五色の章 四 私たちは謀反を起こす
邑の問題が浮き彫りに
語り部玲凛
緋雲の持ち戻った解毒の生薬を呑ませても、玉葉の呼吸は一向に収まりを見せなかった。
仕方なく蚩尤に手伝ってもらい、何度も水を飲ませた。わいてくる汗を丁寧にふき取る。
「医の経験があるのか?」
蚩尤が意外そうに訊いて来た。
「所作が慣れている」
「いいえ。ただ湖詠……医師みたいな人に育てられたから、自然とね」
「湖詠とは、あの白銀の静巌か」
そうよ、とこだわりなく答えた。
自分を見る蚩尤の視線が、観察するそれに変化したのには気付いたが、構っている場合じゃなかった。
やがて小康状態に入ったのか、呼吸が徐々に落ち着きはじめた。
小さく震える唇に、疑念はさらに深まった。
「ねえ玉葉さん。宋興の邸で何か変なことなかった?」
玉葉の反応はない。細かい息遣いだけが聞こえる。
言葉を発する力が無いのだろう。玲凛はさらに続けた。
「変な香を嗅がされなかった?」
反応はない。
「変な液体を呑まされたことは?」
玉葉が小さく震えた。是、という意味のようだ。
(外道だわ)
玲凛は頭を抱え、拳を握った。
「何色の液体だったか覚えてる? 頷いてくれるだけで良いから。その液体は赤?」
反応はない。玲凛は記憶を手繰りながら幾つかの色を口にした。
この状態はおそらく媚薬の禁断症状だ。
湖詠の蔵書にあった媚薬の書。気体に比べ、液体はそう多くはなかったはずだ。
―――――――――――――
ゆらゆらと、怒りを纏いながら戻った居間では、玲凛と同等の、若しくはそれ以上の剣呑さを放つ耿晨がいた。
先程まで立っていた男たちも、みな思い思いの場所に腰を下ろして、肩を震わせている。
耿晨は腰を下ろした円卓に片足を上げ、じっと空を睨みつけている。
その傍らに立ちながら、蚩尤が訊いた。
「……何があった」
蚩尤の問いに誰も返事を返さない。
しんとした中、やっと耿晨が忌々しげに口を開いた。
「宋興に連れ去られた女は、みんな半年か一年ほど経つと遺体が里に戻されるんだそうだ」
吐き捨てた耿晨の言葉を、大維が継いだ。
「病で死んだとだけ告げられる。遺体は体中、痣だらけの場合も多いから、暴行を受けているんだろうとは思っていた。だが玉葉はまだ召し上げられて一月だ。あんなに衰弱するなんて異常じゃねぇか」
玲凛は舌打ちすると、重力を増した空気を切り裂くように言い放った。
「当然よ。媚薬を与えられているんだから」
面食らったような面々の中、玲凛は県尉にぴたりと視線を合わせた。
「あれは禁断症状よ。まだ幻覚が現れる程じゃないみたいだけど。――一つ質問なんだけど。玉葉が与えられた薬、あなたは見たことがあるかしら? 色は?」
県尉が苦しげに頷く。
「ちらりと見ただけだが、確か青かった」
「それ、薄い青だった? 空のような色?」
「……ああ。そんなのだったな。空よりはもう少し濃かった気もするが」
「っこの、外道!」
玲凛は手を上げて県尉に掴みかかろうとした。
激情のまま振り上げた手は、だけど緋雲によって止められた。
「放してよ緋雲。許せないわ」
叫び暴れる玲凛の手を、緋雲は両の掌で柔らかく包み込んだ。
「玲凛。その人は悪くないよ」
「でも……」
悔しさを滲ませる玲凛に、県尉が恐る恐ると言った態で訊いた。
「顕光様が去られてから見るようになった薬だ。宋興様が女に伽を命じるとき必ず用意させると聞いた。どんな代物かは想像はつく。がそれが死と関係があるのか」
玲凛は怒りに任せて足の裏を地面に何度も叩き付けた。
「あるに決まってるでしょ。宋興が使っているのはおそらく月雫よ。黒夜の植物牛傷から作られるの。月雫はね、五感の中の触覚だけを極端に研ぎ澄ますの。他の感覚を全て殺してしまう。体中の機能を下げて、ただ触覚だけ残る生き物にしちゃうの。そりゃあ効果は絶大で、余程具合が良いって一時期物凄く出回ったらしいわ。でも、月雫は常習すると腑も弱らせて、蝋燭が燃え尽きるみたいに、心の臓が止まっちゃうのよ。あまりにも危険だと大昔に根絶やしにされた筈なのに、長引く黒夜でまた出回ったのね」
体中から湯気を出しそうなほど激高する玲凛の強烈な言葉に、誰もが固唾を呑んだ。
言葉を失った固い空気の中、玲凛一人が爪を噛みながらうろうろと部屋の中を歩き回った。
「取り合えず薬を経てば、病状の進行は止まるとしても、弱ってしまった腑はどうやって戻せばいいのかしら。自然治癒を待ってても大丈夫なのかしら。身体の中から薬を排出できれば良いんだけど。そんな記述あったかしら」
ぶつぶつと呟きながら忙しなく歩き回る玲凛を、大維たちが呆然と眺める。
玲凛の後ろを阿雪も一緒になって歩き回る。
「おい、嬢ちゃん、まさか玉葉を治療しようってんじゃないだろうな」
玲凛は不愉快を隠そうともせず眉を上げた。
「当たり前じゃない。それとも何? 玉葉が受けている仕打ちを知ってもなお、送り返そうってわけ? この人でなし」
罵声に邑人たちが立ち上がる。
「ふざけるな。騒ぎを起こして逃げ出せばいいお前らと違って、俺らはここで生きていかなきゃならねぇんだ。薄っぺらな正義振り回してねぇで、とっとと消えろ」
「人を世間知らずみたいに言わないで。力を合わせて宋興を討とうとは思わないの。腰抜けね」
「黙れ、余所者に知った顔されたくねぇ。宋興一人討っても、何にも変わりゃしねぇんだ」
「やってみなくちゃ分からないじゃない」
「やってみなくても分かる。それが分からない所が余所者だって言うんだ。出て行け」
無益とも思える罵声の応酬に、耿晨の静かな声が割って入った。
「彼らの言う通りだ。玲凛と緋雲は、早く此処を出たほうがいい」
味方になってくれると思っていた耿晨の通告に、玲凛よりも先に緋雲が声を荒げた。
「なんでだよ」
耿晨は立てていた片膝を下ろすと、前かがみになって膝の上で指を組んだ。
「月雫の話を聞いてしまった以上、私たちはここで事を起こす。私の傍にいては玲凛たちも危険だ」
「おい、何勝手言ってるんだ」
異議を唱える大維に耿晨は肩を竦める。
「この人たちが及び腰なのも助かる。やる気を出されても、護ってやる自信がないからな。私たちは余所者だ。ならば余所者だけで事を起こせば文句は無いだろう。成功すれば、利はあなた方に及ぶし、失敗してもどこかの余所者が死ぬだけだ、腹は痛まない筈だ。反対される謂れがない」
邑人は互いに顔を見合わせている。耿晨の言葉を吟味しあっているようだ。
邑人が黙ったのを確認すると、耿晨は蹲る県尉に声を掛けた。
「だが、県尉さん。えっと……」
「乃器と言います」
「乃器さん。申し訳ないが、あなたのお仲間には少し迷惑をかける。何人かは斬る羽目になるだろう。だが玉葉を逃がして宋興に処刑される数よりは少なく済ませると約束する」
乃器が深々と頭を下げた。
それを認めて、耿晨はぽんと円卓から降りた。
手振りで蚩尤に乃器の戒めを解くように指示すると、腰に手を当て、居間にいる面々を見渡した。
「さて、ただ皆には少し知恵を借りたい。勿論手引きしろとか、手伝えとか言う気はないし、申し出られても迷惑だ。だが、事を起こすと言っても何をすればいいか、余所者の私には分からないんだ。皆の意見が聞きたい」
お出かけ中の宋興を討つだけなら、耿晨たちには朝飯前ですが…




