第8話 二つ名を持つ令嬢(side:ジルヴェスト)
『蓮の葉令嬢』
いつからだろう。
社交の場で、その名前を聞くようになったのは。
年齢に似つかわしくない大人びた装い。
初めて彼女の姿を見た時、そんな違和感を持った。
それから時々、彼女の姿を見かけるようになる。
場にふさわしいとは言い難い装いで現れる彼女は、いつもどこか不安げな様子だった。
彼女が好んでしている格好ではないと感じた。
反面、薔薇のように艶やかな赤い髪と印象的なトパーズの瞳にいつも目がいった。
初めて彼女と言葉を交わしたのは、我がホズライン家で行われていた晩餐会だった。
「ジルヴェスト様、ご令嬢がお倒れになったのですが…」
侍女が具合が悪くなった令嬢がいる事を伝えに来た。
大ごとにするのは面倒だ。
両親に伝えるまでもない。
「案内してくれ」
「はい、今別室にお運びしました」
「彼女は…」
寝台で横になっていたのは、フュール・バントラーだった。
「息苦しそうにされていたので、コルセットを緩めましたら呼吸も落ち着きました。かなりきつく締められていらっしゃったようです。あれではとても苦しかったと思います」
「そうか…ご苦労だった。念のため、医者に診せよう。侍医を呼んでくれ」
「かしこまりました」
ほどなく侍医がやってきて、彼女の診察が始まった。
やはりコルセットの締めすぎが原因だったようだ。
しばらくすれば目も覚めると言っていた。
「…んっ…う…っ」
気がついた?
彼女の呻き声を聞き、顔を覗く。
「……と…さま…おか…さま…」
彼女の手が空を彷徨う。
まるで何かを求めるかのように…
僕はその手を掴んだ。
細くて小さな手。
彼女はホッとしたように小さく微笑むと、つー…と目から涙を流した。
「……っ」
僕はその涙を指でそっと拭った。
確か…彼女の両親は事故で亡くなり、親戚のところに身を寄せていると聞いたような…
曖昧な記憶の中、彼女の事情を思い出していた。
「………ん」
ゆっくりと目を開く彼女のトパーズの瞳が、僕を映した。
明るいオレンジの耀きに、一瞬目を奪われた。
「…気が…ついた?」
「え? あ、あのっ」
彼女は僕の顔を認めると、戸惑った。
そして自分の手をじっと見つめた。
まだ彼女の手を握っていたんだった。
「あ、ごめん…君の手が誰かを探しているようだったから」
僕は慌てて彼女の手を離した。
「気分はどうかな? あまりに苦しそうだったから侍女がコルセットを緩めたといっていたけど」
「は、はいっ 大丈夫ですっ た、助けて下さり、ありがとうございます。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませ……ググゥゥゥ〜〜〜」
気の抜けた音が部屋の中で響いた。
「し、し、失礼致しました!! あ、あの…っ」
真っ赤な顔をして謝罪する彼女と、背伸びした化粧と服装のギャップが可愛くて、僕は思わず笑ってしまった。
「あ! ごめんごめん! 馬鹿にしたんじゃなくて…何ていうか、そんなに派手…いや、艶やかな格好をしているのにお腹が鳴るって…落差が可愛くてつい…っ」
「ふふふ」
僕は取り繕うように謝罪した。
そんな僕を見て、彼女がはにかむように笑った。
いつも不安げにしていた彼女。
今初めて年相応の表情を見た気がして、思わず見惚れてしまった。
「……」
「ジルヴェスト様?」
黙り込んだ僕に、心配そうに声をかけるフュール。
「…あ、いやっ ちょ、ちょっと待っててっ 何か持ってこさせ…いや、取ってくるよ。その方が早いっ」
慌てて部屋を出た僕を、彼女は不信に思ったのでないだろうか?
「たかが笑ったくらいで何を狼狽えてんだ…」
僕は調理場へと向かった。
「おまたせっ 好みが分からなかったから、適当に皿に盛って来た。口に合えばいいけれど…」
僕が持ってきた食べ物を彼女は嬉しそうに口にした。
その後、母上に呼ばれ、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
2度目はどこかの夜会だった。
いつものように彼女は遠慮がちに壁際に立っている。
そんな彼女に言い寄る男が目に入った。
彼女は逃げるように会場を出ると、男は彼女を追う。
僕はあわてて走り出した。
「や、やめて…っ いや…!」
「焦らすのがテか? ふんっ どうせ、毎回男を誘っているんだろうがっ」
男の顔が彼女の顔へ近づく姿を見て、身体中の血が逆流するのを感じた。
僕は男爵の首根っこを捕まえると、傍にあった噴水に投げ込んだ。
「さあ、行きましょう」
「あ、ありがとうござ…っ」
彼女の瞳からボロボロッ…と涙が零れた。
怖かっただろう。
あんな男に言い寄られて…
「もう大丈夫だ」
僕は彼女の肩を小さく叩いた。
この時、僕の胸に言いようのない感情が沸き上がった。
今思えば、彼女を守りたい…そう思ったのかもしれない。
彼女を休憩室で休ませている間、僕は馬車へと戻った。
母上が置き忘れたストールがあった事を思い出したからだ。
彼女にそれを渡すと、小さく笑ってお礼を言った。
やっと見れた彼女の笑顔に安堵した。
そんな彼女から、後日予想もしていなかった言葉を向けられた。
「私と……あ、遊びません事?」
「……」
身体が固まるとはこういう事か…
まさか実体験するとは思わなかった。




