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薫風の章 一 作戦開始

新章です。

反乱の章ですね。

 その日、高苑こうえんに戻った宋興そうきょう一行は、邑門ゆうもんに佇む一人の少女を見つけた。


 閉門の時間が迫っているにも関わらず、門を潜らず、困惑したように立ち尽くしている。

 しゃのように薄い、白銀の着物を着込んだ少女。

 結い上げた見事な銀碧の髪に、珊瑚の簪が揺れる。


 誰何すいかすれば、過傅かはくを奪われ、入るに入れず立ち往生していると言う。

 孔雀石のような濡れた翠の瞳を、けぶるような長い睫が伏目がちに彩る。

 桜色の小さな唇は、艶めきながらも緊張の為か、小さく震えているようだった。


 輿の御簾越しでも漂ってくる、立ち上る色香に宋興は生唾を呑みこんだ。


 誘うと、目を潤ませて礼を述べ、躊躇いがちに輿に乗り込んできた。

 隣に座らせると、少女のものとは思えないほど、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 ほっそりとした腿に手を這わせると、少女は一瞬身体を震わせて、羞恥で頬を染めて俯いた。


 その拍子に、宋興の目の前に、少女の折れそうな程細い、真っ白な首筋が飛び込んできた。

 吸い付きたくなる衝動を堪える。


(まだだ。官邸に戻り、月雫を与えてからだ。)


 この精錬な清水のような少女の、狂う様が見たい。


 官邸に戻ると、宋興は少女を抱え上げ、転び込むような勢いで寝室へと駆け込んだ。

 少女も抵抗する様子もなく、宋興の首に手を回して、大人しく運ばれていた。


 乱暴に寝室の戸を閉めた後、宋興は長椅子に少女を下ろした。

 しどけなく身を横たえる少女は、幼さと艶めかしさという相反する魅力を放っていた。

 乱暴に扱ったせいで、少し乱れた銀翠の髪が首筋にかかり、壮絶にあだっぽい。


 その細い身体を、覆いかぶさるように抱きすくめると、


「あ……」


 と小さな唇から、吐息が漏れた。


 堪らず宋興は、少女の陶器のように肌理細かな、美しい曲線を描く首筋に唇を這わせた。

 少女の肌を舌で味わった瞬間、首筋に鋭い衝撃を受けた。 

 宋興は夢見心地のまま意識を手放した。


「――――――虫唾が走る」


 耿晨こうしんは馬乗りになっている宋興を蹴り落とすと、首筋を手で拭きながら、忌々しげに呟いた。


 金輪際、こんな役目はご免だと、悪寒に身を震わせながら唾を吐いた。

 途中何度殴り飛ばしてやろうと思ったか分からない。

 今も蹴りを入れてやりたいが、戸のすぐ外には護衛が控えている。

 大きな音を立てるわけにはいかなかった。


「目が覚めたら、絶対腹に一発ぶち込んでやる」


 心に誓いながら、足元に転がる宋興を、蹴って転がした。


 乱暴に簪を抜き取り、玲凛の手によって、見事に結い上げられていた髪を解く。


玲凛れいりん、やりすぎだ。重たくて肩がこるかと思ったぞ」


 髪を豪快に掻き毟りながら、ぼやいた。

 施したこともない化粧のせいで、お面を被ったような違和感が顔中に張り付いていた。

 耿晨は手の甲で口紅をふき取ると、窓から合図を送る。

 箪笥を漁り、見つけた紐で宋興を縛り上げた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 耿晨が宋興の輿に乗って高苑に入っていってから半刻が経過した。

 先程まで凪いでいた空気が動き出した。


 高苑から半里ほど離れた森の中、緋雲ひうんは一人、丘に立ち、向かい風に髪を洗いながら龍姪りゅうてつの白い首筋を撫でた。


 風に揺れる木々の葉擦れの音が、波のように間断なく緋雲を包んだ。

 緋雲の背後には十を越える大小様々な妖獣が集結していた。


半刻を過ぎたら攻撃を開始しろ。


 蚩尤が去り際に言い置いていった言葉だった。


―――――多少の血は流れることを覚悟しろ。獣にも、人にもだ。


 今回の作戦で、この役目は緋雲にしかできないことも、どれだけ作戦の中で重要な位置を占めることなのかも理解していた。

 名乗り出たのは緋雲自身だ。


「こんな莫迦みたいな争い、無くなればいいのにね」


 龍姪の首に腕を回し、闇に浮かぶ高苑を見下ろした。

 緋雲を抱きしめて口にした、耿晨の囁きが耳に蘇る。


―――――辛いなら心を殺せ。今夜、緋雲は緋雲じゃない。ただの獣だ。人間に愚かしさを知らしめる為に天が使わした獣だと思うんだ。私も、そう思うことにした。


 そろそろ行かなければならない。

 緋雲は顔を上げると、龍姪の背に飛び乗った。

 強風が吹いてくる。

 紅緋の目が強く光った。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 卯門うもんから獣の咆哮と伴に、叫換が聞こえてきた。

 激しく鳴り響く銅鑼の音、隔壁かくへきの上を県尉けんいたちが慌しく駆け抜けていく。


「始まったな」


 高苑の西。

 枯れた田の脇に立つ巨木に背を預けていた蚩尤しゆうが東を臨んで呟いた。


「緋雲には一番似合わない役回りをさせてしまったな」


 そうだね、と松侶しょうろ天犬てんけんに身を預けたまま、同意した。


「でも似合わないと言ったら、耿晨もだろう。それは見事な淑女ぶりだったよ。蚩尤も一目拝んでおけば良かったのに」


声を震わせる松侶に、蚩尤はこれ見よがしに冷めた視線を送った。


「楽しそうだな」

「そうだね。私自身意外だったが、確かに私は少し楽しんでいるようだ」


 幸せそうに目元を緩める、その琥珀色を蚩尤は覗き込んだ。

 松侶を見て、どうして敵対心が沸いてきたのかやっと得心がいった。

 何故だか闘争心を掻き立てられる淡い琥珀。それは嘗て友が持っていた色だった。


(いや、松侶の方が黄が強い、か)


 見詰められた松侶が、可笑しそうに訊いて来た。


「私の顔に何か付いているかな?」

「いや。やはりお前は親父に似ている、と思ってな」

「嬉しくないなぁ、それ」


 松侶は思い切り顔を顰めた。

 けれど本心から嫌がっているようには見えなかった。

 何よりその喰えない雰囲気が似ていると懐かしさに目を瞑った。


「その天犬、本当はどうしたんだ」

「本当に他国からの借り物だよ。少し他の国も見ておこうかと思って、二年ほど王宮に世話になったんだ」


 なるほどな、と納得する。

 真如しんじょは約束を果たすため、我が子に砂漠すら越えさせたということか。


 胸の奥から込み上げてくるものがある。

 熱く固いそれは、喜びでもあり、安堵でもあり、誇らしさでもあった。

 真如と袂を分かってからどれほどの年月が過ぎただろう。

 それでも、同じ目的に身を賭すことができた。


「刀はどれくらい使える」

「君の教え子と同程度だよ。不服かい?」

「いや、十分だ」


 そういえば真如はからきし刀は駄目だったなと思い出す。

 多少は覚えろと苦言を呈する蚩尤に『それでは君の不要になってしまうな』と取り合わなかった。


「それにしても、君が弟子を取るとは意外だったな。どこで拾ったんだい?」

先生の忘れ形見さ。黒夜の前からの付き合いだ」

「宋塾のお嬢さんか。それでは先王への恨みは深いだろうね」

 それはもう、と蚩尤は渋く頷く。


 一瞬落ちた静寂。風が通り抜けるような短い沈黙の後、蚩尤はゆっくりと口を開いた。


「他に訊きたいことがあるんじゃないのか」


 松侶は一瞬だけ真顔になったあと、すぐに眼光を緩めた。


「父が問わずに逝った内容を、私が訊くのは気が咎めるな。それに、答えは自分で見つけたほうが面白い。どうせ―――――」


 松侶は纏め終わった髪を指で弾いて背中に回した。


「もう、そう長くはかからないだろう?」


 その通りだ。長かった贖罪の日々ももうすぐ終わる。


 西の角桜からも数人が飛び出して行く姿を闇に認めて、蚩尤は凭れていた木から背を起こした。


「そろそろだな」


 松侶も大きく伸びをすると天犬に手を添えた。


「行こうか。いい風も吹いてきた」

耿晨は着飾ると美人なんですね

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