漆黒の章 一 尸仙は全部で三種類!
新章です。
耿晨サイドですが、語り部は蚩尤です。
真如。
お前と袂を分かってからどれほど経っただろうか。
まさかお前が先に逝くとは、考えもしなかったよ。
最後まで生き残ったのが俺で悪かった。
蘭昌と二人、そっちでさぞかし歯がゆい想いをしてるだろうな。
俺は相変わらず愚鈍のままだ。
そろそろ頃合いだと分かってはいたが、お前の死を聞かなければ、踏ん切りはつかなかったかもしれない。
この罪、己一人で背負いたかったが、我を通すのもここまでのようだ。
だからな、真如。
―――――――――俺は最後の旅に出ようと思う。
―――――――――――――――――――
墨節の旅は辛い。
とくに予州のように自然に見放された土地では、まっすぐに歩くこともままならない。
通る人が耐えた道は、自然の力に侵食され、荒野の一部と埋没していた。
五里ごとに置かれる道標の頭が、かろうじて今踏み締めている場所が道であることを伝える。
その道標ですら、ともすれば草に埋もれ、旅人の目から姿を隠す。
旅人の守護星である北の星陰も、雲に覆われ姿を表さない夜のほうが多かった。
蚩尤は耿晨を連れ、数少ない印を頼りに、嘗ては田であり、道であったであろう場所を南東に向けて歩いた。
山を下りて、改めて胡馬の置かれていた状況が理解できた。
行けども行けども、生きた人間に出会わない。
周辺の邑は全て無人。
討ち捨てられた邑に辿り着く度、こうやって胡馬は孤立していったのだ、と実感した。
向かう先は崇山。
首都州にありながら自治を許された、武の空尸の統べる、武僧者の山である。
その為二人は、州境に位置する帯山を目指していた。
月の出と同時に出立し、特徴のある帯山の稜線を目指して南下する。
月が傾き始める頃には次の邑を探しはじめ、運よく廃棄された邑跡や屯が見つかればそこで、見つからなければ、手頃な窪地などで交代で仮眠を取った。
二人の間に、会話は殆ど無かった。
廃墟には、朽ちた民家の他に、埋葬されていない遺体がある場合もあった。
どれも乾いた骨と化していた。
耿晨は嘗ては人であった白い物体を見つける度に、簡素ながらも墓を拵え、手を合わせていた。
見通しの悪い寂寥とした暗闇の中、生きているものは蚩尤と耿晨の二人だけだと思えた。
やがて耿晨は、月が沈むと必ず、一刻ほどの時間を隔壁の上で過ごすようになった。
真っ直ぐに背を伸ばし、東を臨む。隔壁を吹き上げてくる風を正面から受けて佇む。
登るはずの無い太陽を待ち、ただ東の空に瞳を向け続けた。
闇に覆われた荒涼とした世界に佇む耿晨の背中を、蚩尤は少し離れた所で見守っていた。
「―――――――――これが王のいない世界か」
感情の篭らない重たい言葉を、乾いた風が蚩尤の耳に運んだ。
―――――――――――――――――――
予州と貞州を隔てる帯山は、その名の通り、帯のように長く、木々は少なく奇岩が多い。
一歩足を踏み入れると、似たような風景が広がるため、嘗ては遭難者が続出した。
遥か昔の名君、粛王が、関所に至る道を整備し、これにより、州の往来の安全が確保された。
民は王の功績を湛え、粛王の貴色である金に因み、これを『黄道』と呼んだ。
蚩尤も当然黄道を目指していたが、気付いたときには、黄道を大きく逸れていた。
黄道には戻れそうにない。
方角だけを頼りに進むしかなさそうだと結論を出した頃、耿晨が薪を火に投げた。
「どうして急に崇山なんだ」
自問しているかのような口調に、一瞬戸惑ったが、蚩尤は短く応えを返した。
「崇山の主と知り合いでな。少し面倒を頼むつもりだ」
「主と言えば、空尸じゃないのか。
蚩尤は空尸と知り合いなのか」
耿晨の意外そうな口調も、仕方が無いことだろう。
普通に暮らしていれば、空尸は伝説上の仙人のようにしか感じれない貴人だからだ。
もっとも、蚩尤からしてみれば、ただの甘党の親父でしかないのだが。
「耿晨は空尸が何か知っているか」
「人の寿命を越えて生きる者だろ」
耿晨がおざなりに答える。
「五十点だな。それは尸仙の説明だ。
尸仙にも天尸、空尸、地尸と種類がある。
天尸は王だ。天勅をうけて王として登祚すると、身体に脈穴というものが開いて、これにより自然から気を得て不老長寿となる。
地尸は主に官吏だな。王の側元にある人々は、霊力の込められた王気に触れることで長寿を得ている。
王の恵みというわけだ。
最後に空尸なんだが。稀に、王でもないのに自力で脈穴を開いてしまう人がいる。
それが空尸。
王と違って霊力を発していないため、空尸の側にいたとしても地尸にはなれない」
耿晨は初めて耳にする知識に興味を覚えた顔をしていた。
「脈穴を開くにはどうしたら良いんだ」
「以前本人に訊いてみたが、よく分からんのだそうだ。
いつ開いたのかさえ自覚できなかったらしい。
ともあれ、空尸は何にせよ一芸に秀でている者がほとんどだ。
耿晨も良い刺激になると思うぞ。彼の元でいろいろ学ぶといい」
耿晨が複雑な顔をした。
何かを拒否しているような、納得していない顔だった。
「別に、師事するなら蚩尤で十分だ」
「耿晨は俺しか知らんからな。陶は広いぞ。
山に篭ったのは三年半前。耿晨はまだ十二歳だった。
結果、耿晨は世間一般に疎いところがある。
でももう十六だ。幾らなんでもこのままというわけにもいくまい」
耿晨があからさまに苛立ちを見せた。
「そんなのは、山に入った時点で分かっていただろう。
何を今更、常識人ぶってるんだ」
「その言葉使いも問題だ。
耿晨の口調は俺にそっくりだ。
二人で暮らしてきたんだから当然だが、十六の娘が使う言葉じゃない。
俺以外の人間のいる環境で得るものは多い筈だ」
言い終わらないうちに、耿晨が耐えかねたように立ち上がった。
「なんだよそれ」
耿晨は搾り出すように言い捨てた。
「どうしたんだ。いったい何を怒ってる」
耿晨は風除けの外套を乱暴に掴み取り、吐き捨てるように呟いた。
「気分が悪い。少し歩いてくる」
羽織りながら踵を返しす耿晨の姿が、荒野の闇に消えていった。
―――――――――――――
住人のように無数に転がる奇岩は、闇に佇み、まるで息づいているかのような錯覚を起こさせる。
その奇岩の中でも、とりわけ大きな一つの上に耿晨はいた。
身の丈の倍はある奇岩の頂に膝を抱えて座っている。
外套が強風に煽られはためいている。
「何を拗ねているんだ」
蚩尤は隣の奇岩に背を預けて問いかけた。
標高が高いので風は強い。
遮られることのない自由な風は、奇岩の間を遊ぶように過ぎ去っていく。
長い沈黙の後、耿晨の声が降ってきた。
「今夜は北鱗が良く見えるな」
「北鱗は空の灯台だな。
あれが変わらずにいてくれるだけで、旅人は前に進める」
耿晨の話は要領を得なかった。
けれど何かを伝えようとしているのだと感じ、蚩尤は黙したまま続く言葉を待った。
やがて紡がれた言葉は、蚩尤の心臓を蹴り上げた。
「蚩尤は私の手を離すつもりなんだな」
仰ぎ見た耿晨は、高い星空だけを従えた孤高の王のようだった。
風に舞い上がる銀翠の髪の煌きが、蚩尤から言葉を奪った。
「――これは蚩尤にとって前向きな選択なのだと、信じていても良いのか?」
蚩尤は押されるように、奇岩に寄りかかった。
手の平を額に当てると、邪魔な前髪が指に絡んだ。
「何と、言えば良いのか……」
胸に込み上げてくる感情に名前をつければ、きっと『愛おしさ』になる。
蚩尤は小さく頭を振って私情を締め出した。
「そんなことを考えていたのか」
「では何故、いきなり山を降りたんだ」
詰問を投げかける耿晨は、とても誤魔化しが効く状態ではなかった。
「この間の手紙が関係しているのか?」
この間の手紙。
真如の死の知らせのことだろう。
「蚩尤、お前泰山についたら死ぬつもりだろう」
「……耿晨、思考がぶっ飛んでるぞ」
「……違うのか」
「まあ、いつかはな。俺はお前より年上だ。当然早く寿命が来る。それだけのことだ」
「……ものすごく、説得力がないぞ。誓えるか?」
「本当にそれだけだ。誓ってやるよ。
自ら命を絶ちはしない。これでいいか。
ほら、いい加減下りてこないと、引き摺り下ろすぞ」
耿晨に向かって腕を伸ばす。
「傍から、離れなくて良いのか?」
「くどい」
耿晨は首を振ると、すっくと立ち上がった。
外套を翻しながら、猫のように蚩尤の腕の中にふわりと飛び降りてくる。
その美しい姿に、一瞬魂を持っていかれそうになる。
すとんと腕に収まった耿晨は、少し穏やかさを取り戻したように見えた。
口をへの字に結んだまま、仏頂面の耿晨が消え入りそうな言葉を紡いだ。
「お前は、私の北鱗なんだぞ……」
不器用な娘の精一杯の言葉を、蚩尤は肩口で受け止めた。
「こんなに身体を冷やして……。莫迦だな」
小さな背中を二回叩いてやり、そっと大地に下ろした。
ゆっくりと寝場に足を戻すと、足元の砂利を弄ぶように蹴りながら、のろのろと付いてきた。
崩れやすい足場を踏み締めて歩いた。
乾いた石が、踏みつけられて細かく砕ける。
斜面の一角に、明らかに人の手で創られた長方形の入り口を見つけたのは、それから暫く経っての事だった。
耿晨にとって蚩尤は生きるよすがなんですね。




