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紺珠の章 五 建忠、実は国官でした

薬草畑を作りました。

 土間で書付をしていると、背後から建忠の呆れた声がかかった。


「玲凛は自分が女だと言う自覚があるのか」


 玲凛は、下ろしていた髪を一房摘んで、舌を出した。


「ここは良いわね。水が豊富なお陰で、毎日お風呂に入れる」


 清潔が一番の今、何よりも有り難いことだった。

 建忠は少し得意げに、まあな、と言って玲凛の正面に腰を下ろした。

 囲炉裏から湯を取り、お茶を淹れる。


 実に、四日ぶりの休息だった。

 膳に並ぶ、料理がやけに美味しそうに映る。

 考えれば、まともな食事も四日ぶりだった。


「何を書いているんだ。設計図?」


 建忠が覗き込んできた。


「ええ。薬草畑の周囲に防護壁を作れないかと思って。

 細菌の温床だから、風向きによっては屯に悪影響を及ぼしかねないでしょう」


 玲凛は筆を置いた。


「でも駄目ね。こっち方面の知識はないのよ。お手上げだわ」

「ちょっと見せて」


 図面を建忠に渡す。

 建忠はのんびりお茶を口に運びながら図面を眺めていた。


「分かるの?」

「まあ、大体は」


 建忠は長いこと図面を眺めていたが、やがて筆を取った。

 なにやら玲凛には分からない、記号や数字を書き込んでいく。


筆を置いたときには、原案が玲凛だとは思えないほど、立派な図面に仕上がっていた。


「……驚いた。能ある鷹は爪を隠すって、建忠さんのことだわ」

「隠れてしまうほど、些細な能ってだけだ」


 玲凛の賛辞に眉一つ動かさず、建忠は図面を指差した。


「現に、これじゃ駄目だ。何も無いよりはマシっていう程度だ。

 たぶん元々の位置が悪いんだな」


 建忠は新しい紙に手を伸ばした。

 さらさらと文面を書き付けていく。


「淀苑に知恵を貸してくれそうな知り合いがいる。

 直接会うのは無理だが、書状くらいは渡せるだろう。明日行ってくるといい」

「えー、玲凛どこかに行っちゃうん?」


 小風が阿雪の傍で不満声を上げた。


 玲凛が出かければ、当然阿雪も同行する。

 小風にはそれが面白くないのだろう。


「淀苑へは、私でも往復四日はかかるわ。そんなに水の端を離れるわけにはいかないわ」

「赤い実がなるまで、あと二十日はかかるんだろう。時間なら十分ある」

「でも、医療所もあるし」


 考えながら並べられた食事に手をつける。

 芳しい湯気を立てる器には、野菜と魚の汁物が入っていた。

 口に運ぶと、白身の魚は口の中でほろりと溶けた。胃に優しそうな食事だった。


「建忠さん、料理得意なのね。体力が落ちている人には最適な食事だわ」


 玲凛の賛辞に、建忠の頬が、少しだけ嬉しそうに動いた。


「俺じゃない。屯の者が作ってくれたんだ」

「え?」


 意外な言葉に、箸が止まる。


「その夜着もだけど、作業着も口当ても、替えをいくつか仕立てて貰った。後で渡すよ」

「うちの分の作業着も、裏のおばちゃんが作ってくれてん」


 小風が嬉しそうに手を上げた。

建忠が、魚を口に放り込みながら、気負いもなく言った。


「言われたことはやった」


事も無げに言う姿に、玲凛は新鮮さを感じた。


 饒舌とは言い難い建忠。

 人々を纏めるなど、苦手だろうと踏んでいたからだ。


「私の人を見る目もまだまだね」

「できないと思ってたのか」

「苦労するだろうな、とは思ってました」

「建忠は官吏だったから、みんなイチモクオイテルんだって」


 小風が自分のことのように、威張って言った。


「官吏? 淀苑の?」


 建忠が困ったように肩を竦めた。


白鄭はくてい

「白鄭ってことは、国官だったんですか」


 まあ、一応。と建忠は視線を彷徨わせた。


「とにかく」


 建忠は話を打ち切るように箸を置いた。

 難しい顔で、玲凛に向かって姿勢を正す。


「玲凛が提示した条件は満たしたつもりだ。

 そこで、こちらからも一つ要求がある」


 玲凛も背筋を伸ばした。


「こちらの要求は、医療所の立ち入り禁止の解除だ」

「立ち入り禁止解除?」

「そうだ。屯の者が看護に加われるようにして欲しい。

 乙先生のときのような想いは、二度としたくない。

 これは水の端の総意だ」


 思わず緋雲をにらみつけた。緋雲が慌てて首を振る。


「その様子じゃ、やっぱり特異体質って話は嘘なんだね」


 建忠が静かに断じた。

 その声は、怒っているように聞こえた。


「本当に特異体質なら、あんなに神経質に作業着や口当てで防御するのは変だ。

 食事にも手をつけてなかったそうじゃないか。

 あそこでの食事が危険だと思ったからだろう」


 詰問口調で問われ、玲凛は降参した。


「さすがもと国官、なんでもお見通しなのね」

「気付かないほうがどうかしてる。大人をからかうもんじゃない」


 玲凛は居心地が悪くなって、ぺこんと頭を下げて詫びた。


「嘘をつくつもりはなかったのよ。

 本当よ? ただ言い出せなくて。抗体持ってる可能性も零じゃないし。

 なんとかなるかなぁって軽く考えちゃって」


 そんな玲凛に、建忠は呆れたような、疲れたような溜息を漏らした。


「自覚してくれ。

 君のその性格、いつか取り返しのつかない悲劇を生むぞ」


 玲凛は慎重に深く頷いた。座間に両手を突いた。


「申し出助かります。

 ……正直、ここから先は、一人では限界です」


 勢い良く、深々と頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 下げた視線の前に、農夫にしては繊細な手が差し出された。

遠慮がちにその手を握ると、強い力で握り返してくる。


「……握手って、なんか良いですね。同士になった気がする」

「じゃあ、あとは同士にまかせて、玲凛は淀苑に行ってくれ」


 柔らかい声に顔を上げると、建忠が目元を緩めていた。

初めて見る、建忠の笑顔だった。


「了解。じゃあ相手の名前を教えて」

「有名人だから門衛に漢張かんちょうと言えば伝わる」

「官吏なの」

「いや、大工の棟梁だ。無骨者だが、気さくで良い奴だ。

 きっとすぐに返書をくれる」

 建忠の口調に、漢張への信頼が透けて見えた。

建忠さんと同志になりました。

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