表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/66

紺珠の章 七 順調。だけどまた逃亡

漢張を訪ねてから随分時間が経ちました

「玲凛のおうちはどこ」

 小風が、井戸から水を汲む玲凛の裾を引っ張りながら見上げてきた。


「固河よ。江州清陽県こうしゅうせいようけんの南東にある大きな邑」


 小さな手桶を渡してやると、両手で懸命に持つ。

 桶の取っ手で視線を遮られるのか、小さな掛け声と伴に、覚束ない足取りで付いてくる姿が愛らしい。


 完成した薬は面白いほど効果が高く、現在診療所にいる患者は、もう数える程度しかいなかった。

 新たな感染者が出ても、発病に至る前に完治できるまでになっていた。

 水の端は赤死狐に対して、勝利宣言を出しても良い頃合だ。


「くーしも固河にいるの」

「そうよ。でも変人だから山の中の洞窟に住んでるの」

「洞窟!」

 頬を染めて嬌声を上げる。


 洞窟の中でお勉強してるの? 何を食べてるの? お髭は生やしてるの? 

 小風の矢継ぎ早の質問に微笑んで答えながら、診療所の二階、木蓮が寝起きする部屋に入った。


「お母ちゃん」


 小風が嬉しそうに駆け寄って、木蓮に抱きついた。

 玲凛は軽く会釈をすると、緋雲から濡れた手拭を受け取った。


「もう体温も戻ったみたいだよ」

「何から何までお世話になっちまって」


 深々と頭を下げる木蓮に恐縮して手を振った。


「あのね、お母ちゃん。玲凛は固河って所から来たんだって」

「まあ、あんな遠くから」


 玲凛は曖昧に笑う。


「僕の記憶を探すのを手伝って貰ってるんです」


 緋雲が柔らかく会話を受け取った。


「僕、玲凛と出会う前の記憶が全く無いんです。旅をしていれば、僕を知っている人に出会えるかもしれないでしょ」

「そりゃあ……、難儀したね」


 いえいえ、と笑いながら近くの椅子を引き寄せて腰掛ける。

 小風はがしじ寝台に腰掛けて、床に付かない足をぶらぶらと遊ばせ始めた。


「鉢巻のおじちゃんがいれば、何か分かったかもしれないのにね」


 小風の無邪気な言葉に首を傾げると、小風は緋雲に顔を寄せ、すごい秘密を打ち明けるように、小声を出した。

「あのね。おじちゃんはすっごい物知りなの」

「すごいね」

 緋雲も釣られて小声で返す。

 そのやり取りを木蓮がころころと笑って補足した。


「私の知り合いでね。旅芸人なんだよ。だから色んな土地の話を知ってる」

「へえ。この辺りにはまだ旅芸人がいるんですね」


 旅芸人とは、一定の土地を持たず、芸をしながら国を彷徨う一座で、街から街への情報の橋渡し役にもなっている。玲凛も小さな頃は父に連れられて何度か観に行った事があった。

 ただ、黒夜が来て、旅が安全で無くなってからは、すっかり見なくなっていた。


「いや、最近はもう……。ただ、私の母が前に一座にいた誼で、何かと気にかけてくれて、近くに来た時は寄ってくれてたんだよ」


 木蓮の告白に、玲凛は瞬いた。


「木蓮さんのお母さんが」


 玲凛の言わんとすることを悟って、頷いた。


「母は浪民ろうみんだったんだ」


 ――――――浪民。

 陶の国にありながら、戸籍を捨て、租税などの義務を捨てた代償に、国の保護を離れた者たちの総称。

 望んでなる者は少ない。

 親を失った孤児や戦火で焼きだされた民が仕方なく漂う内に浪民と身を落とす。

 旅芸人や傭兵で生計を立てるが、中には犯罪行為に手を染める者も少なくない。

 特に集団組織化して里を襲う賊はと呼ばれ、陶の抱える大きな問題の一つとなっている。


 総じて浪民は、手形の必要な郷城以上の邑には入れない、被差別の民だった。

 戸籍を持たない浪民の子は、必然的に浪民となる。


余無開道よむかいどうと言って、乖王が旅芸人の権利を保護する法をお作りになったんだよ。

 当然宮廷では反対の声が上がったようだけど、王は言い放ったんだって。職業に貴賎なし、とね。望めば戸籍もくれるようになって、お陰で今ここにいられる」


 そう語る木蓮の声は、乖王への感謝が滲み出ていた。玲凛は小首を傾げる。


「そんな法聞いたことが無いけど」

「随分前に撤廃されたよ。時の冢宰がなられてしばらくのことだったね」


 玲凛は、引っかかっていた疑問を投げた。


「なんだか、木蓮さんは乖王を慕っているみたい。私乖王を良く言う人って、初めて会ったわ」

「良い人だったんだよ。稀に見る名君だと、誰もが称えていた。私の小さい頃はね。

 だからこそ、晩年の乱行は信じ難かったよ。どうしてだかねぇ。あんなに良い人が、獣に変わっちまった。心に魔が指したんだろうかねぇ。あまりに長く、生き過ぎたのかもしれないねぇ」


 玲凛の両親は、圧制に殺された。

 物心付いたときから、乖王は恐怖の対象でしかなかった。

 玲凛も、乖王に恨みこそ無かれ、良い印象は持っていない。

 乖王がかつては名君だったという話も知識としては持っている。

 だがこんな風に、実感を伴って乖王を慕う人間の存在に、玲凛は新鮮な気分になった。



 開けっ放しの戸を叩く音に振り返ると、建忠が立っていた。


「玲凛、客だよ。下で待ってる」


 誘われるまま外に出ると、熊を連想させる大男が待っていた。


漢張かんちょう。随分と早いのね」

「こう何度も来てりゃ、もたつく理由もねぇよ」


 耳をふさぎたくなる程の大声が頭上から降ってきた。

 大雑把な男に見えるが、仕事となると繊細で緻密。

 さすが淀苑の影の顔だと唸らされる。

 水の端がこんなにも早く復興できたのも、漢張の力添えと人脈あってのことだ。

 一番の功労者と言ってもよい。


「はい、ご希望の品よ」


 玲凛は小さな赤い巾着を手渡した。

 中身は黄灌おうかんの実を粉末化して作った薬だ。

 代わりに幾ばくかの金子を受け取る。


「まいど。今度はどこの邑なの」

宋侘そうだ。ここから馬で飛ばして四日ってところだな。人口が多い分、一時期の水の端よりも被害は大きい」


 赤死狐の広がりは、やはり楽観視できる問題ではなかった。

 今やあちこちの邑で赤死狐が猛威を奮っていると聞く。

 玲凛の製薬の成功は、絶望に沈みかけていた長蘆県に、光を齎した。


 薬を金に換えようと提案した漢張が、正しかったのだと今なら分かる。

 お陰で水の端は、赤死狐で落ち込んだ生産量を、製薬の収益で補うことができている。


「ねえ漢張。少しは時間あるの? ちょっと相談したいことがあるんだけど」


 金子をしまいながら問うと、漢張が太い眉を上げた。


「ん? どうした。おっさんの知恵が必要か」

「知恵というより、記憶に用があるの。建忠さんも良いかしら。場所を変えましょう」

「ちょうど良い。おっさんもちょっと話があったんだ」

「あら。何?」

「後でいいさ。往来でする話でもねぇ」


 喉仏を見せるながら喋る漢張を見上げ、内緒話にこれほど不向きな人材はいないだろうと、苦笑した。


--------------------------------------


 建忠の家に戻ると、書き付けていた書類の束を手渡した。

 建忠にはすでに話してあったため、漢張一人が覗き込み、その間に建忠がお茶を煎れてくれた。


「製薬方法や予防法を纏めてみたの。この間の邑のときは、後から疑問点が続出して、何度もとびを飛ばす羽目になったでしょ。薬と一緒にこれを渡せば、ちょっとは手間が省けると思って。でも受けた質問を、全部は覚えていないのよ。抜けがないか確認して欲しいの」


 漢張は葉巻に火をつけ、パラパラと書類を捲り始めた。

 やがて、二本目の葉巻に火をつけたとき、唸るような声を出した。


「……こいつはすげぇ。すぐに写本を増やして配ろう。値はこっちで決めとくぞ」

「これも売るの?」


 思わず出た言葉に非難の色が混じる。

 漢張は面倒くさげに太い眉を上げた。


「当然だ。どうした? 反対してみるか」


 からかうような、莫迦にしたような漢張を、玲凛は腹立たしい気持ちで見上げた。


 見返してくる漢張の鷹揚な態度は、玲凛の反論を待っているようでもある。

 玲凛は諦めの息を吐いた。小さく両手を上げる。


「止めておくわ。どうせいつものように、二人掛りで論破されるに決まってるもの」


 漢張が豪快に、建忠が密やかに笑った。


 年齢も離れているうえに、外見も性格も両極端なこの二人だが、やけに気があうようだ。

 とくに理想論で突っ走る玲凛を嗜めるときは、半端ない連携技を見せた。

 腹立たしいことに、二人の主張はいつも正しいのだ。


「随分物分りが良くなったじゃねぇか。おっさんちょっと、寂しいぞ」

「漢張を喜ばせるって分かってて、一々反論しないわよ。どうせ、正しいんでしょ」

「可愛くねぇな」

「玲凛。納得しての判断なら良いが、考えることを放棄しちゃ駄目だ」


 反論もしていないのに、説教が始まりそうで、玲凛は頬を膨らませた。


「……写本にするのにも人がいるわ。さらに長蘆県中の邑に配るとしたら、とんでもない労力。危険も高いし。そのためにはお金が必要ってことでしょ」

 玲凛の推測に、建忠がしれっと茶を啜った。

「正解だ」

 阿雪が、そうでしょ、玲凛は凄いんですよ、とでも言うように自慢げに尻尾を揺らした。

「付け加えると、紙も墨も決してただではない。何かを為そうとするならば、まずそれにどれだけの人材、材料、日数がかかるのかを考える必要がある。所謂原価というやつだ。原価の計算を間違うと、職人に金が払えなくなり、彼らの生活が崩れてしまう。――――――善意は載せられた利益の量で判断するものなんだよ」


「でも……、なにも漢張がしなくても、官府に提出すれば、税金を使って各府への手配をやってくれるんじゃないの? 」

「阿呆かお前は。あいつら法外な値で売り始めるぞ。既得権益にされて庶民は手出しができなくなる」


 漢張は大仰に両手を開いて見せた。

 建忠も、その通りだと言うように、小さく首肯した。


「納得したか?」

「……した」


 漢張は満足げに腕を組むと、大きな身体を屈めて、玲凛を覗き込んだ。


「どうしても無償の奉仕がしたいなら、官吏を目指しな。今の朝じゃ駄目だぜ。あんな腐った朝じゃ、四囲にいるおっさんのほうが、よっぽど役に立つ。新王が立って朝が切り替わったら、目指してみると良い」


 漢張の言葉には、やけに実感が篭っていた。

 もしかすると、建忠が国官を辞めた理由は、これなのかもしれない、という考えが頭をよぎった。

 こうやって陶のまつりごとから、心ある官吏が消えていったのか、と世の動きを肌で感じた気がした。


「けどまあ、その必要はないかもしれんがな」


 と漢張が含みを持たせた笑みを浮かべた。

 首を傾ける目の前で、漢張は懐から寄れた紙を取り出し、座間に放った。

 紙面を見た瞬間、玲凛は思わず舌打ちをした。

 寧北で見たのと同じ、――――――手配書だった。


「お前さんだろ」


 漢張が新しい葉巻に火をつけた。


「その様子じゃ、知らなかったわけでもねぇようだな」


 玲凛は力なく頷いた。


「それのお陰で逃亡生活よ。はた迷惑な話だわ」

「じゃあ、違うんだね」


 手配書と阿雪の間で視線を行き来させていた建忠が、静かに訊いた。


「聖紋、出てないんだね」

「当たり前でしょ」


 呆れた口調の玲凛の前で、二人は顔を見合わせていた。

 視線だけで会話しているようにも見える。口を開いたのは漢張だった。


「製薬方法と一緒に、お前さんの噂も長蘆県全体に広がりつつある。実際に玲凛を知る者の中には、なるほどそうだったのか、と膝を打つ者も多いぞ。実を言えばおっさんもその一人だ。官吏が水の端に来るのも時間の問題だな」


「そりゃあ、そうよね。ここは寧北と同じ長蘆県。官府のない水の端だから、今までばれなかっただけよね。ああ、また逃亡生活に逆もどりだわ」

「逃げるのか」


 意外そうな建忠の言葉に、玲凛は少し逡巡した。

 視線を落して両手で湯飲みを握り締めた。


「……もうここには居られないわ。仰命拝紋なんて絶対に嫌だし、仮に受けて、私の誤解が解けたとしても、阿雪まで無事に帰して貰えるとは思えないもの。ここにいれば、みんなに迷惑かけることになる。最後まで責任持てないのは、心苦しいけど……」


 見る間に落ち込んだ玲凛に、漢張は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「最初から知らせておいてくれれば、玲凛が目立たねぇように立ち回ってやれたんだがよ。悪かったな。……おっさんにまかせとけ。人一人匿うくらい、お手のもんだ」


 淀苑を牛耳る漢張ならば、確かに可能だろう。

 玲凛はゆるゆると頭を振った。


「……ありがとう。でも行くわ。目立つ連れ合いもいるしね」


 じわりと瞳に水滴が浮かんだ。


「悔しいわ。私まだまだここで学ぶものがあった。建忠さんや漢張にもっと沢山のことを教えてもらいたかったのに」


「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。ほとぼり冷めたら戻って来い。この世の仕組みって奴を叩き込んでやるよ。綺麗事じゃない、市場の裏側をな」


 漢張の分厚い手が、玲凛の頭を撫でた。


「水の端なら心配ねぇ。もう病人もほとんどいねぇしな。他の邑の面倒は、俺たちで何とでもなる。な?」


 建忠は無愛想に頷くと、湯飲みを置き、部屋を出て行こうとした。


「緋雲を呼んでくる。そうと決まれば急いだほうがいいだろう」


「俺は明朝、宋侘そうだに発つ。誰かと一緒のほうが怪しまれないだろ。一緒に来い。ま、送ってやれんのも、宋侘そうだまでだがな」

手配書がまた回ってきました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ