終章
エピローグです。
空を割って落ちてくる水の音が、幽翠の景色に染み渡る。
尹羝。
この世の中心。王母、義和の住まう絶海の孤島である。
「よう参ったの、陶王よ」
ふっくらとした唇から、まろやかな声が紡がれる。肉感的な容姿に似つかわしい、芳醇な声だった。義和は耿晨に向けていた視線を、数歩後ろにずらした。
「久しいの、傲蓮」
「僕としては、二度と会いたくなかったんだけどなぁ」
傲蓮――緋雲が顔を顰めながら頭をかいた。
「相変わらず、率直な男よの」
緋雲の暴言にも、さして気分を害した風も無く、義和が小首を傾けた。
「はて、たかだか四年の墨節で破れるほどの印でもなかった筈じゃが」
「僕だって分からないよ。二十年近く王気を遮る呪のかかった場所にいたせいなんじゃない?」
「そのようじゃな。お主ほどの男が捕らえられたと聞いたときは驚いたぞえ」
「誰かさんのお陰で、不自由な身の上だったからね」
緋雲が嫌味たっぷりに口を曲げた。耿晨は二人の……正確には二人とも人間ではないが、とにかく二人のやり取りを、意外に思った。
考えてみれば自分を封じた相手だ。緋雲でも恨まずにはいられないのだろう。
「お陰で陶はめちゃくちゃだ」
「だが緋雲。そもそもお前が捕まったから、話がややこしくなったんだ。緋雲ほどの力があれば、抜け出して乖王の元へ戻ることだってできただろう」
気にかかっていた疑問を投げかけると、緋雲が思いっきり心外そうに両手を揺らした。
「耿晨は天杖ってものが全然分かってないよ。自分の意思では指先一つ動かすことすら叶わない。王の意のままに、ただ妖力を使われるだけの存在なんだ。天杖の中にいる僕という生物を感じずに、ただの便利な扇と思ったまま、在位を終える王だって沢山いたよ」
緋雲の訴えに面食らう。そんな非人道的な……非生命道的な話があってよいのか。
固まった耿晨の視線の先で、緋雲は寂しげに笑った。
「でも、甘叙は違ったな。毎日僕に話しかけてくれた」
「そうか……」
耿晨は蜜柑色の美しい髪を、撫でた。
緋雲の幼い容姿は、生物として最も輝ける少年時代を楽しんでみたかった、緋雲の願望の現われなのかもしれないと、痛々しく思った。緋雲は少しだけ、寂しそうに頷いた。
「さて」
感傷に浸る二人に、義和の事務的な声がかけられた。
「陶王よ。儀式の準備が整うまで、しばらくゆっくりと休まれるが良かろう。屋敷に部屋を用意させようぞ。傲蓮、お主はわらわと伴に参れ。新たな印を授けよう」
緋雲の手が耿晨の袖を握り締めた。
耿晨は緋雲を背に庇いながら、義和に、天に向かって口を開いた。
「天禊を受ける前に、一つお願いがございます」
この世の理を打ち砕く要求を、耿晨は高らかに突きつけた。
「私の聖獣を勝手に封じるな」
完。
長い間お付き合いくださいましてありがとうございました。
テンポの遅い、重ったるい前半部分を辛抱強く読んでくださった方、ありがとうございました。




