五色の章 六 君たちに聖紋は出ているかな?
顕光を説得に行きます
語り部ここから耿晨
戸の後ろで玲凛を宥める蚩尤の不器用な声が聞こえてくる。
玲凛も納得はしているが、蚩尤に指摘されるのは腹立たしいというところだろう。
あれはあれで気が合っているのだろう、と耿晨は頬を緩ませた。
「玲凛が駄々を捏ねてるね」
腕の下から緋雲が上目遣いに微笑んできた。
「まあね、可愛いな」
「うん。玲凛は本当に可愛いんだ」
「緋雲に言われたら玲凛も形無しだな」
不思議そうに首を傾げる緋雲の蜜柑色の頭をガシガシと撫でる。
「緋雲も相当可愛い」
微笑むと、緋雲が頬を染めて手を振り払った。
「そんなの、嬉しくないよ」
不満顔で抗議する緋雲に、耿晨は目元を緩めた。
(本当に可愛い二人だ)
一緒にいるだけで、こちらまで晴れやかな気持ちになる。
戦う力が湧いてくるようだ、と頬を緩めた。
「凄い二人だな」
独白が口をついて出た。
緋雲が聞き返すように首を傾げる。
耿晨は軽く頭を振ると、緋雲の背を優しく促した。
(こんなに早く出会えるとは思っていなかったな)
耿晨は手配書を思い出していた。
あの手配書が指していたのは間違いなく玲凛だろう。
手配書の人物が王だと安易に信じていたわけではなかったが、実際に玲凛に会って、耿晨は何故かしっくりと腑に落ちた。
確かに玲凛なら、王と間違われても仕方がない。
いや、もしかすると本当に王なのかもしれない。
高苑は夜に花咲く白夜の雅。
そう唄われるに相応しい時間が訪れつつあった。
通りの灯篭は赤や緑といった様々な色に煌き、今が墨節だと忘れそうになる。
並んで歩いていると、夜目でも目立つ赤と緑の色が、人目を引いた。
嫌でも集まる視線に、緋雲を伴に選んだのは、軽率だったかもしれない、とほんの少しだけ後悔した。
緋雲はそんな視線など気にする風もなく、ゆったりした足取りで進む。
その後ろを先程の野良猫が付かず離れずで付き従っていた。
野良猫の揺れる鍵尻尾を眺めていると、緋雲が遠慮がちに呟いた。
「僕、耿晨といると懐かしい気分になるよ。耿晨の記憶の中に、僕はやっぱりいないの」
「ないな」
目に見えて項垂れる緋雲に、申し訳ない気分になる。
耿晨は少し取り繕い気味に、けれど本心を口にした。
「でも、私も緋雲といると懐かしさを感じる」
「ほんと?」
期待を込めて顔を上げる緋雲に、慌てて付け足す。
「尤も、私の場合は理由ははっきりしている。私は森の中で暮らしていたんだが、長い間暮らしていると、森も私を森の一部だと認めてくれるようになる。小さな狸や鳥なんかは、結構顔馴染みになった。緋雲を見ていると、森の友達を思い出す」
「それって……、僕が動物っぽいって言ってる?」
「動物に似ているというよりは、人間臭くない、と言った感じだ」
緋雲は複雑そうに眉と目を寄せた。
「多分、僕今怒って良い場面だと思うんだけど。不思議と嫌な気はしないなぁ」
「褒めたつもりだぞ。有り難く受け取ってくれ」
心外な思いでそう告げても、緋雲は納得いかないような顔をしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
大通りのぶつかる場所に里府があった。
顕光は今、里正だというから、里府の中に居を構えている筈だった。
耿晨は里の北側の土塁の外に立った。
介添えが必要かと思ったが、緋雲も難なく上がってきた。
「耿晨、あそこ」
声を顰めて、緋雲が里府のある一点を指差した。
西際の窓から漏れ出した灯が、闇を薄めていた。
近づいてみると玻璃を嵌め込んだ吐き出し窓で、施錠もされていない。
玻璃越しに中を窺ってみる。
人の気配はするものの、目が捉える範囲には人影はなかった。
親指を立てて玻璃の奥を指差した。
「行こう」
口の形だけで伝え、窓を押して足を踏み入れた。
その瞬間、ふっと居室の灯が消えた。
反射的に、緋雲を壁に押し付ける。
辺りは闇。
完全に視野を奪われた中、背後に気配を感じた。
刹那。――――――空気が切り裂かれた。
抜刀する余裕は無かった。
鞘から僅かに刀を引き抜き、刀身で斬撃を受け止める。
手首が痺れる程の衝撃が襲う。
鋼の蒔いた火花が、一瞬寄せ手の輪郭を浮かび上がらせた。
後方に飛び退きながら、双刀を鞘走らせる。
抜刀が産んだ小さな火花は、闇の潜む剣客に自分の居場所を伝えてしまった。
失態に舌打ちする間もなく、二撃目が飛んできた。
翠糸が一房宙に落ちる。
身を反らせ避けると同時にかけた足払いは、僅かに相手の裾を掠った。
(速い)
崩れた態勢の頭上に刀が振り下ろされる。
耿晨は交差させた双刀で受け止めた。
敵の刀身を挟んだ双刀が、鋼の擦れる甲高い音を響かせた。
双刀を持つ手に力を込め、一息で両手を広げ下ろす。敵の刀を弾き飛ばす、双刀特有の技だ。
だが相手の刀を弾き飛ばす直前に、手に伝わる抵抗が消えた。
耿晨は気配と音を頼りに、一気に間合いを詰める。
一合、二合、切り結び、互いに飛び退って距離を取った。
着地する振動と伴に、一瞬に凪いだ空気。
闇が静寂を落とした。
一切の光のない部屋の中、互いの息遣いだけが空気を揺らした。
――――――数手刃を合わせれば実力は分かる。
闇の向こうにいる剣客は、耿晨の腕と拮抗している。
ここが屋外であればまだしも、狭い居室の中では、機動力を武器にする耿晨は本来の力が出せない。
(私がやや不利か。だが……)
耿晨は全身の肌で室内の空気を確かめる。
数刻の沈黙の後、どちらからともなく、――――――刀を鞘に戻した。
暗闇の奥から、くすりと笑む音と一緒に、場違いに明るい声が聞こえた。
「刺客じゃないみたいだね」
――――――――――――――――――――――――――――――
再び明るくなった居室には、琥珀色の優男が人好きのする笑みを浮かべて立っていた。
年は二十歳を越えた辺りだろうか。
身なりはかなり良い部類に入るだろう。
(ではこの男が顕光か?)
無意識に壮年の男性を想像していたため、耿晨は内心驚いた。
道を知り、民から慕われる為政者と、目の前の男が結びつかない。
ふと、男の高級そうな絹の袍の裾に裂け目があるのに気付き、耿晨は素直に詫びた。
「すまない。袍を駄目にしてしまったようだな」
男は明朗な笑顔を見せた。
「いや。刺客と誤解した私のせいだよ。君こそ怪我はないかい。っと、君ほどの腕の人に聞くのも失礼かな」
「それは嘘だろう」
男の目を真っ直ぐに見ながら耿晨が断言した。
男は瞬いた後、可笑しそうに目を細める。
「どうしてそう思うんだい?」
「最初から殺気がなかった。私に殺気がないのに気付いてから、というなら分かるが、一太刀目からだったからな」
男は軽く声をあげて笑った。
「成程。たいしたお嬢さんだ」
否定しないんだな、と耿晨は奇妙な思いで男の整った笑顔を見詰めた。
男は二人に椅子を勧めながら、長椅子にゆったり腰をかけた。
「それで。何の用でこんな所に忍んで来たのかな」
「顕光という人に会いに来たのだが」
男は首を傾げて微笑んだ。
「ここは顕光の居宅だと思ったが」
「でもあなたは顕光じゃないだろう。奥に人の気配がある。その方が顕光じゃないのか?」
男は大きく笑って、降参の形に両手を挙げた。
「参ったよ、正解だ。用件を聞いてからと思ったんだが仕方ない。待っててごらん。今顕光殿を連れてきて上げる」
あっさりと認めると、男は立ち上がり、軽い足取りで奥に向かった。
その細い背に、緋雲が声を掛けた。
「ねえ。お兄さんの名前は何ていうの?」
「そうだねぇ。教える前に、私も一つ質問していいかな」
二人が無言で頷く姿を、男は満足そうに眺めて、不思議な笑みを浮かべた。
「君たちに聖紋は出ているかな?」
聞き覚えのある台詞ですね
覚えてない方は紫紺の章六をご覧ください




