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漆黒の章 四 黒夜では、心も荒廃してしまいます

遺跡を出発したみたいです。

 遺跡は意外に関所から程三日ほどの場所にあった。


 予州と貞州を隔てる関所。

 ここを超えれば貞州は三洲県さんすいけん


 ―――大河に囲まれた水の豊かな土地に辿り着く。


 関門のところに、三人の男がいた。

 夷の問題が深刻化している陶では、関守は武官が配されるのが主だ。

 目の前の男たちも、屈強な身体をしており、お世辞にも品が良いとは言えない顔立ちだった。


過傅かはくを見せて貰おうか」


 関守の一人が手を出してきた。

 蚩尤は過傅を渡しながら、関守に話しかけた。


「驚いたな。まだ関守がいるとは思ってなかった。

 人の往来など、皆無じゃないのか」

「そうでもないさ。現にお前さんは、今ここにいる。

 それより、これ紫傅しはくじゃねぇか。一体どうやって手に入れた」

「どうもこうも、昔買っただけだ」


 関守たちは、紫傅を見た途端、急に目の色を変えた。

 集まって何かを相談している。建物の中からも、新たに数人が顔を出し始めた。


(まずいな……)


 平静を装いながらも、蚩尤は内心嫌な汗をかいていた。

 紫傅は偽名で取ってある。


 事の成り行きを見守っていると、先ほどの関守が戻ってきた。


「通っていいぞ」


 ほっとしながら、紫傅を受け取るため、手を伸ばすと、男はさっと手を高く掲げた。

 その顔に、下卑た嘲笑が浮かんでいる。


「……どう言うことだ?」

「そう言うことさ。お前たちはここを去る。紫傅は残る。それだけの話さ」


 他の者に目を向けると、皆気味の悪い薄笑いを浮かべていた。


「なるほど、関守とは名ばかりの追い剥ぎ集団ってところか」


 刀の柄に手をかけた。

 空気が一瞬にして殺気立った。


 それまで様子を見ていた他の者たちが、腰の得物に手を伸ばしながら、おもむろに二人の周りを取り囲み、退路を塞ぐ。

 全部で五人。

 その淀みのない動きを横目でちらりと見て、正面の男に目を戻す。


「腐っても関守。最低限の訓練はされているようだ。

 だが、今回は相手が悪くはないか?」


 男はあくまで余裕の表情を変えない。


(仕方ない)


 蚩尤は一瞬のうちに、相手の剣を弾き飛ばした。


 あまりの早業に、事態を把握できていない関守たちを横目に、一気に関門に向けて走り出す。

 数歩進んだとき、鷹揚な声が背にかかった。


「強いねぇ、兄ちゃん」


 振り向くと、先ほどまでは誰もいなかった乱雑に置かれた木箱の上に、まだらの柿茶色の髪をした男が座っていた。

 胡坐の上に頬杖を付き、可笑しそうに瞳を細めている。


「やはり、そう簡単に通してはくれないか」


 まあな、と柿茶色の男が口を歪めた。

 いつの間にか、二十人近くの男たちが集まってきた。


 男が片手を挙げると、激しい音を立てながら、関門のとばりが下りてきた。

 何が何でも通さない腹らしい。


「莫迦が」


 蚩尤は吐き捨てると、躊躇わず刀を抜き放った。


「門さえ開けておけば、無傷で済んだものを」


 これで斬るしかなくなった。

 苦く思いながら刀を構える。


 耿晨は刀に手を伸ばさないでいた。


 人を切ったことがないのだ。仕方がないと言えなくもない。


「お前がせめて自分の身を護ってくれれば、殺さずに済むんだがな」


 挑発に、耿晨の目が怒りで険しく光った。


 耿晨は暫く瞑目した後、意を決したように双刀を抜き放ち、蚩尤に背をあわせた。


「いいのか」

「舐めるな」


 突如、耿晨がよく通る声を張った。


「私は人と戦った経験がない故、加減を知らない。

 気は付けるが、命を奪う結果になるかもしれない。罪を先に詫びておく」


 耿晨の言葉を合図に、複数の鞘走りの音と怒気を含んだ雄たけびが押し迫ってきた。

 二人は、背を外すと互いの正面に向けて飛び出した。


一斉に三人が斬りかかって来た。

 相手が刀を振り下ろすより先に、正面の男に肩を入れて飛ばし、振り返る勢いで残り二人の得物を一太刀で薙ぎ払う。


 得物が宙を舞っている間に、首に回し蹴りを入れる。

 男の身体が崩れ落ちる瞬間、斃れる男の影から、棹刀が突き出された。


 身を捻って躱すと、回転を利用して背後から首に刀柄を叩き込む。


 掛かってきた五人目を刀背で袈裟懸けに切ったとき、くず折れる男の肩越しに、

―――――――――宙に弧を描いて飛ぶ、耿晨の姿が見えた。


耿晨は切り結んだ男の肩を足場に、宙を舞っていた。


 深紅の飄彩ひょうさいを棚引かせながら円を描く姿は、飛天のように美しく、乱れがない。


 刹那、地を蹴る。

 浮いたところに上段に切り込まれる。

 その刃を跳ね上げると、着地と同時に下段の男を蹴り飛ばし、上段にいた男にぶつける。

 よろめいた胸に再度蹴りを入れ、背後の壁に叩き付けた。


激しい音と煙を撒き散らしながら、男たちの身体が、壁に積み上げられたいた木箱に埋もれた。


 その直ぐ横で、破壊から免れた木箱の上に、

―――――――――柿茶色の男が、顔から笑みを消して座っていた。


 肩にかけた、背丈程の棹刀が鈍く光っている。


 蚩尤は刀を鞘に収め、静かに訊いた。

 些かも息が乱れていない。


「引く気はないか」


 柿茶の男は、口を変に歪めて両手を挙げてみせた。


「生憎、俺はもう生き飽きている」

「……死を望むか」


 与えられる死を待っている者の顔だ、と蚩尤は思った。

 そう判断した蚩尤が、殺気を高めた刹那。


「―――――――――止すんだ蚩尤」


 振り向くと、耿晨が刀を納めながら歩いてきた。

 多少息は上がっているが、全部片付けてきたようだ。


 耿晨は男に、視線を移した。


「お前は仮にも尉士いしだろう。

 一度くらい、民を護るという使命に、胸を膨らませた時期もあったんじゃないのか」


 男は鼻白んで嗤笑した。


「俺が官吏になってしたことは、人殺しだけだ。

 処刑という名のな。尉士なんてのは、合法的に人を殺したい奴が選ぶ職業さ」


「―――――以前、白鄭はくていにいなかったか」


 男の嘲笑を無視して、耿晨が詰問した。

 あまりに唐突な言葉に、男二人が面食らう。


「……どうだかな」


 男は歪んだ笑みを浮かべて、鷹揚に顎をそらせた。


「見覚えがある奴なのか」


 問うと、耿晨は曖昧に頷いた。


「随分面変わりしてるが、おそらくは」

「ガタガタうるせぇよ」


 男は急に気色ばむと、棹刀を手に立ち上がり、怒鳴った。


「とっとと殺れよ。白鄭なんぞ居たことはねぇ。

 ここにいるのは単なる人殺しだ」


「―――――――――お前のせいばかりではないだろう」


 言外に込められた意味に、男の顔がぐにゃりとゆがんだ。


「他に誰のせいだってんだ。

 俺は俺の為に処刑ころしてきただけだ」


―――――――――男は泣いていた。


 命じられ、職責と保身に准じて人を斬ってきた男。

 この男も下される罰を待ち続けて生きてきたのだろう。


 傷付いた男に一瞥を投げると、耿晨は踵を返して、門へと足を出した。


「行こう蚩尤。月が消える前に山を降りたい」

「待てよ」


 追いすがる男の声に、耿晨が燃える目で振り返えり、広場に転がる男たちを指差した。


「自分が死を望むからと言って、周りを巻き込むな!

 相手が私たちじゃなければ、彼らは死んでいたんだぞ」


 叩きつけるような耿晨の怒声が、広場の空気を揺らした。


 出会ってから今まで、耿晨がこれほど激する姿を見たのは、初めてだった。


「自分を壊すほどの自責の念があるのなら、進む道は他にもあるはずだ。

 顔を上げろ。世界を見ろ。

 お前にできることは本当に何もないのか」


 耿晨の覇気に押され、男は青ざめた顔で震えだした。


 耿晨は広場を指していた腕を下ろすと、すっと冷めた目で男に語りかけた。


「私は。姓はだ。

―――――――――七年前のあなたに伝えて欲しい」


 男の耳元で、何かを囁いた

 柿茶色の男が息を呑んで固まった。


耿晨は、放心する男に一瞥もくべず再び踵を返すと、今度は振り向くことなく門を出て行った。


―――――――――――――


宋塾そうじゅくにいたのか?」


 山を降りながら先を歩く耿晨に問いただした。

 先程の男の過去である。


「父を、連れに来た人の中にいた」

「連れに……」


 連れに、とは、刑場に引き出されて行ったときを指しているのだろう。


 それでは、先程の男は耿晨の仇とも言える相手だったのだ。


「憎くは無いのか?」

「……あの人も、乖王かいおうの被害者だ」


 耿晨の目が遠くなる。


「あの人は、父の墓前で泣きながら詫びていた。

 勿論人の目を忍んでだけど。

 自分の意思に反して、人の命を奪わなければならないなんて、辛い仕事だっただろう。

 ―――――彼にも、そんな時代があったんだ」


「奴に、真っ当に生きていて欲しかったのか。だからあんなに怒ったのか」


 耿晨が自嘲気味に視線を落とす。


「怒りの対象は彼ではないよ。

 天や王やちょう……。

 いや、私自身だったかもしれないな。

 あなたを恨んでいない。父のために泣いてくれてありがとう。

 あの日にそう伝えていれば、彼の今は変わっていたのかもしれない。

 そう思うと、狭量だった自分が情けない」


 先ほどの過去への伝言はこれだったのか、と切なさが滲んだ。


(親を手にかけた男さえ、受け入れるのか)


 足を止めた蚩尤に、耿晨も立ち止まった。

 森の切れ間から大地を見下ろす。


「国が乱れて荒廃するのは、土地だけじゃないんだな。

 寧ろ人の心の荒廃のほうが遥かに恐ろしい」


 噛み締めるような言葉を耳に拾って、蚩尤は堪らずその場に蹲った。


「蚩尤?」


 耿晨が心配そうに蚩尤を覗き込んできた。


「もしかして、先刻の戦闘でどこか怪我したのか?」

「……いや、靴紐が解けた」


 誤魔化すと、ああ、と納得したように、耿晨が空に視線を戻した。


「一層乖王は許しがたい。

 でも早く王が立ち、国が安定していれば、彼はあそこまで自分を追い詰めずに済んだかもしれない。

 新王には己の罪深さを自覚してもらいたいな」


耿晨は暗い声でそう呟くと、関所を越えた帯山から、貞州を見下ろした。


―――――――――ようやく死の大地、予州を抜けたのである。

関所を抜けたみたいです。

この章終わり。

主人公チェンジです。

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