漆黒の章 二 聖獣って、悲しい生き物なんですね。
遺跡を見つけました。
蚩尤と耿晨が並んで通れるほどの穴を抜けると、濃い暗闇が広がっていた。
翳した灯が数十歩先で闇に溶け込む。
どうやら洞窟と呼ぶには似つかわしくない、広い空間が広がっているようだった。
見事な彫刻が施された燭台のようなものが、壁から生えていた。
皿には光核が載っている。
ためしに息を吹きかけると、ぼっという音を立て、闇の中に明るい円形の領域が生まれた。
灯がともしだした空間は壁も床も、長方形に切り出された岩で設えられていた。
「何なんだ此処は……」
耿晨が震えた声を出した。
広大な空間だった。
白い石肌に囲まれたその空間を一番端的に表現するならば、地下宮殿。
果てが見えないほど高い天井。
立っている入り口から左右に伸びる幅広い廊下。
廊下というよりも道と言ったほうがしっくりくる程広い。
もう一本、同じ幅の廊下が、目の前から真っ直ぐ奥へと伸びていた。
奥から空気が流れていることを考えると、先がどこかに抜けているのかもしれない。
垂直にそそり立つ壁には、植物や獣を図案化した繊細な模様が掘り込まれており、それがこの白亜の空間に荘厳な雰囲気を纏わせていた。
壁に埋め込まれている燭台には猛々しい獣の彫刻が施されていた。
見事な鬣を蓄えた姿に、嘗ての記憶が呼び起こされる。
「獅子だな」
燭台に灯を点しながら、思い出した名を口にした。
「獅子?」
「南方の国の獣だ。
とても強く、威風堂々とした様から獣の中の王と呼ばれている。
確かイジュール国では聖獣として信仰の対象にもなっていた筈だ」
「聖獣って、天杖に封じられている?」
「ああ。全ての獣の長だと言われる。
イジュールの天杖は金獅子だ。
ブランガルドでは天馬。ギルスでは応龍。陶は鳳凰だな」
「全ての長の割には、沢山いるんだな」
「その国の獣の長という意味だろう」
「全部の国がばらばら?」
「いや、重なる国もある。確か応龍を掲げる国は幾つかあった筈だ」
ふうん。と耿晨が曖昧な息を吐いた。
「所謂国の守り神というところだな。国によっては王よりも熱心に信仰されるらしい」
獅子を祀っているとなると、ここはイジュールに縁があるのだろう。
何故こんなところにイジュールの建造物があるのか。
腑に落ちない思いで獅子を見詰めていると、隣で耿晨が獅子の鬣をそっと指の腹で撫でた。
「どうりでどこか宗教色を感じる筈だ」
得心したような呟きに誘われて、蚩尤は遺跡に目を巡らした。
言われて見ると確かに、この遺跡は宮殿というよりも、霊廟に近い雰囲気がある。
燭台の前を通る度に、灯を足していく。
さほど歩かない内に、突き当りが見えてきた。
最奥の壁が近づいてくるにつれ、二人の目に驚愕の色が混ざった。
畏怖の念に押されるように、前に出す足の速度が落ち、終には止まった。
―――――――――最奥の壁には、巨大な石像が立っていた。
獅子を従えた壮年の男の立像だった。
それはあまりにも巨大で、全体像を掴むにはかなりの距離を取らなければならなかった。
足の指一つで、耿晨の頭の大きさほどある。
一枚の大きな布を身体に巻きつけ、端を肩から後ろに垂らしている。
もう一方の肩は裸のままである。手には杓。
そしてその額の中央に、聖紋があった。
随分と長い時間、二人は無言で聖像を見上げていた。
口火を切ったのは蚩尤だった。
「王だな」
蚩尤が嘆息した。
「……随分と変わった格好をしている」
「イジュールの服なのだろうが……。見たこともないな。
随分古いようだから、過去の服装なのだろうが、どれほど時を遡れば良いのか、検討も付かない」
見上げれば、見たこともない技術。
木の文化が息づく陶では見かけない、石の文化圏の知恵のようだ。
風化により細部が溶け落ちている様は、永い年月の経過を連想させた。
「何かの理由で国に帰れなくなった人々が、心の拠り所として霊廟を建てたのかもな」
蚩尤の視線の先で、耿晨が胸の前で手を合わせ、ほうっと吐息を漏らした。
「此処にも獅子がいるな。
先程、狩の対象になると言っていたが、聖獣は実在するのか?
私は鳳凰は空想の動物だと思っていたのだが」
「獅子は普通の獣だ。聖獣は正式には金獅子と呼ぶ。
見た目は似ているが、違う種族だ。
だがな、聖獣は実在するぞ。鳳凰だってちゃんといる。天杖の中にな」
「それでは誰も確認できないじゃないか」
耿晨が腑に落ちない態で、腕を組んだ。
「王はできる。王は天杖の中の聖獣と語り合うことができるからな」
「それがそもそも眉唾物だ。
大体王の霊力で封じられているのに、何故王が死んでも封印が解けないんだ」
「実際に封印を結ぶのは、尹羝におわす義和君だがな。
……まあ、過去には封印が解けた国もあったそうだぞ」
へえ、と耿晨が興味を惹かれたように眉を上げた。
「あくまで伝承だが、九百年程前、イジュールでは王が登極を拒み、墨節が三十年以上に及んだことがあったらしい。
そのとき封印が解かれて天杖は空になった。
新王は天勅を授かる為に臨んだ天禊の際、新たな聖獣を義和君に請い、与えられた、と聞く。
以前のイジュールの聖獣は麒麟だったが、その際、金獅子に変わったのだそうだ」
耿晨は大きな翠の瞳を、更に大きく見開き、何度か瞬きをした。
「前の聖獣、この場合麒麟か。麒麟はどうなるんだ?」
「一つの国に聖獣は一体だ。それ以外は寧ろ災いの種でしかない。
新しい聖獣が生まれた段階で、死ぬそうだ」
「聖獣とは報われない生き物だな。
生きている間は封印され、自由を得れば直ぐに死ぬ」
―――――――――
「これは何だ?」
灯を翳すと、王の像の足元、白い床の一角に何か文字が書き付けてあった。
辿々《たどたど》しい筆跡。
王や太陽、数字等の簡単な文字がいくつも並んでおり、全体で意味をなしてはいない。
「落書き?」
「書き付けの練習のようだな」
蚩尤が顎で指した壁には、床に掛れているものと同じ文字が、流麗な筆跡で記されていた。
どうやら壁の文字を手本として、練習したのだろう。
他の場所には、足し算や引き算などの計算式も並んでいる。
中には答えが間違っているものも多く、どこか微笑ましい。
目を閉じると、穏やかな情景が浮かんでくるようだった。
一段高い台座に腰掛ける教師。
それを取り囲むように弧を描いて座る子供たち。
笑い声まで聞こえてきそうなほど、生々しく脳裏に浮かんだ。
「……学舎だったようだな。
元々は霊廟だったのだろうが、後世は学舎としても利用されたのだろう。
この遺跡を建てた者とは、おそらく別の者たちだ」
「他の道も行ってみよう。何か分かるかもしれない」
廊下を引き返す。
今度は真っ直ぐ奥へと伸びた廊下を進んだ。
廊下の両側の壁には、人の通れるほどの四角い穴が等間隔で開いていた。
丁度戸をはずした入り口のような体裁。
どうやら一つ一つが部屋になっているようだった。
部屋は左右の壁に五つずつ、合計で十ある。
入ってみると、中は意外と広く、簡素な寝台が四台と、同じ数の小さな書卓が、壁に沿わせて備え付けられていた。
壁には石で付けられた縦線が、狭い間隔で何本も引かれていた。何段にも渡って付けられたその線は、暦だろうか。
何かを数えていた跡のようだった。
「人が生活していたみたいだな」
蚩尤は低い声で呟いた。
「さっきの子供たちかな……」
返された声が幽かに震えていた。
家具以外何もない部屋。
けれど色濃く残る生活の痕跡。
それは旅に出てからずっと目にしてきた光景と似ていた。
まったく違う空間なのに、この部屋は何故か滅んだ邑と同じ匂いがした。
書卓の上の埃はさほど分厚くない。
それは人が去ってから、あまり時間が経過していないという証ではないか。
では子供たちはどこに行ったのだろう。帯山は子供が渡るには厳しすぎるのではないか。
「他の部屋も見てみるか?」
耿晨は、青ざめた顔を蚩尤に向けると、音がしそうな程ぎこちなく、首を縦に動かした。
七つ目の部屋は、それまでの部屋と違い、寝台も書卓も一つのみ。
他の部屋のものに比べ一回り大きな寝台が、奥の壁に備え付けられていた。
その寝台の脇に、終にそれを見つけた。
やせ細り水分を失った老人が横たわり、その足許に、臥榻に凭れ掛るように、二人の子供が折り重なって死んでいた。
少年は既に干乾び、肌は暗褐色に染まっていた。
人としての原型をなんとか保っているのは、乾燥した空気と絶え間なく吹き込む風の影響で、腐敗よりも乾燥が進んだからかもしれない。
少し大きな少年が、もう一人の少年の頭を抱きかかえるように息絶えている。
亡くなった弟を抱き、敬愛する教師の屍の傍で最期の時を待ったのかもしれない。
教師と子供たちが死んでいました。




