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黎明の章 二 玲凛と蚩尤

乖王の壮絶な最期を回想しました

 苦い記憶に弾かれて、蚩尤は顔を上げた。


 耳鳴りがする。

 遠くで自分の叫び声が聞こえる。

 嘗て蚩尤の全てだった二人の名を叫ぶ声。


 激しい眩暈を覚えて、くず折れそうになり慌てて外郭がいかくに手を突く。

 甘叙の首から吹き上がる深紅と、無数の矢に貫かれた蘭晶の姿。


 倒れる蘭晶に駆け寄ることすらできなかった。


 決意に満ちた二人を前に、自分はなんと無力で愚鈍であったことか。

 四年間毎日夢に見た、蚩尤の世界が崩壊した瞬間の映像が脳裏に浮かんだ。


 背後に気配を感じ、振り向きざまに刀を抜く。鞘走りの火花の幽かな明かりが、見知った女の顔を映した。


 腕を組んだ玲凛が、呆れ顔で立っていた。


玲凛れいりんか」


 額の汗を感じながら刀を納める。

「手負いの獣みたいよ。余裕がなくって見てられないわ」

 玲凛はわざとらしく溜息をつくと、蚩尤の隣に並んだ。


「重たい風ね」


 隔壁かくへきを吹き上がってくる風が、二人の髪を揺らした。

 外郭の向こうは、黒夜の濃厚な闇で満ちていた。


耿晨こうしんはどうしてる」

「気になる? 今まで散々あの子の気持ちを無視し続けてきたくせに」


 飾りのない言葉に、蚩尤は押し黙る。


「もう。そんな顔されたら私が苛めてるみたいじゃないの。耿晨には松侶しょうろが付いてる。大丈夫よ」


 玲凛が持ってきた竹筒を差し出した。受け取ると暖かな湯気が顔を湿らせた。


填茶てんちゃよ。神経の疲れに効くの」


 促され一口含むと、確かに少し力が抜けたような気がした。

 黙して茶を飲む姿を、玲凛が無言で見ていた。


「さっきの話を聞いて思い出したんだけど、乖王は禅譲ぜんじょうではなく、弑逆しいぎゃくされたんじゃなかったかしら。下手人は確かりん

林昌りんしょう、字は蘭昌という」


 蘭昌。玲凛が口の中で名前を反芻した。


「許婚だった」


 玲凛が息を呑んで蚩尤を仰ぎ見た。

 大きな瞳が頬に注がれているのを感じながら、蚩尤は黒夜を見詰めた。


「―――――もう一つ訊いていいかしら」


 返事を返さない蚩尤を無視し、玲凛が続けた。


「あなたは何歳なの」


 沈黙が流れた。

 何気ない問いだったが、重たい問いだった。


 山を下り、崇山すうざんを目指した。

 それは崇山の主が、地尸ちしではなく、空尸くうしだったからだ。

 約束の日に、耿晨に真実を告げる役目を負うことは、地尸では不可能だったからだ。


 蚩尤は胸の中に溜まっていた四年分の錘を溜息に混ぜた。


「私の時が尽きたら、耿晨を頼む」

「お断りよ」


 玲凛の瞳には怒りの火が灯っていた。


「蚩尤が、私の想像力を最大限に稼動しても追い付かない程の、重たいものを背負ってきたんだろうってことは分かるわ。

 同情もするし、言いたかないけど、尊敬もする。

 でもね、それって蚩尤の勝手な都合よ。耿晨には何にも関係ないわ」


 玲凛の敢然とした声が、闇を掻き分けて胸に刺さった。


「敵も見方も死に絶えた空っぽの王宮に、一人送り込まれる耿晨の気持ちを少しでも考えた?

 黒夜で失われた沢山の命も、貴方の死も、全て自分のせいだと責め続けて生きていくあの子の気持ちが分からないの?

 登祚後も蚩尤がいて、一緒にその責め苦に耐えるというならまだ分かる。

 それが自分はとっとと先に逝って、後は全て耿晨任せなんて。私そんなの認めないわ」


「……っ考えたことが無かったと思うのかっ」


 気付いたときには両手で玲凛の細い肩を掴み、大声で叫んでいた。

 竹筒が落ちる固い音が響く。


 慈しみ、大切に育ててきた耿晨。

 逞しく真っ直ぐに育つ彼女を見て、何度も思った。

 彼女なら戦えるのではないかと。


 荒れ果てた国に心を痛める耿晨を見るにつけ、彼女が王になる日を夢見た。

 彼女の中に確かな王気を認める度に、跪きそうになる足を何度堪えたことか。

 寝息を立てる耿晨の寝台に向かい、叩頭し、詫び続けた黒夜が、どれほどあったことか。


 四年間、口にすることの禁じられた想いが溢れ出す。


「あいつが、傀儡の王になっても生きながらえようとする女に見えるかっ」


 そうであればいっそ、と考えたこと数千回。

 けれど耿晨なら、捉えられた瞬間、迷わず刀を取る。

 甘叙が二十年かけて出した結論を、一瞬で下してしまうだろう。


「あいつは、俺の全てだ!」


 玲凛は毅然と、負けない大声を返した。


「後世の人は言うでしょうね。昔蚩尤という、大悪党がいましたって。

 王を幽閉し、陶を黒夜に晒した極悪人。

 王は国を憂い、命を懸けて一人蚩尤を倒し、無事登極しましたって。

 それが蚩尤の描いた筋書きなんでしょ」


 背伸びをした玲凛が蚩尤の胸倉を掴んだ。


「誰も言わないみたいだから、私が言ってあげるわ。

 蚩尤、貴方はね。応新じゃなくて、自分が許せないのよ。

 なによ、世界中の不幸を一人で背負ってるみたいな顔して。

 悪いけど、蚩尤の思惑通りに動いてなんてあげないわ。

 蚩尤に都合があるように、私にだってあるの」


 玲凛の手に力が篭る。


「もう蚩尤も耿晨も私の一部なの。私自身なの。蚩尤に死なれると、私が困るの。

 何と言われようと、私は私の都合で、貴方の命を惜しむわ。惜しませてよ。

 死んで楽になろうなんて、調子良いこと考える前に、蚩尤の背負っている重たい荷物、少しでいいから私に譲りなさいよ」


 最後は投げつけるように言い放つと、蚩尤の胸を突き飛ばした。

 勢いで、蚩尤が力なく地面に尻を付いた。

 呆然と見上げた視線の先で、肩で息をする玲凛の顔が、ぐしゃりと涙で崩れた。


 袖で涙を拭いながら言う。


「……なによ。ちゃんと泣けるんじゃない」


 玲凛の言葉で、蚩尤は自分の頬を伝うものがあることに気付いた。


蚩尤には玲凛みたいな女性が似合うと思うんですよね。

尻に敷かれるタイプです。

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