五色の章 十一 作戦直前2 蚩尤と緋雲と松絽
決行直前、男の会話
漆黒の森の中、光苔で仄かに光る木々に向かい、緋雲が大きく手を広げた。
一陣の風が吹き、夜目にも目立つ燃えるような緋色の髪を揺らす。
緋雲の前に姿を現したのは白い狐。
その白い首筋にしがみ付く緋雲の姿が夜の闇に浮かぶ。
「本当に来たな……」
緋雲が妖獣と戯れる光景を目の当たりにして、蚩尤が唸った。
妖獣の喉元に額を押し付けていた緋雲は、得意げに蚩尤に向いた。
「だから言ったでしょ。大丈夫。協力してくれるってさ」
闇の奥には、松侶が倒木に腰掛けた姿が見える。
その横には天犬。
松侶の騎獣の赤い妖獣だった。
男三人は、陽動の仕込をするために、高苑から程近い森に赴いていた。
夜風に洗われながら、妖獣とじゃれあう緋雲の姿を、蚩尤は不思議な感慨を持って眺めた。
猟犬や鳶などの賢い動物は、良く馴らせば人間の意を酌んで行動する。
そうやって、獣を馴らす業を生業とする者もいる。
確かに妖獣は、犬や馬などよりも遥かに知能が高い。
それでも、妖獣を馴らすのに成功した話は聞かない。
――――――妖獣は黒夜の生き物だからだ。
人間を忌み嫌っている。天敵である以上、馴れることなど有り得ない。
だが、目の前の少年は何だ。
妖獣と心を通わせる人間がいるなど、いったい誰が想像しただろう。
松侶が静かに緋雲に語りかけた。
「君は一体何者なんだい」
松侶の探るような瞳に、緋雲は申し訳なさそうに首を振った。
蜜柑色の髪が夜風に揺れる。
「僕もそれが知りたいんだ。僕って何なんだろう」
松侶が疑問符をつけた上目遣いの視線を蚩尤に送ってきた。
記憶がないらしい、と手短に説明する。
「君はそれを信じているのかい」
緋雲に聞こえない程度の音量で、松侶が訊いてきた。
少し呆れを含んだ声色だった。
松侶の言う通り、緋雲は怪しさ満載だ。
全面的に信じるのは無用心なのかもしれない。
だが何故か、緋雲に疑いの目を向けようとは、微塵も思えなかった。
「私情は禁物だよ」
「お前のことは、ちゃんと疑ってかかっているから安心しろ」
「なんだかなぁ」
松侶がわざとらしく、傷ついた声を上げた。
松侶の嘆きの声は、緋雲の耳に届いたようで、龍姪を導きながら近づいてきた。
少し物問いたげな表情に、誘い水をかけてやる。
「どうした緋雲」
緋雲は、何度か逡巡の態を見せた。
松侶のほうをチラチラと見ている。
松侶は例によって、飄々と肩を竦めた。
「前にも言ったけど、私は口は固いほうだよ」
席を外す気は一切ないらしい。
「お前の図々しさは、一種の才能だな」
「それはどうも」
恭しく頭を下げてみせる松侶を無視して、蚩尤は緋雲に向き直った。
「あのね、蚩尤」
龍姪に寄りかかったまま、緋雲が躊躇いがちに切り出した。
「蚩尤は湖詠を知っている?」
「無論、名前は知っているが、面識はないな。何故だ?」
「湖詠がね。旅に出る前に耳打ちしてくれたんだ。もし旅先で蚩尤という黒髪の男に会ったら、しばらく行動を伴にしてみろって」
蚩尤は驚いて首を捻った。全く身に覚えがない。
考え込む蚩尤に、緋雲はさらに続けた。
「あと、湖詠から伝言があるよ。えっとね。蚩尤はもう心配しなくて良いって。これの意味分かる?」
蚩尤はただ首を横に振るしかなかった。
「いや、悪いが全く分からない」
湖詠ほどの高名な空尸であれば、蚩尤の名を知っていたとしても不思議ではない。
だが蚩尤の抱え持つ苦悩の内容までを見通していたとは思えない。
純朴な瞳で見上げてくる、緋雲を見つめ返す。
何故湖詠は、玲凛ではなく緋雲に伝言を託したのか。
なんとなく、空尸はこの少年の正体を知っていたような感じを受ける。
空尸の持つ膨大な知識と洞察力を持てば、緋雲が何者か判ったと言うのだろうか。
「湖詠殿は他に何か言っていたか」
緋雲は躊躇ったあと、言い難そうに小声で告げた。
「蚩尤は、陶で最も大きな罪を背負ってる男だって……」
息が止まった。
常に罪の意識に苛まれてきたが、第三者から指摘されたのは、これが初めてだった。
「言い得てるね。さすが空尸だ」
松侶が訳知り顔で口を挟んだ。
「一本気な莫迦ってのは、恐ろしいな。単細胞ゆえに他事を排除できるもんだから、己の罪深ささえ耐えれてしまう。だからこそ信用に値する」
松侶がいきなり、妙なことを口走りはじめた。
くすくすと、乾いた声で忍び笑う姿は、どこか異様にも思えた。
「何を言ってる」
怪訝な思いで問いただすと、松侶はすぐに笑いを引っ込めた。
少しの沈黙の後、松侶のものにしては、低く寂しげな声がかかった。
「――――――私も、君に伝言がある」
長い琥珀の髪が、表情を覆い隠していた。
蚩尤は警戒しながら、慎重に訊いた。
「誰からだ」
湿気を多く含んだ夜風が、足元の枯葉を運んでいった。
風に言葉を乗せるようにそっと、松侶が口を開いた。
「――――――父から」
「父……?」
思いがけない単語に戸惑う蚩尤を他所に、松侶は淡々と続けた。
「約束通り息子を用意した。好きに使え、だそうだ。全く。人を物扱いして頭に来るよ」
一陣の風が、頬を叩くように吹き抜けた。
松侶の言葉に呼び起こされた古い記憶が、蚩尤の視界をぐにゃりと溶かした。
―――――――もう一人、子を作ろうと思う。
遠い過去に友から聞いた言葉が、頭の中で木霊する。
「……真如」
穏やかな琥珀の瞳をした、在りし日の友の姿が松侶に重なる。
蚩尤は頭を掻き毟った。
松絽は、蚩尤の友、真如の忘れ形見だったんですね。




