翡翠の章 一 ひたむきに生きている人発見しました。
新章です。
耿晨サイド。
語り部は耿晨です。
父さんを殺した人に会ったよ。
憎悪とか怨恨とか、そういった感情は不思議と沸いて来なかったんだ。親不孝だと嘆くかな。
でも今の陶は病んでいるんだ。
人の道を説いて処刑された父さんを、莫迦正直過ぎると言った人もいた。
残される娘を想えば、権力におもねるべきだった、ってね。
あの頃の私は子供で。まあ、まだ子供なんだけど。とにかく子供で。
人の道を説くよりも、私のそばで生きていて欲しかった。
でも今、私は正論を叫びたくなっている。やっぱり父さんの子なんだね。
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帯山を抜けると、途端に雰囲気が変わった。
肌を切り裂くほどに頑なだった空気の切っ先が、和らいだように感じた。
天険の地から人の住む場所に移った、とでも言うのだろうか。
人々がこぞって予州から逃げ出す理由が、分かったような気がした。
死の大地を抜け、軽くなった足取りで歩く耿晨の目に、水田が飛び込んできた。
蓮薯が一面に丸い葉を広げ、白い大輪の花が風に揺れている。
淡い月光が水田を照らし、蓮薯の表面で弾かれるように煌いていた。
瑞々しい煌きは、明らかに人の手による仕事。
人がいるのだ、という考えは、耿晨の脈を早くした。
「綺麗だな」
吐息とともに吐き出した感嘆の声に、蚩尤が無言で同意した。
「いたな」
蚩尤の視線の先、粗末な小屋の前に、一人の農夫が座り込んでいる姿があった。
機械的に手を動かしている。
「旅の人かい」
男がぶっきらぼうに訊いた。
近づいてみると意外と若いことが分かった。
蚩尤より少し下、といったところか。男の手は淡々と作業を止めない。
「死にたくなきゃ、とっとと邑に抜けな」
「どういうことだ」
蚩尤の問い掛けに、男はちらりと視線を上げると、面倒臭げに応えた。
「山の奴らが人間の味を覚えちまった。もう何人もやられてる」
脳裏に胡馬の惨状が蘇る。
蚩尤が控えめに問い掛けた。
「山の奴、とは具体的には何か分かっているのか」
「熊さ」
「熊? 妖獣じゃなくて?」
耿晨は、拍子抜けして、素っ頓狂な声を上げた。
男は目をぱちくりさせた。
「どっちだって同じだろ?」
「全然違う。熊だったら食べれるじゃないか」
男は一瞬、ぽかんとした顔をした後、首を振りながら呆れた息を漏らした。
「武人さんにとっちゃ違うのかい?
善良な一般人にゃ、どっちも大差ない。
刀で斬られんのと弓で刺されんの、どっちがいいって聞かれてるようなもんだ。
結局殺されるんなら、どっちも同じさ」
別に武人じゃないんだけどな。
耿晨は苦笑しながら、作業を続ける男の手元を見た。
先ほどからずっと、使い込まれた木槌で拳大の土塊を砕き続けている。
砕かれ砂となった元土塊を脇によけると、また新たな塊に手を伸ばす。
「それは何をしているところなんだ」
思わず口をついた問いかけに、男は面倒くさげな視線をよこした。
「何って、土を作ってんだよ」
「土ならそこいらにいっぱいあるじゃないか」
耿晨は目の前に広がる水田を指差した。
「あそこのを砕いてんだよ。あのままじゃ硬すぎて使えねぇ」
「何に使うんだ? 鍬で耕すだけじゃ駄目なのか?」
「普通ならそれでいいが、こいつは特別」
「特別?」
男はついに手をとめて木槌を置いた。
胡散臭げに二人の旅人を見上げる。
耿晨は慌てて胸の前で手を振った。
「不躾ですまない。
なにせ私たちはずっと二人だけで暮らして来たものだから、人が珍しくて仕方ないんだ」
「ずっとって、黒夜からか」
「その少し後だ」
これには蚩尤が応えた。
男は耿晨と蚩尤の顔を交互に眺めた後、一、二度小さく頷いた。
どうやら、全滅した邑の生き残りかなにかと勘違いしてくれたらしい。
男は小屋の脇に茂る羊歯の葉を指した。
それは耿晨もよく山で見かけた植物だった。名前は知らない。
「そいつを育ててみようと思ってな」
「生薬だな。葉を煎じて飲むと腹痛に効く」
数年前、お腹を壊したとき蚩尤に飲まされた。
げっと来るほど苦く、余計具合が悪くなるんじゃないかと思ったが、翌日には腹痛は治まっていた。
「そうなのか?」
耿晨の言葉に、男は感心したような疑問符を投げた。
「へえ。知らなかったな。一度食べてみたが苦くて吐き出した。
そうか、そんな使い方もあったのか」
心なしか嬉しそうだ。
卵を割ってみたら、黄身が二つあったぞ、というような顔をしている。
「じゃあ、何の為に育てようとしてるんだ」
首をかしげた耿晨に、男がどこか得意げに説明した。
「こいつは成長すると食えたもんじゃないが、若芽のうちは柔らかくて苦味もえぐみもないんだ。
ただ、すぐに成長してしまうから、食べれる期間は短い。ほんの一日二日ってとこだ。
その上保存もしにくい。だから、成長速度を遅らせれないか試してたんだ。前回は収穫期を六日間に延長できた」
「すごいな。そんな芸当が可能なのか」
「成長を遅らせるように、わざと痩せた土壌を作るってところか」
「まあそんなとこ。だけど、この方法はあんま使いたくないんだ」
耿晨は話を聞きながら、おや? と思った。
数刻前までの、覇気のない男の印象が変わっている。
愛想のない口調の中に、農業に対する自負のような熱が見え隠れしている気がした。
「うちの水田は蓮薯を植えてるんだがな。蓮薯が田を使うのは一年で九ヶ月だけだろ。残りの三ヶ月が勿体ねぇ。だから三ヶ月で収穫できる作物を探してる。こいつは若芽を摘むから種蒔きから三週間足らずで食べ頃になる。もってこいの作物なんだが、土地を痩せさせちゃ、今度は蓮薯が育たねぇ。本末転倒ってもんだ」
男は急に雄弁になった。あれやこれやと、土壌やらなんやらの説明をしてくれた。
要は、今度は水分量を変えることで成長速度を調整しようとしているらしい。
「そんなの、雨が降ったら変わるんじゃないか」
「まああれだ、知識さえありゃ、活かせる道がどっかにあるだろ。
自然に喧嘩売っても仕方ねぇしな」
男は何の気負いもない調子で、あっけらかんと笑った。
男の横顔に今までの旅の情景が重なった。
ここに至るまで、どれだけの田に緑があっただろう。
うち捨てられ、干乾びた田畑の連なりをどれだけ見てきただろう。
自然に喧嘩を売っても仕方ない、その言葉をさらりと口にするのに、この男はどれだけの想いを超えて来たのだろう。
耿晨の胸に熱い塊が込み上げてきた。
―――――――――いるじゃないか、ちゃんと。
生きて、直向きに、ただ生きている。人間がいるじゃないか。
素敵な農夫と出会いました。




