薫風の章 九 晒された真実
作戦が成功し、全員集合しました。
馬から飛び降りた玲凛が、耿晨に駆け寄る。
乃器をはじめ数人の射士の姿もある。
その無傷の姿を見て、耿晨は安堵の笑顔をもらした。
「玲凛。丁度今終わったところだ」
振り返り、玲凛の笑顔を迎える。
「危ない」
背後から大維の叫び声が飛んできた。
玲凛が目を見開き、耿晨の腕を引っ張った。
引かれた不自然な体勢で、目の端に獣の形相をした宋興の姿がかすった。
玲凛の声にならない叫びが闇を切り裂く。
宋興の刀が耿晨の背に振り下ろされる。
反応が遅れたのは、玲凛により片手を塞がれていたから。
太刀筋にいる玲凛を突き飛ばすと、耿晨は身をよじった。
刀は耿晨の上着を切り裂き、地面に突き刺さった。
皮一枚で斬撃を避けた耿晨は、回転の勢いのまま、刀を振り抜いた。
血飛沫とともに、宋興の頭部が吹き飛んだ。
頭部を失った身体が、どす黒い血潮を吹き上げながら、ゆっくりと前に崩れた。
噴出す鮮血が、耿晨の全身を赤く染めた。
背後で玲凛の、声にならない荒い息遣いが聞こえる。
刀を腰に戻しながら、玲凛に向き直る。
自失した玲凛は大きな瞳をさらに見開き、恐怖からか瞳孔も揺れていた。
「耿晨……」
「突き飛ばしてすまない。あそこは太刀筋だったんだ」
差し出した手を、玲凛はとらなかった。
腰を抜かしたように座り込んだまま、震える指先を耿晨に向けた。
怨嗟の返り血を浴びた身では仕方がない。
耿晨は切ない思いで口元をゆがめた。
きっと今自分は鬼のような姿をしているのだろう。
「耿晨……お前」
背後から、取り乱した大維の声が飛んできた。
振り返れば大維も乃器も驚愕した顔で、こちらを指差している。
いぶかしみながら視線を玲凛に戻す。
玲凛は、はっきりと耿晨の背を指差していた。
「耿晨……それ」
服が裂け、露になった蓮の花。
「ああ、墨か。驚かせてすまなかった。昔彫られたんだ」
肩を竦める耿晨に、玲凛が震えるように首を振った。
「……」
「え?」
玲凛の呟きを聞き返したとき、緋雲が叫び声をあげた。
「うわああああああああああ」
長い長い叫び声。まるで獣の咆哮のような叫声は、雷のように空気を揺らした。
緋雲は焦点の定まらぬ目で叫び続けていた。瞳孔が開いているようにも見える。
「どうしたんだ、緋雲。しっかりしろ」
まるで命を消耗しているような悲鳴。
肩をつかむ耿晨の手を振り解くようにもがく緋雲を、必死で押さえつける。
信じがたい力で暴れる緋雲の爪が、耿晨の頬に赤い線を描いた。
「くっ」
手を振り解かれそうになったとき、脇から玲凛が飛び出してきた。
「緋雲、しっかりして!」
がむしゃらに緋雲にしがみ付いていた。
暴れる緋雲の肘が玲凛の頭を殴る。
それでも玲凛は硬く目を瞑り、必死に緋雲を抱きしめ続けていた。
苦しみ身を捩る緋雲を、二人がかりで押さえ込む。
大きく開かれた口から、瞳から、放出される緋雲の悲しみが、耿晨の中に雪崩れ込んでくる。
吐き気を覚えるほどの悲しみの波と共に、見覚えのない映像が頭の中に嵐のような速度で次々と映し出された。
見知らぬ風景、見知らぬ人々。
「緋雲、正気に戻れ」
流れ込んでくる意識に、魂ごと押し流されそうになる。
耿晨は大声で緋雲の名を呼ぶことで、何とか正気を保った。
緋雲は尚も叫び、叫び―――――そして命を燃やし尽くしたかのように、突然意識を失った。
「緋雲……お前……」
見えた映像は、きっと緋雲の失っていた記憶。
崩れ落ちる緋雲に巻き込まれ、玲凛の身体が傾く。
二人分の体重に引かれ、三人もろとも地面に倒れこんだ。
二人同時に緋雲を覗き込む。口元に耳を近づけると、わずかな呼吸を感じることができた。
耿晨と玲凛は、泥水に汚れた顔を見合わせると、安堵の微笑を交わした。
「玲凛、泥饅頭みたいだぞ」
玲凛の腕を引き、立ち上がる。
泥水を含み、重たくなった服の裾を乱暴に絞った。
夜杉へ顔を向けると、仲間たちが幽霊でも見たような顔で立ち尽くしていた。
宋興の遺体の傍に佇む松侶に目を向ける。
松侶は自分の心の中を見ているような目をしていた。
松侶はやがて、納得したように口の端を上げると、佩いていた刀を腰から外した。
そっと大刀を地面に突き、―――――――――耿晨に向かって膝を折った。
それが何かの合図だったかのように、その場にいた人々が、言葉もなく、ただ跪いていった。
まるで大きな波紋が広がるような、自然に起きた流れだった。
――――――――耿晨は波紋の中心にいた。
「……何の真似だ?」
問いかけにも、誰一人言葉を返す者はいなかった。
戸惑う耿晨の肩に、ふっと暖かな体温が触れた。
すぐ隣に玲凛がいた。
目が会うと、玲凛は口を開きかけ、躊躇った末に再び閉じた。
視線だけで聞き返すと、玲凛は困ったように微笑みながら、ちょっと首を曲げた。
耿晨の肩に置かれた指が、ゆっくりと後ろに滑った。
白い指のしなやかな動きは、耿晨の左肩甲骨の辺りで止まった。
「耿晨……」
「うん?」
すぐ間近にある、玲凛の白い顔に向かって首を傾げる。
吐息すら届きそうな距離で、玲凛が静かに告げた。
「あなたが……陶の新王よ」
「なんのことだ?」
苦笑交じりに返した言葉は、玲凛の真剣な瞳に飲み込まれた。
背に回された玲凛の指先に、少しだけ力がこもる。
「蓮の花の中に、聖紋が出ているわ」
戸惑い、戻した視線の先に、耿晨を見つめる仲間の姿があった。
跪いたままの姿勢で、松侶が口の端をあげて肯定した。
乃器にいたっては涙を流している。
蓮の花に聖紋?
そんなはずはない。刺青を入れたのは黒夜になってからだ。
赤の月が何度も空を横切った後だった。
彫師は何故気付かなかった。
いや、気付いていたんだ。刺青を入れるように指示をしたのは……。
あなたが陶の新王よ…




