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紅蓮の章 三 旅をするなら森に限る

手配書がでちゃいました。

「玲凛といると、忙しいなぁ」


 長蘆県の中ほどに位置する、基山きざんの木々を分けつつ、緋雲は歌うように言った。


「玲凛に厄介ごとが集まるのって、水が下に流れ落ちるみたいに自然の摂理の一部だって気がしてきたよ」

「あんまりな言われようだわ」


 緋雲は鼻歌交じりに山道を行く。

 先ほど拾った木の枝で、下生えの草木を払いながら、陽気に進んでいく。


 程よい長さの程よい曲がり具合。


 お気に入りの木の枝を、指揮棒のように振ると、森が呼応して歌ってくれるような気がした。


 ――――――邑から邑へは、街道ではなく森の中を歩く。


 それは旅に出てすぐに、自然と身についた習慣だった。


阿雪がいる限り、妖獣の心配はない。

 それならば、追っ手や夷の脅威のない森を歩くほうが効率的だった。

 実際、阿雪一匹でどれほどの効果があるかは不安だったが、意外なほど道行は円滑に進んだ。


 多生の緑に囲まれた景色は、緋雲に不思議と安心感を与えてくれた。


 木々の隙間から漏れてくる白い月光や、生態発光する青い小鳥。

 微かに聞こえる水の染み渡る音。

 森の中にいると、細胞の一つ一つが覚醒してくような感覚に浸れた。


「自然の豊かな場所は、気も溜まっているからじゃないの」


 と、玲凛が冷静に分析してくれた。


黒夜に晒され乾ききった外の世界とは違い、森の中は生命で満ち溢れている。

 少し目を凝らせば、栗鼠や狐なんかの小さな動物と知り合うことができた。


動物たちは旅の良い伴だった。

 森の中で、食べれる物は動物たちに教えて貰う。

 肌寒さを感じる夜も、動物を横に眠れば暖かかった。


 たまに幼獣をお伴に選んだときなんか、玲凛が悲鳴をあげたりした。

 そんな時は伝家の宝刀。


「妖獣というだけでダメなら、阿雪はなんなのさ」


 で、玲凛は黙るしかないのだ。


 枯れた白夜の木々の表面に、苔が緑色の絨毯を引いていた。

 その幾分柔らかい地面に、一枚の布を敷いたものが、本日の寝床だった。

 阿雪を真ん中に、川の字になって寝転ぶ。


空には満天の星。

 こんなにも星があったのかと、驚いてしまうほどだ。


「なんだか、眩しいくらい」


 囁くような玲凛の声が、すぐ近くで聞こえた。

 緋雲は仰向けに空を眺めたまま、同じく小声で語りかけた。


「起きてたんだね」

「星に見惚れてたの」


 玲凛は星を掴むように、手を上に伸ばした。


「これは黒夜でなきゃ、見れない絶景ね」


「太陽ってさ、地上を隅々まで照らしてくれるけど、逆に空の本来の姿を隠してしまってるんだね」


 感慨深い思いで呟くと、隣で玲凛がひっそりと笑む気配が伝わってきた。


「緋雲の口調。太陽があるほうが異常な事態って感じ」


 玲凛が歌うように天地開闢てんちかいびゃくの神話の一節を吟じた。


「天は扶桑ふそうの木で混沌を捏ねた。

 幹が大地と空を、枝が海を、葉が生命を選りだした」


 緋雲も後を続けた。


「中央に扶桑樹を植え、これを義和ぎわに守らせた。

 義和は十の太陽を産み、三本の肢を与えると、それぞれに立国を命じた。

 残った混沌は月の裏に隠した」


 緋雲は月のない空を眺めた。

 星々の煌きに身を浸していると、空に自分が浮いているような錯覚に襲われる。


「今見ているのは、月の裏側に隠された世界なのかな」

「そうなるわね」


 玲凛が、心を奪われたような声で答えた。


「混沌って、綺麗なんだね」

「清濁入り乱れているから、混沌と呼ぶのかもしれないわね」


 緋雲は嬉しくなって、寝転んだまま、身体ごと玲凛に向いた。


玲凛は仰向けの姿勢で、両手の指を軽く胸の上で組み合わせていた。

 その姿が、まるで祈りの形のようで、玲凛がひどく神聖な存在に見えた。


「濃い緑を仰ぎ見るとね、確かにどこか安らかな気持ちになるの。

 自然の浄化効果とでも言うのかしら」

「自分の素直なところが解放される感覚」

「そう、そんな感じ」


 玲凛も体を回転させて、緋雲と向かい合った。

 同じ感覚を共有しあうように、二人微笑みあう。


生命いのちあるものと純粋に触れ合いたくなる。

 そんな緋雲の気持ちも分かるわ」


 星明りにしっとりと照らされた玲凛の紫紺の髪は、まるで天空に流れる川のようだと感じた。

 白い頬にかかる、一房の髪の乱れに手を伸ばす。


緋雲に髪を直されるのを、玲凛は大人しく微笑みながら受け入れていた。


「玲凛、綺麗だ」


 いつもなら、赤面しながらの平手が飛んできそうな台詞を口にする。

 だが、夜のまどろみの中にいるのだろう。

 玲凛は小さく、何それ、と笑っただけだった。


「本当に、玲凛が王様だったらいいのに。もし僕が天帝なら、玲凛を選ぶよ」

「私なら、湖詠を選ぶわ」

「そこ、僕を選ぶっていう場面じゃないの?」


 頬を膨らませて見せると、玲凛が零れるように笑った。


「緋雲でも良いわ。緋雲みたいに、生きとし生けるものを愛せる王なら、優しい国になりそう」

「でもって……」


 情けない声を上げると、玲凛が悪戯を成功させた子供のように、くすくすと笑った。

耳に心地よい玲凛の笑い声に、緋雲はそっと目を閉じた。

頬を撫でる夜風。穏やかな静寂が満ちた。


「宣州に行くわよ」


 寝息のような玲凛の宣誓に、緋雲は頭に葉っぱを付けたまま、首を傾げた。


「あんまりぴんと来ないなぁ」

「今はそうでも、行けば何か思い出すかもしれないでしょ」


 そうかなぁ、と気のない返事がまずかった。

 半分目を閉じた玲凛に、ほっぺたをぷにと押し込まれた。


「何するの」


 急な仕打ちに、頬を押さえて抗議する。

 玲凛は満足げな表情で、ふふんと笑った。

 かと思うと、そのまま寝息を立て始めた。


「なにそれ」

 緋雲はがっくりと肩を落とした。

 

――――――――――――――――


 寧北を出てから十日ほど経った頃、小高い丘の向こう側に、一風変わった形態をとる邑を見つけた。


「……隔壁かくへきが、ない」


 驚愕に近い玲凛の声。


「湖に抱かれているみたいだ」


 半月型の湖に、寄り添うように邑が形成されていた。


 普通、邑は隔壁に囲まれている影響もあって、四角に近い形をしている場合が多い。

 だが、目の前の邑は、半月状だった。湖と二つで円を描いている。


 湖が自然の要害の役割を果たしているのだろう。

 邑の部分には、風除け程度にしかならないような、低い土塁が張り巡らされているだけだった。

 この時代に隔壁を持たないなど、無用心にもほどがあった。


「どうする?」


 玲凛が意見を求めてきた。


「行こうよ。自然と暮らしているって感じで、僕は好きだよ」


 玲凛はしばらく口元に手を当てて考え込んでいたが


「そうね。物資も少なくなってきたし。

 一泊しましょうか。危なそうだったら、すぐに発つわよ」


「久しぶりにゆっくり湯に浸かれるね」


 玲凛が両手を伸ばして大きく伸びをした。


「そうね。寝台しんだいで眠れるのも嬉しいわ。

 毎日土の上じゃ、さすがに身体のあちこちが痛くって」


 旅の疲れを取るのにはちょうど良い邑だと思った。

 きっと宿舎やどやからは、湖面が見えるはずだ。


久しぶりの休養に、胸を躍らせながら、緋雲と玲凛は坂を下った。

新しい邑を見つけました。

この章おわり。

主人公チェンジです。

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