第2話 あなたの優しさに触れて…
一度目は、ジルヴェスト様の屋敷であるホズライン家で行われた晩餐会での出来事。
腰をより細く見せ、胸のボリュームを際立たせるためにコルセットを限界以上に締め上げられた。
何とか会場に来たけれど、あまりの息苦しさに気を失った私を助けて下さったのがジルヴェスト様だった。
意識がなかった間、私は夢を見ていた。
両親と過ごした懐かしい日々。
幸せだったあの頃。
もう戻らない ―――――……
二人の手のあたたかさで目覚めると、私の手を握っていたのはジルヴェスト様…
「…気が…ついた?」
「え? あ、あのっ」
突然、目の前にジルヴェスト様のお顔があり、心臓が飛び出すほど驚いた。
「あ、ごめん…君の手が誰かを探しているようだったから」
ジルヴェスト様はそう言いながら、すぐに手を離された。
彼は私が気が付くまで側にいて下さったのだ。
「気分はどうかな? 君、倒れたんだよ。あまりに苦しそうだったから、侍女がコルセットを緩めたそうだけど」
「は、はいっ 大丈夫ですっ た、助けて下さり、ありがとうございます。ご迷惑をおかけして、申し訳ありま……ググゥゥゥ〜〜〜」
「「………」」
気の抜けたお腹の音が室内に広がった。
「し、し、失礼致しました!! あ、あの…っ」
苦しくて食事を摂る事が出来なかったけれど、コルセットを緩めて頂いた事でおなかも緩んでしまったようだわ。
ああっ どうしましょうっ!
恥ずかしさのあまり、身体中の血液が顔に集中した。
一気に、汗が噴き出してくる。
「……くっ、ははははっ!! そ、そんな壮大な音…っ あはははは!!」
ジルヴェスト様が笑い始めた。
あまりにも豪快に笑い続けるので、さすがの私も少しむっとしてしまった。
「そ、そこまで笑わなくても…っ」
ふ、普通、令嬢が失態を犯した時、こんなに笑うかしら!?
「あっ ごめんごめん! 馬鹿にしたんじゃなくて…何ていうか、そんなに派手…いや、艶やかな格好をしているのにお腹が鳴るって…落差が可愛くてつい…っ」
『可愛い』
そんな事言われたのは生まれて初めて。
それに…私にこんな素直な笑顔を向けてくれた方も初めてだわ。
「ふふふ…っ」
彼の笑顔につられて、私も笑ってしまった。
両親が亡くなって、笑い合う事もなかったわ…
その時、私の顔を凝視する視線に気づいた。
「あの…?」
「…あ、いやっ ちょっと待っててっ 何か持ってこさせ…いや、取ってくるよ。その方が早いっ」
「え! いえ、大じょ…」
“大丈夫です”と言い終える前に、彼は部屋を出て行ってしまった。
侍女を呼ばずに、令息自ら何かを取りに行くなんて…
晩餐会を開催されている主催者のご令息が招待客を気遣うのは当たり前だけれど、ジルヴェスト様は私が目覚めるまで付き添って下さった。
「おまたせっ 好みが分からなかったから、適当に皿に盛って来た。口に合えばいいけれど…こっちに来られる?」
「は、はいっ」
部屋に戻ってきたジルヴェスト様は、持ってきたトレーをテーブルの上に置いた。
私は促されるように、席に着く。
トレーには果実水と二つの皿が載っており、一皿にはパスタ、サンドイッチ。
もう一皿はケーキと焼き菓子が彩りよく置かれている。
「どうぞ、食べて」
「あ、ありがとうございますっ いただきますっ」
こんなにたくさんの料理を前にするのはいつぶりだろう。
私はサンドイッチを手に取ると口に入れた。
「おいしいです…っ」
「良かった」
ジルヴェスト様が安心したように微笑む。
コンコンコン
「ジルヴェスト様、奥様がお呼びです」
「わかった。申し訳ないが、行かなければならない」
「は、はいっ 私は大丈夫です。いろいろお気遣い下さり、ありがとうございました」
私は椅子から立ち上がり、お礼を申し上げた。
「彼女の事、頼んだよ」
「かしこまりました」
ジルヴェスト様を呼びに来た侍女の方に私の事を頼むと、彼は部屋を出て行かれた。その途端、胸の中に心細さを感じた…
私は…ジルヴェスト様に握られていた手を握り締める。
他の令息ならば私を噂通りの女と思い、この機会に…と良からぬことを考えるかもしれない。
でも彼は、終始紳士的な態度を取って下さった。
きっとこの時、私はもうジルヴェスト様に惹かれ始めていたと思う。
そして2回目はその数か月後、別の夜会での出来事。
いつものように壁の花になっていた私は、酒に酔った年配の男爵に絡まれた。
慌てて会場の外へと逃げ出したが、追いかけて来た男爵に無理矢理庭園へ引っ張られた。
「や、やめて…っ いや…!」
「焦らすのがテか? ふんっ どうせ、毎回男を誘っているんだろうがっ こんな格好して」
お酒臭い息が顔に近づく。
大声を出したくても、恐ろしさのあまり声が出ない。
それにこんな状況を見られたら、私が誘ったとまたよからぬ噂を立てられる。
この時、すでに私の悪評は広まっていたから…
逃げられない!!
「うわああああっ」
急に、男の重みがふっと消えた。
男爵の首根っこを引っ張り上げた男性は…ジルヴェスト様だった。
「だ、誰だっ 放せ!」
男爵は身体を振って、掴まれた手から逃れた。
「これはこれは、ブッロフ男爵。あちらで夫人がお探しでしたよ」
「ホ、ホズライン伯爵令息! ち、違いますっ か、彼女が私を誘って…っ」
男爵は、上位貴族のジルヴェルト様が視界に入ると慌てて言い訳し始めた。
ジルヴェスト様が、ぐいっと片手で男爵の上着の首元を掴み上げる。
小柄な男爵の足が爪先立ちになっていた。
「女好きと有名なあなたのその言い訳、奥方に通じるのなら同じ事を仰ってみたらどう・です・かっ!」
ジルヴェスト様は男爵をそのまま傍にあった噴水の中へ引きずり投げた。
「わあ!!」
バッシャーン!!
「さあ、行きましょう」
ばしゃばしゃと水の中で暴れる男爵に構わず、彼はご自分の上着を私の肩にかけ、その場から連れ出して下さった。
「あ、ありがとうござ…っ」
私は助けられた安堵でボロボロッ…と涙が零れた。
「もう大丈夫だ…」
「……っ」
彼は私の肩に、トントン…と優しく触れた。
廻廊まで来ると、ジルヴェスト様は近くにいた侍女に私を休憩室に連れていくよう指示された。
「すぐに戻ってくるから、休憩室で待っててくれるかい?」
「え? は、はい」
私は彼に言われた通り、休憩室で待っていた。
肩にかけられたジルヴェスト様の上着に触れる。
男爵に引っ張られた時、ドレスの左の片袖口が少し破れてしまった。
彼が来て下さらなかったらどうなっていた事か…
私は自分自身を抱き締めるように両腕を回す。
その時、ノックが鳴った。
コンコンコン
「は、はい」
「お待たせっ」
ジルヴェスト様が軽く息を弾ませながら入って来た。
入口は少し開けて下さっている。
そんな気遣いが嬉しかった。
彼が手にしていたのは淡いグリーンのストールだった。
「あ、の…!?」
「母が馬車にストールを置き忘れていたのを思い出したんだ」
そう言いながら私の肩から上着を取り、そのストールをかけて下さった。
「好みじゃないかもしれないけれど、貰ってくれないか?」
「で、でもこれはお母様の…」
「大丈夫だから気にしないでっ うん、似合っている。あ、ストールピンがなかったな。これ、使って」
そう言うとご自分のクラヴァットピンを取り、つけて下さった。
「…ありがとう…ございます…っ」
彼の優しさで、胸がいっぱいになった。
両親が亡くなってから、こんなに私に気を遣って下さる方はいなかったから…
ゆっくりと目を開け、現実へと戻る。
その後、伯父の指示もあったけれど、彼にお礼を言いたくてこうして催しがあれば参加するようになった。
本来ならばお礼状を送るべきなのに、何度も書き直している内に月日が経ち、出しそびれてしまったのだ。
きっと…礼儀知らずな令嬢と思われた事でしょうね。
二度も助けていただいたのに…
お会いした時に…と思っても声を掛けることもできない。
結局私は、いつも彼を見つめるだけだった…
そしてこの時の私の心は、すでに彼への恋情を抱いていた。




