ついに……
かなり修正しました
主人公の性格の統一などです
その翌日。
俺は目覚まし時計で規則正しく起きると、いそいそと制服に着替え、リビングへと降りた。
すでに両親は、仕事に出かけていて、食卓の上には、ラップにかけられた朝食が乗っていた。
スクランブルエッグとパン、それに、両親が家によく持って帰ってくるスライスされたハム。どれも冷えているが、別に食べられないことはない。
椅子に腰かけて、さっとそれらを平らげてしまうと、お皿を流し場に持っていき、洗う。
それらが済めば間髪入れずに、そのまま玄関へと向かい、靴を履いて、家を出る。
いつもと変わらない朝。
道の脇を連ねるお土産屋さんは、この近くにある高徳院というお寺への観光客向けに建てられたものばかりで、長谷団子や、しらす丼といった名物を売っている店が多い。
どこもかしこも茶色を基調とした奥ゆかしいたたずまいの母屋で、伝統好きな外国人観光客が多いのも理解できる。
最寄駅まで続く細い一本道を、段石のすぐ隣を隔てて駆け抜けていく車や自転車とは逆方向に、のろのろと進んでいく。
(それにしても、今日こそはきちんと、悩みを聞いてもらわないといけないよな……)
昨日は、主に今井先生の酒乱により全く話すら聞いてもらえなかったんだ。
もたもたしていると、たくさん人が来そうだし、なるべく早いとこ済ませておかなきゃいけない。
(……とはいえ、自分の場合、その恋の相手が、相談する相手なんだよなぁ)
それが、目下もっとも俺の頭を悩ませている最大の問題だった。
というのも、昨日の恋愛アドバイス部の部活宣伝用の紙には、抽象的な理念しか明記されていなかったものの、文面から推測するに、あくまで、片思いの女性を明確にしたうえで、その人一点集中で、恋路を応援していくだろう。
ということは、このまま何も手を打たなければ、おそらく、恋愛相談をするときに誰が好きなのかとまず、聞かれてしまう可能性が高い。だって、誰が好きなのかを明確にしなければ、何も始まらないからだ。
そのときに、まさか、夕陽先輩好きです、付き合ってください、なんて言うわけにもいかないし、かといって、他の人の名前を上げたら、本当にその人のルートに入らなきゃいけなくなっちゃうだろう。
このまま今日もう部活に行かずに、というかこれから、二度と顔を出さずに、そっと裏でダイエットをして、痩せたら、夕陽先輩の目の前に現れようということも考えたんだけど、せっかく、名前で呼べるような距離にまで、近づいたのにわざわざ自分から離れるのは気が進まないし、何より昨日ちゃんと行くと約束してしまったので、行かないわけにはいかない。
となると、どうすればいいかな……。
はあっと、俺はため息を漏らした。
答えが見つからないまま駅へと、たどり着き、定期券で、改札を抜ける。
渋いこげ茶色の柱と、薄いコンクリートの屋根。奥行きは狭い分、プラットホームは、電車で通学する学生でごった返しになっている。
俺は、雑踏の間をすり抜け、トイレ付近のレンガ造りの紫陽花が植えられた小さな花壇の縁に腰かけた。
紫陽花は、この地域では、五月六月中に、お寺で、催し物が開かれるぐらい名物だし、それに個人的に紫や藍色の花弁がそれぞれがお互いを尊重し合いながら、咲き乱れているので、見ていて気持ちがいい。
ここは、駅が混んでいるときの俺の指定席になっている。
朝のさわやかな風に乗って紫陽花の柑橘類のような甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐる。
また、あまり人も近寄らないので、僕のような体の大きいやつが、気を使わなくて済む場所なのだ。
もちろん、トイレ、しかも女子トイレのすぐ隣にあるので、用を足して、出てきた女子生徒からは怪訝な目をされることが必至だ。
でも、他の人から目に見えてうざったがられるよりは、全然ましだ。
そのうち、駅員のアナウンスがして、すぐにゆったりとしたスピードでやってきた江ノ電が駅に停車した。
扉が開いた途端、朝なのであまり降りてくる人は少ないから、どんどん人が乗っていく。
俺はタイミングを見計らって立ち上がると、目に見える範囲の乗車口で、もっとも人が少なさそうなのを選んで、そこに一番最後に乗った。
乗るときも、どれだけ注意を払ったつもりでも、相手にぶつかったりしてしまい、背中の方から、「うわっ、でっか」とか「こいつ学生かよ」とかそう言った声が聞こえるけど俺は、聞こえないふりをする。
どうせ、慣れているさ。そんな一個一個の誹謗中傷を気にしていたらきりがないしね。
ただ目を閉じて心を無にする。いつか大二郎のお父さんから習った簡単に心を安らげる方法だ。
そうして、学校に着くまで俺はただ自然の音にだけ耳を傾けていた。
今日はまだ入学して二日目ということも、あってか、学校に着くと、二人一組となってのオリエンテーリングがあった。
悲しいことにうちのクラスは、人数が奇数なので一人余ることに。
皆、一日目で、周りの人と少しは知り合いになったらしく、おおかたが前後の人で組んでいた。
そして、最終的に余ったのは俺。
奇しくも、俺たち後輩を案内してくれる係りの先輩も、奇数で、ちょうど、僕を連れていく人もいなかったので、担任の先生が
「よし、高橋、じゃあ、お前は、俺と行こう! 今、職員室で、用事済ませてくるから少し待ってろ!」
そう言って教室から出て行ってしまうと、教室には、騒がしさが訪れた。
皆、楽しそうに、話をしている。ほとんどが二人組で俺が入れる場所なんかどこにもなかった。
だから、こっそりと皆に気づかれないように教室を出た。
先生と行くことほどつまらないことはない。他のグループ連れ違うたびに憐みの目で見られるし、先生も俺に変な気遣いをしてくるのでなおさら嫌だった。
それだったら、行かないほうがよっぽどましだ。
いいさ、どうせ、自分で休み時間に、学校の隅々まで探検すれば、ある程度場所が限られているオリエンテーリングより、よっぽどオリエンテーリングれるし。
俺の中学校時代から鍛えたぼっちスキルなめちゃいけない。
中学におけるデブとはすなわちぼっちだ。俺は、大二郎とも、クラスが別(今もそうだ)のせいで、やれ、イベリコだ、臭そうだ、いう生徒に対してブヒの一つでも言おうものならさらに過熱するので、なるべく孤独にいることがベストだ。
そういう日々を過ごし、中学の三年間で僕は最強になったといっても過言ではない。スルースキル、耐性、HP全てがだ。
……と、なんだか、自分で言っていて空しくなってきたのでやめよう。
扉を後ろ手で閉めると、中の騒がしさが一層やかましく聞こえたのは気のせいだろう。
さて、どこへ、行こうか? 早くしないと先生が戻って来てしまうだろうし、その前に係りの先輩が来るかもしれないので、さっさとどこに行くか決めなきゃな。
「さて、と。じゃあ、とりあえず、学校で皆が憧れるであろう場所に行ってみるか」
そうして、誰もいない静まり返った廊下を俺は歩き出した。
さて、ここで、問題。
皆が学校の校舎の中で最も憧れる所はどこだろうか。
良く少女マンガだと体育館裏とか、倉庫とか出てくるけど、もちろんそこじゃない。
あとは、そうだな……たとえば、別棟の寂れた部室だとか、礼拝堂の談話室とか。
でも、違うんだな。それが。オリエンテーションがやりなれた僕から言わせれば、そういった邪道はえてして微妙なものだ。
もう正解を言おうと思う。はい。それでは、正解は――
屋上でした。
どこからかなんだよ、単純だな、というような不満たらたらな声が聞こえるんだが、それはスルーさせてもらう。
ということで、仕切り直して、俺は屋上にやってきたわけだ。
誰かが、鍵を階段に落としてくれていたおかげで、昇降口の扉を開けることができた。
灰色のところどころ白くなったアスファルトの地面に座り込む。
太陽はまだ中空にまで登り切っていないけれども、ちぎれ雲が散在したマリンブルーの青空が、パノラマ状に展開している。
見ていて心が晴れる。やっぱり雄大な自然はいいなぁ……。
人間のちっぽけさを感じさせられるというか。何もかもがバカらしく感じるというか。
「あぁ、誰かと思ったら、名人君じゃないか」
突然そんな声が、して、そちらの方に振り向くと
「こんなところで、なにしているんだい?」
それは大二郎だった。
「あぁ、大二郎か。いや、別に、ちょっとオリエンテーリングで、二人組作ったときに人数が足りなかったみたいだから、僕が自主的に、消えて皆で円満解決みたいな感じさ」
「なるほど。二人組で余っちゃったパターンか」
「大二郎。嘘も方便って言葉知ってるか……」
「ははは。ごめんごめん。ほら、自分、そういう冗談とか乗れない性格だからねー」
そうさらっと、冗談とか言うところ。大二郎はかなり毒舌なんだよな。
中学のときはこんな感じじゃなかった気がするんだけどな。
「ところで、どうして、君こそ、こんなところに?」
彼なら俺と違って社交的だし、顔もいいから、すぐにたくさん友達ができるはずだろう。
……まぁ、そのせいで、中学時代、俺は彼と飯を食うたびに自分のみじめさを痛感させられたのだけど。
「いやぁ、あのオリエンテーリングって男女別だったじゃない?」
「あぁ、そうだね」
「でも、女の子ばかり近寄ってきて、男と全く友達になれなくてね。それで、拒否されまくっていつのまにか余り者ってところかな」
くそ……なんだか、すごく負けた気分がする。同じぼっちで、同じような経緯でここまで来たのに何だろう。この身に染みて感じる敗北感。
まぁ、当然か。俺は、皆から快く思われていないけど、大二郎は女の子には受けているもんな。
「とりあえず、ここ座ったら?」
俺は、自分のすぐ隣をぽんぽんと叩いた。
「あぁ、じゃあ、そうさせてもらおうかな」
それに応じて彼は俺が指したところに胡坐をかいて座った。
一緒に青空を眺めた。階下から聞こえてくる喧騒は、一線を画した行動をとっている僕らにとっては、高みの見物と形容するのがふさわしいような一種の高揚感を巻き起こした。
と、そんなことをして時間をつぶしているとおもむろに、大二郎が口を開いた。
「そういえばさ、一つ聞いていい?」
「うん。いいけど、何?」
「いや、昨日のアドバイス部の件はどうなった?」
あっ、そういえば、そうだった。完全に忘れてた。今、自分がかなりまずい立場にあることを。
まぁ、人間窮地に追いやられたときほど、現実逃避しやすいからな。
あっ、でもそうか。三人寄れば文殊の知恵じゃないけど、大二郎に、どうすればいいか聞いてみるのも手かもしれない。
それで、一緒に考えれば、少なくとも俺一人の時よりはよっぽどましな解決策が出てきそうだ。
そこで、俺は、とりあえず、昨日あったことを洗いざらい話した。
大二郎はその間、黙って俺の話に真剣に耳を傾けてくれていた。
「それで、全部?」
話し終えると開口一番、まず彼はそう言った。
「あぁ、一応一通りすべて喋ったよ」
すると彼は思案顔になって、
「そう、か……まぁ、君のことだからうすうすこうなるんじゃないかって予感はしたけどね」
俺って親友の目から見てもそんなに不適合なやつなのか。
「まぁ、でも、解決策はもう頭の中に浮かんでいるから、大丈夫だよ」
もう解決策が浮かんでいるのか。もしかしたら、彼は俺のために、すでにこうなったときのために考えておいてくれたのかもしれないな。本当に頼りになるやつだ。
「絶対にうまくいく。僕に全て任せておいてくれ」
「部活入部希望!?」
それが俺と大二郎の話を聞いたときの、今泉先生の第一声だった。
今日は、昨日とは違い椅子と机が人数分用意されており、配置も、人の悩みを聞くというカウンセリング的側面を反映させた、お互いが向かい合うものとなっており、左の手前から奥にかけて俺、極楽寺先輩、大二郎、今泉先生となっていた。
どうでもいいことかもしれないが、今日の先生は、お酒も煙草も出すことはなかった。
格好こそ昨日と同じだが、何だか昨日より、先生をしている気がした。
とはいえ、先生だって本当は今日もお酒を飲んで無礼講にしたかったに違いない。……まぁ、俺としては困るが。
実際はじめ俺が入ったとき、彼女はバッグの中から酒瓶を取出し、
「おぉ、チャーシュー君。いいところにきた。ちょうど、おつまみが足りないと思ってたんだよね」
と、冗談と信じたい言葉を口走った。普通、人が足りないとか、だろ?
なんだよ、おつまみが足りない、って。二日目にして俺の印象はおつまみなのか。
と、そこで、夕陽先輩が現れて
「こんにちは、高橋君。さっそくだけど、こんな顧問でごめんね。でも大丈夫今日は、ちゃんと悩みを聞くから」
麗しさ、優しさ、ともに色あせることなく。じつに平和的、昨日となんら変わらない感じだった。先程までは。
俺が椅子に腰かけ、今日は紹介したい奴がいるんです、と二人に説明して、入り口に向かって、声をかけたところから、雰囲気は変わった。
はい、という清冽な声とともに、入ってきた大二郎。背筋はすらっとし、さすがお寺の息子といったところか、高潔さを体から滲み出していた。
そして、それに呼応するように、叫んだのは、今井先生だった。
「きゃー、イケメンじゃない! ちょっとぉ、チャーシュー君の仲間だっていうから、今度は何処産の豚かと思ったら、国産のイケメンでしょぉ!」
うわぁ……これがこの学校の女性教員の一人なのか……。
完全にノリが、男子高校生のそれだ。女性がイケメンに反応するのは分かるとしても、いくらなんでもここまで、過度な人がいるだろうか。
なんだか、彼女が結婚できなくて困っている理由が、二日目にしてわかってしまった気がする。
人の友達を豚だと思っていたというところとか特にな。
そんな俺のことはお構いなく、彼女は顔を真っ赤にして、きゃーきゃー、言いながら、バッグから携帯を取出すと、大二郎に猪突猛進していった。
「ねぇねぇ、君さぁ、名前なんて言うのぉ?」
いきなり鼻息荒く迫ってこられた大二郎は、いきなりのことすぎて、困り果てていた。
そして、そんなこと一切意に介さず彼女はどんどん質問攻めにしていく。
「誕生日いつ? 家何処? 今度、遊びに行ってもいい? というかもう同棲していい?」
どんどん、質問のレベルがエスカレートして途中から常識の範疇を超えている気がするのは俺だけなのだろうか?
そんな彼女に対し、大二郎は、もうどうすればいいのかわからず、俺に助けを求めて、視線を送ってきた。
……さすがに、これは止めないと埒が明かなさそうだな。
「先生、さすがに、困ってますよ……」
そう優しく声掛けしたつもりだったが、
「うるさいわね、黙っていなさい。イケメンはステータスなのよ。」
そりゃ、そうだろ。変なパロディにかけて言うな。
ぐいぐいと圧迫面接とも取れかねない近づき方をしてくる彼女に対して、完全に大二郎は大二郎でもうお手上げみたいだし。
でも、強制的に彼女のこと止めたら、何が起こるかわからないし。
「……先生、いい加減にしてください。さもないと、怒りますよ」
突然夕陽先輩が放ったその言葉の中に確かに静かな怒りと、脅しが暗に含まれていた。
空気が一瞬だけ凍った気がした。完全に堪忍袋の緒が切れているな。
それをさすがの張本人も察したのか、さっと大二郎から離れると、
「夕陽ちゃん……ごめん、私が悪かったから、もう怒らないでね、ね?」
彼女は夕陽先輩の顔色を伺いながら委縮しつつ、席に着いた。先輩はそれを見届けてから、
「ごめんね、そこの君。うちの顧問がいきなり迫ってきちゃって。……で、高橋君のお友達のようだけど、まず、名前を聞かせてもらえるかな?」
先輩のその声音は、先ほどと一転して、優しく、完全に凝り固まっていた彼の緊張を解きほぐしたようだった。
俺の隣まで来ると、座席に座り、
「名前は、九品仏大二郎」
そんな彼らしからぬふてぶてしい挨拶から始まって、彼は、いきなり話を切り出した。
そう、俺達で二人で、この部活に入部させてくれないか、と。
で、改めて、今に至るわけだ。
正直言って俺も驚いている。でも、確かに大二郎が見せてくれた部活案内の紙には入部が可能だと推測できる記述があるけれど。
「2人とも、入部って、何でそんなことをいきなり?」
「悪いですか? 先輩。ちょうど名人君から話を聞いて、人の悩みを解決するって、なんかいいなぁ、って思いまして」
「いや、別に悪いわけじゃないけど……」
「じゃあ、いいじゃないですか」
うわぁ、大二郎の奴、かなり押し売りのセールスマンみたいに強引というか、粘り強いというか。
まぁ、こういうの、俺がやらなければならないのだろうけど、生憎、もうすでに僕が話に入る余地はないところまで来てしまったので、大人しくしているしかない。
「だけど、九品仏君だっけ? 君知っていると思うんだけど、実はこの部入部って、し」
まだ途中までしか彼女は言っていないのに、それを遮るように彼はまくし立てて
「試験のことですか?あぁ、それなら、先生」
そう、問題は、試験だ、それを受けて後日初めて、許可が下りるらしいが。
「どうしたの?」
「その入部試験のことなんですけど、僕のメールアドレスをあげるんで、なしにして、入部させてくれませんか?」
もうめちゃくちゃだった。そんなことで、先生が陥落できると思っているなんて、大二郎は何を考え……。
「はい、入部決定。おめでとう!」
「ありがとうございます」
ええっ、軽っ!? いやいや、俺が止めるのはおかしいけれど、いくらなんでも軽すぎるだろう。
さっきまでの、話長くなりそうだな、感は、どこへ行っちゃったんだ。
イケメンのメルアドパワー、恐るべし。わが親友ながら、恐ろい男っ。
そんなボケを自分の中でかましつつ、いつの間にか、先生は、ニコニコしながら、大二郎と、メルアドの交換をしていた。両方ガラケーだった。
なんか、一瞬で丸く収まっちゃったな……。と、俺が嘆息した頃、
「いやいやいや、何か事が収束していますけど、ちょっと待ってください!」
と、先輩が異論を唱えてきた。しかし、先生は、赤外線交換しながら、
「夕陽ちゃん」
そう言ってから、急に真面目な顔になって横を見ると、
「人間のアイデンティティ、つまり、私で言うところの圧倒的な結婚願望」
何を言い出すかと思ったら、自覚していたんだ。
大二郎が、そっちにメアド送りましたよ、と言うと、うん、ありがとう。ダーリン、と返して、自分のケータイをポケットにしまった。
いつから、そんな関係になったんだ……。見れば、大二郎も、先生の身勝手なフレンドシップさに苦笑いしていた。
「人間はつまるところ自分のアイデンティティには勝てないの。全ての行動原理の中核だからね」
そこまで言って彼女はどうよ、といわんばかりに胸を張った。
なんだか、言っていることはそれっぽいな。腐っても精神科医というところだろうか。
「先生、お言葉ですけど、アイデンティティは幻想にすぎませんよ。あれは、人間が自分の行為に統一感を持たせるためにつくられた虚構にすぎませんから」
何でもないように先輩は反論した。
「……ぐっ、夕陽ちゃんが、どうして、ジャック・ラカンなんて、知っているの……」」
「お父さんが、好きで、彼の本いっぱい持っているんですよ」
「そうなの……。それを言われたら、先生の負けね。夕陽ちゃん。よく成長したわね」
何だ、この茶番は。誰も見ていて、面白くないぞ。
それに、会話の前半、おそらくほとんどの人が理解できていないだろ。誰だよ。ジャック・ラカンって。
「でも、まぁ、2人の入部は決定だけどね」
と、さらっと言いのける先生。
えぇ、……さっきの負けね、は何だったんだ。
もちろん先輩はそれに反応した。
「先生、ここは生徒会の機関なんですよ。ちゃんと、試験を受けてもらわなくては」
「いいじゃん。別に。もう賄賂も、こうしてもらっちゃったし」
賄賂って……。
「それに前々から男子部員は必要だなって思っていたんだよね」
「必要って、私と律じゃあ、駄目なんですか?」
律というのは、おそらく、もう一人の部員だろう。そうか、この部活って部員二人しかいないのね。
でも、だとしたら、部員は多いほうがいいだろう。そういう意味での先生の意見は、正論だ。それは、聡明な先輩なら理解できるはず。だとしたら、どうして彼女はこんなに渋っているのだろうか?
俺は自分なりに考えてみた。
そうして、まさか先輩に嫌われてしまったとか……? という考えが脳裏をちらりとよぎった。
いやいや、まさか。だって、まだ会って2日目で、自分なりに馴れ馴れしくしないよう謙虚にふるまっているつもりだぞ。
……あっ、でも昨日、先輩のこと苗字で呼んでいいですか、とか言っちゃたな。
結果的には、良い方向に言ったけれど、さすがに1日目で、あれはなかったのかもしれないな……。
人間っていうのは一つどこかにほつれを発見すると、一気に懐疑的になってしまうもので俺も例外なくそうだった。
今すぐ、時間を巻き戻したい。昨日にタイムスリップして、言葉の選択をし直したい。
でも、そんなことは、もちろん不可能なわけで、俺は、心中穏やかでなかった。
「いや、そういうわけじゃないんだけど、やっぱりどうも、恋愛相談に来た人の比率が女子が圧倒的に多かった気がする」
「それで、男子部員を増やせば、男子も来るだろうと?」
「まぁね。男子部員がいれば男同士でしかできない悩みっていうのもあるわけだし、敷居を下げるためにも」
「まぁ、そうかもしれないですけど……」
難しい顔をしている先輩に対して、先生は、諭すようにポンと肩をたたくと、
「いいじゃないの。夕陽ちゃん。豚だって食べれるんだし、彼にも使い道はあるわよ」
「……先生、それ、フォローになっていませんよね……?」
いや、もう俺が豚扱いされるのは、この際いい。気にしていたら血管が切れる。
ただ、今すぐに豚に謝ってくるべきだ。食用としか見ていなくてごめんなさい、って。
先生が養豚場で豚に対して平身低頭で謝っている姿を想像すると、なかなかシュールなものがあるな。
いや、いかんいかん。今はそんなバカみたいなことを考えている場合じゃない。
「それでも、これまで、試験でたくさんの人を落としてきたのに、いきなり彼らだけ特例を許すわけには」
そうか、そうだよな。俺ら以外にも、部に入りたい奴はもちろん大勢いたわけで、彼らは試験を受けて合格しなかったから入れなかったんだ。
なのに、俺たちは、無理を言って、試験をなしにしてもらおうとしている。
先輩の言うことは最もだ。確かに俺たちだけ特例なんて平等さに欠ける。
でも、かといって、試験に受かる気もしないしいんだよな。
ほら、俺って、典型的な、人生のここで、決めろよ、って時に決められないやつだからな。しかもそういうやつに限って、あらかた、クラスでのポジションで処理される。
ソース……ではないが情報源は俺。中学の頃、校内の野球大会で、俺は体格を買われて4番になったんだが、一回戦、最終回の裏、一点差で自分のチームが負けていて、2アウト満塁、という一打逆転のチャンスで自分に打席が回ってきたとき、皆、俺を応援した。
俺はそれで、気持ちが高ぶったためか三球三振。ゲームには破れ、試合後皆から、
「まぁ、お前みたいなデブにしてはよくやったんじゃないか」
「打席に立っただけでも良しとするか」
と、辛辣な言葉を賭けられたこともあった。
まぁ、悲しい思い出話はその変にしておいて、つまるところ、申し訳ないが、ここは、大二郎に任せるしかない。もともと彼が発案したことだし、何か方策があるに違いない、と、彼を信じるだけだ。
その大二郎は、腕を組んで、しばらく黙っていた後、おもむろに喋りはじめた。
「……わかりました。確かに先輩の言い分もよくわかります。僕たちがこれに関しては浅はかでした。申し訳ない」
さっと、頭を下げて詫びる。そして、顔を上げると
「でも、こちらも部活に入りたいという考えは譲れない。そこで、折衷案として、その試験を受ける代わりに、僕達二人を試用期間として今日から2か月間、使用してもらい、実績をあげたら、試験合格ということでどうでしょう?」
つらつらと、立て板に水が如く、はっきりと提案した大二郎。
彼が提案した折衷案は見事に両者の考えを満たしていた。
さすが、大二郎。俺は心の中で感嘆の声を上げていた。俺とは違って、リア銃は決めるべき時に、華麗に決めてしまうからリア充なんだ、と強く実感させられた。
先生は、隣にいる夕陽先輩に、
「……夕陽ちゃん。どう、九品仏君の案は?」
そう尋ねた。
さて、どうだろうか? これで、夕陽先輩も納得してくれるだろうか?
彼女は、迷っているようだった。口を動かさず、ずっと、室内を見まわして考え続けた。それは、とても長い時間のように感じられた。
そして、あるとき、ようやくはぁーっ、とため息をつくと彼女は
「……わかった。その提案乗ります」
ついに先輩が折れた。
そういうわけ、俺たちの仮入部、第一歩は、成功に終わったわけだ。




