、関係を変えるきっかけがつかめないみたいだったな。
「それに師匠は元気に……サボってるかしら?」
私はごろりと寝返りを打ちながら、浄化のコツを教えてくれた「グータラ魔術師」のことを思い出す。名前はジャレド。嫌みのつもりで「師匠」と呼んでいたけれど、当の本人はまったく意に介さず、私にひと言アドバイスしたらいつも寝てたっけ。
「よし! もう一度やってみるね」
「無理はしないでくださいね!」
二人に応援され、私はまた瘴気を体に取り込み始めた。この世界で瘴気が見える人は、ほとんどいない。教会にいる人たちは薄く見えるらしいが、くっきり見えるのは、四人だけ。
聖女の私と、私に助けてほしいと言った司教様。あと聖魔力をもった騎士が一人と、師匠のジャレド。 ……そう考えると、師匠って意外と有能?
「ん? またやるの? 頑張るね~」
「もう! 師匠、ちゃんと教えてくださいよ」
「アドバイスはしたでしょ? あとは実践のみだよ」
プラチナブロンドの長髪を後ろでひとつに束ね、黒ずくめの衣装を着ているところは、漫画でよく見る魔術師のイメージそのままだ。そのうえ顔がいいものだから、よけい人を惑わすように見える。
「師匠はこの国の人なのに、危機感がないですよ?」
「はは。まあ、僕はなぜか瘴気を取り込んでも病気にならないから。ま、いいかなって」
「この仕事を引き受けたのも、お金ですもんね」
「そそ。君はがんばり屋だし怒らない。真面目でいい生徒だね。ありがと」
それでも私が危ない目にあわないよう、取り込む瘴気の量を把握してくれていた。昼寝はするけど、私が練習しているときは絶対にそばを離れない。私が少しでも苦しくなると、すぐに止めてくれた。 ひょうひょうとして掴みどころのない人だけど、信頼できる人だった。
「今ごろ、お金が貯まったからって、仕事もせず女の人の家を渡り歩いてたりして」
師匠はモテる。本人もそれを自覚していたから、よく女の人と遊んでいた。 それを冷たい目で見ていたのが、恋人のカイルだった。
「初めて会った時は、私にも冷たかったもんね……まあ、私も喧嘩腰だったけど」
瘴気を浄化する能力が上達してきた頃、私が暮らしている教会に、一人の騎士がやってきた。
「王都から来た、カイル・ラドニーです。ここに瘴気を浄化する聖女がいると聞いてやってきたのだが、どこだろうか? この部屋にいると言われたのだが」
「えっと、あの、私がそうですけど、どんなご用でしょうか?」
目の前に立つその騎士は、私が聖女だと言うと、あからさまに疑いの目を向けてきた。 もしかして、今私が師匠のマッサージをしているのがいけないのだろうか? 今日はこの授業のために、聖女用の服ではなく、世話係のアメリさんと同じ服を着ている。
(教会の職員だと思われたのかな?)
それでも今の私は授業中で、手を止めるわけにはいかない。コツがわからなくなってしまうからだ。すると、その様子を見た騎士は、いっそう険しい顔でまた聞いてきた。
「……本当にあなたが、聖女なのか?」
「は、はあ……そうですけど」
もう一度そう答えるも、どうにも信用していない様子だ。すると、マッサージのためにうつぶせで寝転んでいた師匠が、ぶるぶると震え始め、しまいにはプッと吹き出してしまった。
「ハハハ! もうダメ! サクラ、何回言っても信じてもらえなくて、不憫すぎるだろ」
「だったら、師匠からこの人に言ってくださいよ。私が聖女だって!」
自分で言っておいてなんだけど、「私が聖女です」と宣言するのはむずがゆくて恥ずかしい。しかも途中で師匠が体を起こしてしまったから、今までやった授業がパーだ。 腹が立った私は、問題の騎士をジロリとにらんだ。
「それで、なんのご用でしょうか?」
「……国からの瘴気浄化の要請の書状を持ってきた。しかし、君が本物の聖女だとしても、とてもじゃないがやり遂げることはできないだろう。その旨、私から伝えておいてもいい」
「え?」
国からの書状というのもすごい情報だけど、その後に私を馬鹿にしたようなことを言わなかった?
(なんなの、この騎士! 私がどれだけ毎日頑張って、浄化の練習をしてると思ってるのよ!)
「ちょっと来てください!」
「お、おい。いきなり何をする!」
「いいから、来て!」
強引に騎士の腕をつかみ、私はずんずんと練習場に入っていく。そこには司教様が革袋に集めた瘴気がたくさんあり、私はいつもこれで浄化の練習をしていた。
(その成果を見せてやるんだから!)
袋をわしづかみにし、くるりと振り返る。私の行動に振り回されている騎士は、戸惑っているようで、目をぱちぱちさせていた。
「そこで見ててくださいね!」
「……ああ」
そっと革袋のひもを緩めると、一気に黒い瘴気があふれ出てきた。 私はそれを手ですくい、そっと自分の胸元へ持っていく。ゆっくり、あせらず。 師匠に言われた浄化のコツを頭の中で繰り返し、瘴気を体に取り込んでいく。 そしてゆっくりと息を吐き、浄化した清らかな「気」を空に放った。
私から放たれた、キラキラと光る聖魔力の粒が混ざったものは「聖気」と呼ばれている。その聖気が空に溶け込み、この国の結界に届けば成功だ。 私は空高く飛んでいった聖気を、にっこりと微笑みながら見つめていた。
(ほ~ら! 完璧にできたもんね! これで私が聖女だって信用してもらえるでしょう!)
騎士のほうを振り向き、自信満々の顔で「いかがでしたか?」と感想を聞いてみる。 きっと「あなたが聖女様だったのですね! 先ほどは無礼なことを!」なんて謝ってくれると思っていたのに、なぜか目の前の騎士は呆然としていて、何も言わない。
その反応の悪さに、私はある重要なことに気づいた。




