先輩登場
(もう一か月もたつんだな……)
俺は、手元の広告の紙を見てそんなことをしみじみと思った。
1ヶ月前まで、下のほうに書かれていた部員募集の文字は、汚く消されていて、横に、募集は終了しました、と書かれていた。
あれから、一向に大二郎以外に友達ができるわけでもなく、とはいえ、視線は感じるものの、露骨に体のことで馬鹿にされることもなく、どっちかといえば安定した日常を俺は送っていた。
部活は基本的に毎日あって、授業が全て滞りなく終わった後、ホームルームが終わると、まっすぐ、ひんやりとした冷気に満たされた、人の気配すらしない5階廊下の心理室へと向かう。
その日も同じように、間仕切りで仕切られた教室にバッグを置き、宣伝にいそしんでいた。
1ヶ月という月日がたったことで皆、どの部活に入部するかもある程度決まり、それぞれが思い思いにグランドへ駈け出しているが、それは、どうやら恋愛も同じようで、あの先輩格好いいよね、とか、もっと綺麗になりたい、格好良くなりたいといったミーハーな考え方を持つ奴は、1年から3年生まで少なからずいる。
まぁ、それを相談しに来るやつは、それこそ、コンプレックスレベルに、強く意識しているので、人数的にはだいぶ減るが、それでも、覚えている限りで数えてみれば少なくとも20人はいたと思う。だから、おおむね、恋愛アドバイス部という部活は繁盛しているといっても差し障りはないだろう。
と、俺が、一階の掲示板に紙を貼りつけているときだった。突然、どこからか二人の女子がやってきて、
「ねぇねぇ、恋愛アドバイス部だって、ほら見てみて!」
「あっ、本当だ。これ、たしか2組の九品仏君がいるところでしょ!」
「えっ、マジで! あのイケメンの! そっか、じゃあ、今日暇だし、行ってみない?」
「そうだね、いこいこ!」
ご覧のとおりである。
俺は今、彼女たちが、一瞬、邪魔だよ、デブ、という人を射殺せそうな女子特有の視線で俺をこれでもかというくらいに、串刺しにして、押しのけていったことに気づいていた。
そして、大二郎は、やはり、イケメンとしてたった1ヶ月で1年の王子様として主に女子の株が赤丸上昇中であり、彼がいたるところに姿を現せば黄色い声が上がるほどだ。
おそらく、恋愛アドバイス部に訪れたお客さんの大半は、俺以外の三人の顔目当てで来た人だろう。
……そうじゃなかったら、おかしい。いや、むしろ、そうであってほしい。
全くなんたって、デブは迫害されるんだ。
皆、男のステータスにばかり注目しているんだったらデブだって、普通の人よりも飢饉とか長く生き残れるという点で、高いステータスを持っているじゃないか。
……なんて、言ってみたところで鼻で笑われて終わりだよなぁ。
「あらあら、誰かと思えば高橋様で、ございませんか」
そんな凛としながらも、どこか優しさをもった年上の人が出せるハスキーな声。
振り返るとそこには一人の少女が立っていた。
「誰かと思ったら律先輩じゃないですか。というか、いつも言っていますけど、一応俺は、後輩です。だから、高橋様、じゃなくて、高橋と呼び捨てにしてもらって構わないんですよ?」
それになんかむず痒いっている理由もあるしね。
しかし、先輩は、えへんと胸を張ると
「いえいえ、高橋様は、をのこなのですから、高橋様なのです」
確か、をのこ、っていうのは、古典単語で、立派な男性という意味だったな。
別に俺は全然立派な人間じゃないし、たとえ、俺が先輩の言う立派な男性だとしても、様付される理由はないと思うのだが。
それを言っても頑なに彼女は、やめようとしないので諦めた。まぁ、アイデンティティっていうのは人に言われてさっと変わるもんじゃないし、仕方のないことか。
彼女は、俺がアドバイス部に入部するときにはいなかった夕陽先輩とは、別のもう一人の2年の先輩。稲村ケ崎律先輩だった。
さらさらの流れるような黒くてきれいな髪の毛、柔和な目元は八幡大菩薩を連想させるほど、温かみがある。
白くてきめ細かな肌に、どれをとっても一級品のパーツがこれまたうまい具合で乗っている。
スタイルは、いわずもがなというところだろう。女の子同士だったら、まだ贅肉がとか、手厳しい意見がつっつけば出てくるのかもしれないが、それでも、こと俺からすればスカートから延びるすらっとした足、くびれた腰など芸術品のごとくというより他はない。
そんな彼女を特徴づけているのは、やはり、何と言っても話し言葉が、考え方とともに平安時代の貴族のようであるところだ。
彼女の家は、先祖代々、鎌倉でお土産屋をやっており、その歴史は国から認められているほど。
というのも、その昔鎌倉が都だった時代、人の流れが隆盛を極めた頃、当然物資も鎌倉に集まり、それらを売る人間も現れた。
彼ら小売業者は、店棚という店を持ち、行商として物を売って、生計をつつましやかに立てていたが、中にはもちろんうまい方法で、富を築きあげる者もいるもので彼女の先祖もどうやらそのうちの一人らしい。
時を経て戦乱や、戦争や、不況も、切り抜けて、現代に生き残った歴史の生き証人として、生き残った彼女の店は、鎌倉観光案内のパンフレットにもサイトにも名を連ねていて、いつ立ち寄ってもお客さんでにぎわっていた。
つまり、俺が言いたかったのは彼女は正真正銘、良家のお嬢様というわけで、教育も大和撫子伝統と世間体に見合ったものにしろという方針らしい。
「あの、律先輩、もしよろしければ、先に部活のほう行っておいてもらえます? 待っている人がいると思うので」
俺がこんなことを言うのは、彼女との会話が途切れてしまい、自分の作業に集中していると、自分が動くたびにすぐ後ろから誰かついてくるような、トテトテトテという足音がして振り返ると、そこに律先輩がいたからだ。
彼女はニコニコしながらただ俺の顔をじっと見ている。それがなんだか恥ずかしくて俺はそう言ったのだ。
「女性が男性の後について従うのは、務めなのです。ですから、私は高橋様の後を何も言わずに追うだけです……」
すごくいじましくしていて、可愛いと思う。平均女子の可愛さを戦闘力を1としたら53万ぐらいには可愛いと思う。
ただ一応言っておくが、論理自体はかなり滅茶苦茶だ。
男性の後を女性がついていくっていうのは基本的に男尊女卑の考え方から成り立ったものだし、前提として、結婚した夫婦がやることだし。
そのため、俺たち学生が、そういうことをすると、どうなるか?
「うわっ、おいあれ見ろよ! 二年の、稲村ケ崎先輩じゃねぇ?」
「あっ、本当だ! 俺あの人とオリエンテーリング一緒だたんだけどさ、あの人すごい優しくしてくれて、言葉使いも丁寧だし、マジ大和撫子って感じだわー」
「えっ、つか、何、お前、あの人とオリエンテーリング同じとか、うらやましいんだけど」
「まぁ、終わったことだし、それはいいだろ。というか、そんなことより、おい、あの律先輩の隣にいる奴誰だよ?」
「うん、どれどれ。おぁ、何だ、あいつ、でかっ!」
「本当に何なんだ。あの野郎。あんな可愛い人といやがって、さては、弱みでも握ったか?
「それはありうるな。あの恰幅の良さは、ボンボンっぽそうだよな」
「それで、先輩は薄幸の美少女、お金がなくて困っているみたいな? あり得るな。あぁーマジなんなんだよ。出荷されて、卸売工場行けよ、あいつ」
と、このように通りかかった同級生にぼろくそ言われてしまうわけだ。
俺が金持ちの息子で弱みを握って、先輩を脅しているとか、誹謗中傷もいいところだろ。
と、もういなくなってしまった奴らに言うわけにもいかず、俺は嘆息した。
「ああいったおこなる児どものいうことをお気に召す必要はありません。高橋様。人間、形などどうでもいのです」
おこなる、とはおろかなという意味で、児というのはガキ、形というのは容姿ということで彼女なりに励ましてくれているわけだが、俺としては、全然喜べない。
別に世間体をとにかく気にしてるわけでもないが、それでも、自分を貫いたために人から嫌われたというような場合を別にして、基本的にこういう株の落ち方は避けたいものだ。
だから、本当は、今すぐにでも離れてください、と言いたいところだが、女の子、それも自分と仲良くしてくれる数少ない先輩を無碍に扱うわけにもいかず、俺はあきらめて少し小走りになりながら、一枚一枚張り付けていった。




