翡翠の章 五 来訪者が言う。腰に傷のある男を探していました
お引越し完了です。
骨休めの茶を三人ですすっていると、律儀に戸口を叩く音がした。
「私が応対しても良いか?」
実に四年ぶりの来客の対応に、耿晨は自然と気持ちが浮き立った。
――――――戸口には二人の男が立っていた。
一人は尉士の制服を纏っている。
その後ろに、線の細い、いかにも文官という雰囲気の優男がいた。
尉士は開口一番、家の中に向かって呆れ声をかけてきた。
「お前なぁ。あんまり目立ったことしてくれるなよ」
お前、と呼ばれた拓達が、決まり悪げに頬をかいた。
「こいつは郷尉だよ、耿晨。
宇延、意外と早かったな。やっぱ目立ったか?」
「当たり前だ、この莫迦が。心配事を増やすな」
どうやら知り合いらしい。
茶を出さなければ、と思い耿晨は舌打ちをした。
正しい茶の煎れ方など知らない。
こんなことなら、楊祥にちゃんと習っておくべきだった、と後悔する。
その後悔は、なるほど自分は確かに女らしさの欠片もないんだ、と初めて自覚させるものだった。
茶器を前に考え込んだ耿晨に、文官らしい来訪者がやんわりと気遣ってきた。
「用事はすぐに済みますので、もてなしは遠慮させてください」
柔和な微笑みに、耿晨は小さく頭を下げ、いつも通りの茶を出した。
湯呑みを卓に置きながら、耿晨は男を観察した。
涼やかな瞳が印象的な整った容姿、きっちりと纏め上げられた髪は淡い黒。
二十代半ば、と言ったところか。
粗末な室内に似つかわしくない、上質の服を身に着けた男は、躊躇うことなくボロボロの椅子に腰を下ろし、最高級の神酒でも口にするかのように、美味しそうに茶を運んだ。
溜息が出るほど優雅な仕草だった。
「で、用件は?」
拓達がしれっと訊いた。
「で、じゃねぇよ。こいつらだろ、最近平雍で邑人に武術を教えているってのは」
「初対面の相手に、こいつら呼ばわりされる覚えはないな」
耿晨は苦笑しながらも、立ったままの宇延にも茶を勧めた。
「いや、俺は任務中なので結構だ」
小さく頭を下げる宇延は、以外にも堅気質な姿勢で茶を辞した。
なんとなく、憎めない男だな、と耿晨は好感を持った。
「宇延も稽古に参加してみりゃ良い。耿晨は教え方が巧いぞ」
「ふざけるなよ。俺はそれを止めに来たんだ。
体術なら構わないが、武器の所持は困る。謀反に繋がるからな」
「素手で熊と遣り合えるわけないだろう」
耿晨の拒絶を受け、宇延がぐっと口を引き結んだ。
反論できずにいる宇延を、耿晨はやはり好ましく思った。
「謀反なんて起こすわけないだろ。
荊郷の郷長は崇斎様なんだから。不満なんてあるわけねぇ」
「隣が高苑県だっての忘れたのか。
崇斎様を失脚させる弱みを血眼で探してるような奴だぞ。
お前らのせいで荊郷に謀反の動きあり、なんて噂が立ってみろ」
「なるほど、それが理由か」
耿晨はぱちんと指をならす。
「宇延には護りたい人がいるんだな。
だからこんな無理難題を言う。
だが私も平雍を護りたいんだ。
私の行為が迷惑をかけているのは心苦しく思うが、ここは引けない。
崇斎を護りたければ、お前たちで護ってみせろ」
「だから、護るためにお前らを止めに来たんだろうが。
どっちが無理難題言ってんだよ」
「仕方ないだろう。人は護るべき者のためには我侭になるものだ。
どっちの我が強いか我慢比べでもしてみるか?
付き合ってやってもいいぞ。
その代わり気が済んだら、とっとと郷城に帰って他の策を練ってくれ」
宇延は唖然として耿晨を指差した。
「おい、拓達。こいつは莫迦なのか?」
「そうみたいだな。俺も今知った」
それまで他人事のような顔をして笑っていた文官が、堪りかねたという風に、突然声を上げて笑いだした。
「山可様。
笑ってないで何とか言ってください」
山可と呼ばれた文官は、暫く身体を折るように笑っていたが、やがて目尻にたまった涙を拭いながら呼吸を整えた。
「確かにこのままでは平行線ですね。
それでは集会を禁止する法を作るとしましょう」
「え?」
問い返した耿晨に、山可は笑いを押し殺した顔で、告げた。
「集会を禁止すれば、集団で稽古をつける行為も違法となります。
今のように頭を下げるのではなく、公権力を持って貴方たちの行為を縛るとしましょうか」
物騒な発言をしながらも、山可は遊びを愉しむような顔をしていた。
「と、考える官吏もいるかもしれません。
勿論崇斎様はそのような方ではありませんが。
―――――――――公の力とは時に酷く暴力的です。
私たち官吏は、そのような公の暴力から民を護る責務があるのですよ。
民を護るため、崇斎という人物を失うわけにはいかないのです。ここまでは理解して頂けますか」
耿晨は腕を組んで壁に凭れ掛かり、山可の言葉を吟味した。
「理解した。
が、今一つ親身になってやれないのは、私が崇斎という人物を知らないからかな。
あなたが今語った内容も、そんな公の問題で民に負担を強いるな、と思ってしまう」
全くです、と山可が自嘲めいた微笑を浮かべて視線を落した。
山可は考えを纏めているかのような間を少しとった。
「それでは一度、崇斎様にお会いになられますか」
「は?」
「山可様……またそうやって無茶をおっしゃる。悪い癖ですよ」
宇延の口調は、言っても無駄でしょうが、という響きが篭っている。
「実は崇斎様からは、あなた方の人柄を見て来い、と言われているのですよ。
武器の所持を認めるか否かは、その後判断するように、と。
私が報告するよりも、直接崇斎様に会って頂いたほうが話が早いと思いませんか」
「道理だな。いいぞ。会いに行こう」
耿晨は、二つ返事で返した。
その途端、それまで部外者を装っていた蚩尤が、有無を言わさない口調で口を挟んできた。
「許可できんな」
蚩尤は腕を組んだまま、瞳だけで脅すように全員の顔をひと舐めした。
「いきなりどうしたんだ。ちょっと行って来るだけだ。
五日とかからない。蚩尤が嫌なら、私一人で行ってくる」
「そんな問題じゃない。とにかく許可できん。
この方たちの報告で済む話だろう。態々赴く必要はない」
漆黒の前髪の間からのぞく瞳が、譲歩の余地が全くないと伝えている。
「どうしても行くと言うのなら、今すぐ平雍を発つ」
「蚩尤、何を熱くなってるんだ」
蚩尤の激を沈めるように、拓達が暢気に笑った。
「過保護すぎだぞ。
崇斎様との謁見なんて貴重な体験、親として喜ばしいじゃねぇか。行かせてやれよ」
「これは耿晨じゃなく俺の問題なんだ。どうあっても官府は駄目だ」
蚩尤の説明は、自白に等しかった。
官府を避ける人種なんて、相場は決まっている。
宇延が困ったように頭をかいた。
「おいおい。罪状は何だよ。見逃してやれる程度であってくれよ」
拓達も力の抜けた声を上げる。
「宇延。蚩尤を捕まえるとか言うなよ。
蚩尤は平雍に必要なんだからな」
目の前を飛び交う愚痴めいた言葉に、蚩尤が肩を竦めて幸せそうに微笑んだ。
「勝手に罪人にするな。法に追われる身じゃない。
ただ遭いたくない奴らがいてな。官府とは関わり合いたくないんだ」
素性を明かせない俺の言葉じゃ、信用できないだろうがな、と小さく付け加える。
唐突に、山可が無言で立ち上がった。
厳しさを秘めた官吏の表情をしていた。
そして、決然と口を開いた。
「私は、―――――――――左腰に傷のある男を探していた時期がありました」
山可の突然の告白に蚩尤の瞳が小さく揺れた。
耿晨も、おそらく拓達も知っている。
確かに蚩尤の左腰には大きな傷痕がある。
山可と目が合った。
その瞬間、心を読まれた、と思った。
おそらく耿晨の瞳は、蚩尤の傷の存在を肯定していた。
山可は三人の様子を眺め、納得したように一つ頷いた。
「大体分かりました。
やはりあなた方は、一度崇斎にお会いになられたほうが良いでしょう。
官府が駄目だと仰るなら、ここに崇斎を連れてきます」
「ちょ……、こ、山可様っ」
宇延の静止の声も聞かず、山可は恭しく拱手した。
仁を以って礼を表す。成程これが『礼』か、と見惚れてしまうほどの、完璧な拱手だった。
「お初にお目にかかります。
私が貞州三洲県は荊郷の郷長、崇斎です」
文官さんは郷長でした。




