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紺珠の章 一 気にしないでね旅の人。ここは水の端

新章です。

玲凛サイド。

語り部は玲凛です。

 湖詠こえい

 思ったことを口にするって、覚悟がいるのね。

 なんの力もない私が正論をぶちまけても、それって虚しいわ。

 私もっともっと勉強して、世間を知って、自分の言葉に責任を持てるようになりたいの。

 湖詠もそのために、私を旅に出したんでしょ?

 私もっと『強い人』になりたいの。ううん。

 私は貴方のようになりたい。

 湖詠。私の神様。

 次に貴方に会うときは、私、胸をはって会いたい。


―――――――――――――――――――


 むらの正面に立つと、土塁の低さが際立った。

 玲凛れいりんの背丈よりも低い。


 遠くから見るよりも、ずっと小さな邑だった。


 里二つ分といったところか。

 邑と呼んで良いのか迷うほど、こじんまりとしている。

 扁額へんがくがないので、邑の名前も分からなかった。


 通りの両端には民家が並び、商店は一、二軒あるかないか。

 人の姿はない。

 今まで立ち寄ってきた中で、一番覇気のない邑だった。


「変わった邑ね」


 不気味なほどの静けさに、二の足を踏んだ。


廃邑はいゆう、なのかな」

「そんな感じはしないわ」


 その証に、民家の軒先には洗濯物が掛かっている。

 ただどの家も、何かを拒絶するかのように、ぴっちりと戸が閉められていた。


「玲凛、なんか怖いよ」

「な、何言ってるのよ。行くわよ」


 大きく一歩を踏み出そうとしたとき、背後から声がかかった。


「それ以上進まんほうがええよ」


 思わず大きな驚声を上げそうになる。

 飛び出しそうな心臓を押さえながら振り向くと、少女が一人立っていた。


 青白い顔。

 細い四肢。五、六歳くらいだろうか。

 自分の身長の半分はありそうな水桶を抱えていた。


「君はこの邑の子? 僕たち宿舎を探しているんだけど。知らないかな」

「お兄ちゃんは医師先生なん?」


 少女の死んだような瞳に、小さな希望の光がさしたように見えた。

 玲凛は緋雲と顔を見合わせた。


「違うわ。ただの旅人よ。誰か病気なの?」


 玲凛の応えに、少女の瞳はまた力を失った。


「そんなら、これ以上進まんほうがええ。早くこの邑から出て行って」


少女は興味を失ったように、両手で水桶を、引きずるようにしながら、のろのろと歩き出した。


「ちょっと待って。僕が運んであげるよ」


 緋雲が小走りで少女の後を追う。

 少女はその声すら聞こえていないようで、黙々と邑の奥へと歩いていった。


「なんだったんだろう」

「さあ。反抗期なのかしら」


 玲凛も、釈然としない思いで頭を振った。


「気にしないで」


 立ち尽くす二人に、今度は反対側から、男の声が掛かった。


 一軒の民家の軒先に、寄りかかるように男性が立っていた。

 二十代半ばの、穏やかな目の男だった。


「あの子のことは気にしないで。旅の人」


「私は玲凛。こっちは緋雲よ。宣州せんしゅうに行く途中なんです」


建忠けんちゅうだ。

 まさか墨節ぼくせつに旅をする人間がいるなんて、驚いたよ」


「この邑、何と言う邑なんですか。

 隔壁かくへきがないなんて、変わってるわよね」

「正確には邑じゃない。

 だから名前は無いんだ。ここの人間は水のはたって呼んでる」

「邑じゃない?」


 緋雲が不思議そうに首を曲げる。


「住民はみんな淀苑でんえんの者なんだ。ここはとん

「屯。こんなに立派な屯はじめて見たわ」


 通常、農夫は邑に住み、日中は隔壁の外にある田畑に仕事に出る。

 だがあまりに大きな邑の場合、家から自分の田まで、往復するだけで一日以上かかる場合もある。


当然それでは仕事にならないので、農夫たちは田の近くに簡素な仮住まいを建てる。


 三、四件ほどの民家の集合体、それが屯だ。

 長居する場所ではないため、当然隔壁は持たない。


「ああ、ここは特別。淀苑まで三日かかるんだ。

 それに湖のお陰で、居心地が良くてね。

 今じゃ淀苑のほうが仮住まいって感じだ。向こうの家自体、手放した人も多い」


 それで合点がいった。

 通常の邑の様相をなしていないのも頷ける。

 なにしろ邑じゃないのだから。


「じゃあ、宿舎なんてないわよね」


「以前は小風しょうふう――さっきの子の家が営んでいたが、今はもうやってない。

 悪いけど今の水の端は、旅人を持て成すような状況じゃないんだ。

 ――――――長居しないことを勧める」


 微妙な言い回しに首を傾げる。


「それって、さっきの子が関係してるの」

「医師を探しているみたいだったけど、病人がいるのかしら」


 建忠はどうしたものか、とでも言うように、頭を掻いた。


「ここには医師はいないの?」

「淀苑にはいるにはいるけど……」


 建忠の重たい口ぶりに、玲凛の気持ちも沈んだ。


 墨節の時代、医師はとにかく貴重なのだ。


 医師の命は、他の民よりも重いとされる。

 医師が死んでしまえば、助けられる命も助けられないからだ。

 だから、一人や二人の病人のために、医師は決して危険を犯さない。

 犯せない。


「淀苑に出向けないほど、病状は進行しているんですか?」

「それもある。けど、辿り着いたところで、邑門ゆうもんを潜らせて貰えないよ」


 その言葉の意味するところを悟り、玲凛は思わず口元に手を当てた。

 ――――――伝染病なのだ。


「どういう意味? だって元々淀苑の人なんでしょ」


 暢気な緋雲が、空気を読まない質問をした。

 玲凛は思わず、緋雲の蜜柑色の頭を叩いた。


 玲凛の様子をみて、建忠が言い含めるように、ゆっくり頷いた。


「だから、早くここを去ったほうが良い。水の端は、今や死を待つ場所なんだ」

 

伝染病の集落でした。

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