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紺珠の章 二 赤死狐の治療法ってなんだっけ

伝染病の集落に来ました。

 湖詠ならこんなときどうするのだろう。


「こんな貴重な症例、研究しない手はなかろう」


 とでも言いそうだ。


「玲凛、治してあげられないの」


 緋雲が縋るように、袖を引いてきた。少し返事に困る。


「私は医師じゃないのよ」


 湖詠のお陰で、玲凛は可能な限りの抗体を身体に宿してある。

 何かしてあげることはあるかもしれない。

 だが、相手が未知の病原体なら、玲凛と言えど、すぐに罹患してしまう。


「患者を看てる方から話は聞けますか?

 詳しい症状が知りたいんだけど」

「……さっきも言った通り、ここに医師はいないんだよ」


 おそらくもう、看護など言ってられないのだろう。

 感染者を医療所に閉じ込め、病の拡散を防ぐだけで精一杯。


「私が、看て来ると言ったら?」

「あそこに一歩でも入ったら、二度と外に出すわけにはいかない。例外はないよ」

「まさか、病人を押し込めて、ただ死ぬのを待っているっていうの」


 隣で緋雲が、非難めいた声を上げた。


「……だとしたら、何か君たちに関係あるのか」

「否定しないんだね」

「肯定もしていない」


 緋雲と建忠、挑みあうような視線がぶつかった。


 緋雲には、確かに非人道的な対応に聞こえるかもしれない。


 だが、玲凛には分かる。

 感染者の隔離が、未知の病原体に対する、唯一最良の対抗手段なのだ。


「早く立ち去ってくれ。

 君の言葉が、この屯の人間を傷付けている事実に早く気付いて欲しい」

「そんなの僕には分からないよ」


 言い捨てると緋雲は、屯の奥に向けて足を出した。


「どこに行く気だ」

「僕行ってくる。何か役にたつかもしれないでしょ」

「理解できなかったのか。

 正体不明の病なんだ。治療法もない。

 君はもう二度とあそこから出られないんだぞ」


 追っていった建忠が緋雲の腕を掴んだ。

 離してよ、と叫ぶ緋雲を引き戻す。


「死ぬと分かっていて、行かせるわけにはいかないっ」


 押し殺したような声には、必死さが滲み出ていた。

 心底、緋雲の暴挙を止めたがっているのが伝わってくる。


「良かった。命の尊さは知っているんだね」


 建忠の顔が、苦しげに歪んだ。


「君も何故止めないんだっ」


 振り返り、玲凛をなじる。

 名指しされ、玲凛は我に返って深呼吸した。


「緋雲」


 語りかけると、やっと緋雲は足掻くのを止めて、こちらに向き直った。


「頭を冷やしなさい。

 緋雲が行っても、すぐに感染して、それでお仕舞いよ。

 感染した緋雲は、今度は他の人の命を脅かす存在になるのよ」


「玲凛まで、何もせずに、皆が死んでいくのを見てろって言うの?」


「違うわ。私一人で行くの。

 私ね、伝染病には罹らない特異体質なの。

 私が新たな病原体になる危険性がなければ、問題はないでしょう?」


 建忠が顎を落とした。

 尚も不安げに見下ろしてくる緋雲に、片目を瞑ってみせる。


「心配しないで。知識だけなら、そこらの医師顔負けってくらい持ってるつもりだから」


――――――――――――――――


 湯上りの髪を拭きながら戻ると、建忠が水を差し出してくれた。


「一応俺も男だからさ。

 そういう刺激的な格好は遠慮して欲しいんだけど」


 玲凛は思わず自分の姿を見返した。

 髪を解いている他は、いたって普通。

 建忠は奥手なんだな、と心に刻む。


「まあ、固いこと言わないで。それより建忠さん。いつも飲み水ってどうしてる」


 建忠は手元の湯飲みに視線を落として、不思議そうに首を傾げた。


「屯の真ん中にある井戸の水。何故」


「やっぱり。ねえ建忠さん。流核りゅうかくって持ってる」


「汚水を清水に変える霊石だね。

 ないよ。心配しなくても、ここの水は綺麗だ。

 なんせ水の端なんだから」


 建忠が窓の外を指差した。

 そこには月を映し出した湖面があった。

 湖の水は澄んで、不純なもの全て、音さえも吸い取ってしまいそうに見える。


玲凛は荷物から石を一つ取り出し、小卓つくえの上に置いた。


「流核です。今後口にするもの水は、火を通したもの以外は、全てこれで浄化して下さい。

 緋雲。後で森に言って、屯のみんなの分も拾ってきて」


 緋雲は座間に仲良く並んで、小風の髪を拭いていた。


「それは良いけど。じゃあ、何の病気か分かったの」


 緋雲の問いに、建忠や小風の視線が集まった。


―――――――――医療所から出てきた玲凛を、建忠は何も言わずに家に上げてくれた。


 それはきっと、屯の掟を破る行為だったに違いない。


「たぶん赤死狐せきしこ病。

 今や根絶された、大昔の病」


 古い文献で読んだ記憶があった。


 感染すると、二、三日で高熱が出る。

 いったん収まると潜伏期間は二十日間。

 二十日後に体温が急降下し、体中に赤い浮腫が生まれる。

 浮腫は全身に広がり、内臓にも及ぶ。

 気管をも潰し、多くは呼吸困難に陥り死に至る。

 文献では半年で郷城ごうじょう級の邑が壊滅した、とあった。


 手ぬぐいの下から、小風が顔をのぞかせた。


「昔の人はせきしこを治せたん」


「……治せたわ。赤死狐の治療法は確立された」

「やった!」


 緋雲と小風が伸び上がって、両手を打ち合わせた。

 小風が緋雲に抱きつき、勢いあまって緋雲ともども座間に転がった。


 建忠は腑に落ちないように顔を顰めた。


「そんな……。だったらどうしておつ先生は」

「乙先生って誰?」

「淀苑にいた医師。

 水の端を気にかけてくれて、今回も危険を顧みず馳せ参じてくれた。だけど……」

「……亡くなったのね」


 医師が、治すべき患者の病を貰って命を落とす。

 多くはないが、少なくもない話だった。

 乙医師の犠牲があったからこそ、水の端は淀苑へ助けを求める希望を捨てたのだろう。


「乙先生は治療法をご存じなかったのか」

「ご存知なくても、不思議じゃないわ」


 玲凛は乙医師を擁護した。


「大昔に根絶されたって言ったでしょ。

 現存しない病の知識なんて、普通必要ないもの。

 おそらく赤死狐という病気の存在すら、ほとんどの医師は知らないと思う」


 だからこそ、医の空尸くうしは必要なのだよ、と湖詠に威張られた記憶が甦る。


 古い文献を思い出す。


 あの文献はいつの時代の物だっただろう。

 記憶は曖昧だが、最近の王朝の文字ではなかった。

 つまり少なくとも五百年以上は前ということになる。


「私も湖詠の文献を読みかじっただけだけだから」


 肝心の治療法が思い出せない。

 喉元まで出掛かっているのに掴めない、もどかしさを噛み締めた。


「湖詠って、まさか白銀の静巌せいがん? 空尸の?」

「ええ。建忠さん、湖詠を知ってるの」

「いや、そんな名前の空尸がいると、乙先生の話に出てきただけだ。

 実在の人物とは思ってなかったが」


「くーしって何?」


 小風が手を上げて質問してきた。


「ああ、私は湖詠のお陰で有り難みも何もないけど……。

 普通に生活してたら出会うこともない、貴人よ」


 貴人というより奇人だけど、と続ける。


 小風が、ふーんと分かったような分からないような口をきく。


「その偉い人は、今何してるの?

 なんで皆を助けてくれないの」

「空尸っていうのは基本、人間嫌いの変人なのよ」

「でも、偉い人は皆を助けるから偉いんだって、建忠が言ってた」

「うーんと……」


 小風の首根っこを、建忠が掴んだ。

 そのまま膝に乗せると、取り成すように訊いた。


「湖詠様は、今は何を研究なさってるんだ」

「今は黒夜こくやの植物を……」


 何かが頭をよぎり、言葉を失った。

 あの文献、なんの機会で目にしたのかを思い出した。


 そうだ、あれは黒夜でも白夜でも在り続ける植物の話の時だった。


「どうした」


 突然動かなくなった玲凛の顔の前で、建忠が怪訝そうに手を振った。


「そうよ、植物だわ。この近くにあると良いけど。

 緋雲出かけるわよ」


 今度は玲凛が、緋雲の首根っこを掴んで、戸口に向かった。


「待ってて小風。空尸がちゃんと役にたつって証明してあげるから」


 玲凛は親指を立てて見せると、意気揚々と飛び出した。

どうやら治療法が分かったみたいです。

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