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翡翠の章 二 熊退治するから部屋を貸せ

素敵な農夫と出会いました。

 一度笑顔を見せた後は、男は良く笑った。

 笑うと左頬にえくぼができた。


 男は拓達たくたつと名乗った。


「せっかく植えても、熊に荒らされる心配はないのか」


「ないない。何を好き好んで、里まで降りてきたのに山にも生えてる草を喰う必要がある。

 熊は人間の味を覚えてるんだ。お目当ては俺たち人間様さ」


 笑って言う内容じゃないだろう。

 そうは思っても、拓達の明るさにつられて口元が緩む。


不意に妙案を思いついて、耿晨は瞳をくるりと回した。


「なあ。その熊、私たちに退治させてくれないか」

「は?」


 突然の耿晨の申し出に、拓達は目を白黒させた。

 蚩尤はある程度予想していたのか、苦笑交じりにため息を落としただけだった。


「私たちが熊を仕留めてくれば拓達も安心して農作業ができるだろう。

 その代わり、やっつけた暁には、しばらくここに住まわせてくれないか」


「は?」


 耿晨は腰に手を当て、空いた手の指を立てて陽気に続けた。


「心配しなくても、蚩尤にかかれば熊なんて一撃だ。

 手ぶらで対峙させたって、万に一つも負けることはない」

「人を化け物みたいに言うな」


 なんだよ、結局蚩尤さんにさせんのか、と拓達が呆れ気味に茶化した。


「細かいことは気にするな。

 私が言うのもなんだが、蚩尤はそれなりに腕はたつぞ。

 里に置いておけば、用心棒にもなると思う」


「本人の同意はいらないのかよ」


 拓達は半笑いだ。


「いらないな。どうせ蚩尤もそのつもりだったんだ。そうだろう」


 蚩尤が瞼を伏せることで、肯定した。


「獲った熊なら、勿論里のみんなで食べよう。

 熊鍋だぞ。肉なんて久しぶりだろう」


「了解。分かったよ」


 拓達が両手を挙げて降参の姿勢をとる。


「里の者には俺が話を通しておいてやる。

 今日はもう遅い。そろそろ一銅鑼いちどらが鳴る時刻だ。

 狭いが俺の家に泊まってけ」


「契約成立だな。蚩尤、頼んだよ」


 男二人が盛大なため息を漏らした。


―――――――――――――――――――――


 閉門を知らせる一銅鑼が鳴った。

 一銅鑼の一刻後に二銅鑼にどらが鳴り、邑門ゆうもんが閉まる。


 間に合わなかった場合、妖獣の闊歩する黒夜を隔壁かくへきの外で明かさなければならない。

 閉門に間に合わないということは、限りなく死を表した。


 その為田畑に出ていた人々は、一銅鑼を聞くといそいそと家路に付いた。


 隔壁へ進む、斑な人の流れの中に三人もいた。


「まあ、正直助かるよ。仕方がないとは言っても、やっぱり命は惜しいからな」


 のんびり顔に少しだけ真面目な色を浮かべた。


「でも蚩尤さん。無茶はしないでくれよ。

 別に熊をやっつけなくったって、行く所ないなら、うちに居てくれて俺は全然構わねぇんだから。

 ここは平雍へいようだからな、一人二人頭数増えてもなんとかなる」


 蚩尤は穏やかに笑って、呼び捨てで構わない、と言った。


「全く問題ない。素手でも勝てると耿晨のお墨付きだからな」


「何故平雍だと、頭数が増えても問題ないんだ?

 そんなに余裕がある暮らしにも見えないが」


 先程の拓達の言葉を拾って、問うた。


「確かに楽な生活じゃないけどな。実際、邑人も随分と減った。

 だが平雍の郷長は崇斎こうさい様だ。

 たいそう徳のある方でな。俺ら農夫にも随分と便宜を図ってくださるんだ。

 同じ長蘆県でも他の郷に比べ、格段に餓死者は少ないんだぞ」


 どこか誇らしげに説明する拓達に、耿晨はふうん、と気の無い返事を返した。

 『徳』と『官』はどんだけこねくり回してみても、耿晨の中で結びつくことはなかった。


「二人は兄弟なのか? それにしちゃ似てないが」


「耿晨は世話になった方の忘れ形見でね。

 身寄りも少なかったから引き取ったんだ。

 もう七年になるか。今では娘みたいなもんだ」


 蚩尤の説明に、拓達が目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。


「娘?!」

 拓達は改めて耿晨をしげしげと眺め、首を捻って蚩尤に向き直った。

「娘?」


 どうやら耿晨の性別に意義があるようだ。


 拓達の覗き込むような視線に、蚩尤が堪らず、と言った感じで笑い出した。

 耿晨は憮然と腕を組んだ。


「蚩尤笑い過ぎだ」


 顎を落した拓達に、愚痴の一つも言ってやろうと口を開きかけたとき、二銅鑼が鳴った。



―――――――――――――――――――――――


 拓達の住む平雍へいようさと三つから成る、規模としては最少の邑だった。


 内隔ないかくはなく、邑府やくしょの囲いも城壁と呼ぶには恥ずかしくなる程の頼りない造りをしていた。


隔壁や土塁で幾重にも囲まれた邑が多い中、平雍の邑はいかにも無防備で頼りなく、そして開放的で素朴な印象を与えた。


「にいちゃんお帰り」


 家の戸を開けた途端、中から七歳程の少年が駆け出し、拓達の足に勢い良く飛びついた。


坦坦たんたん。お客さんだぞ」


 拓達はその小さな頭をガシガシ揉みながら、ぐるっと耿晨たちのほうへ向けた。

 拓達の足の影から、丸い大きな目が覗いた。


「こんばんわ。ええと、いらっしゃいませ」


 拓達の足に隠れながら、ぺこりと頭を下げる。


「こんばんわ。私は耿晨、こっちは蚩尤。よろしく」


 よろしく、とはにかむ坦坦を、拓達が肩に抱え上げ、


「ま、狭いとこだが入ってくれ」と中に進めた。


 食事の間、坦坦は興味津々というように瞳を輝かせて、二人にいろいろ訊いて来た。

 特に二人が席に着くため、腰に佩いていた剣を外した時には


「ほー」


 と、声にならない嬌声を上げ、頬を朱に染めていた。


「耿晨と蚩尤は尉士いしさんなの?」

「傭兵みたいなものだな」


 また、ほーっと奇声を上げる。

 その稚い姿に、耿晨は目尻を下げ、拓達は溜息をついた。


「すまんね、余所者が珍しいんだ。なんせ小さい邑だからな」

「構わない。人が珍しいという点では、俺たちのほうが重症だ」


 蚩尤と拓達が言葉を交わしている横で、坦坦は耿晨の袖を引っ張った。

 床に届かない足をぶらぶらと揺らす。


「今までどんな奴と戦ったの?」

「主に妖獣だな。人は……あまり斬らないよ。

 そうそう、明日は熊を斬って来るからな」

「ほんとに」

「本当だ。な、蚩尤」


 頷く蚩尤を見て、坦坦の身体が小さく飛び上がる。


「僕も行く。良いでしょ拓達」


 拓達が口に含んでいた物を吐き出す勢いでむせた。


「良いわけないだろ。女子供の出る幕じゃねぇよ」

「拓達……」


 耿晨の力ない抗議に、拓達が慌てて訂正する。


「いや、まあ耿晨は特別だ」


 決まり悪げに頭をかく拓達に、思わず苦笑する。

 坦坦は納得がいかないように、尚も行くと言ってきかなかった。


 困り果てた拓達拓達の救助信号を受けて穏やかに提案した。


「ではこうしよう。坦坦。耿晨と手合わせして、一本取れたら連れてってやる」


 突然話を振られて、耿晨は口に運んでいた卵を箸から落してしまった。


「おいおい、蚩尤」

「大丈夫だ。怪我を負わせるようなヘマは、耿晨はしない。そうだろう」


 晨は諦めて箸をおいた。


「分かった。その代わり、負けたら大人しく邑に残るんだぞ」


 耿晨の了承の言葉を聞いた途端、坦坦が腕を突き上げて大きく飛び上がった。


「やったあ。男同士のケットウだあ」

「男じゃないって」


 無邪気に喜ぶ坦坦の大声に、耿晨の情けない突っ込みと、男たちの笑い声が重なった。

熊を退治します。

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