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第1話「昭和61年、封印の朝」

第3部 

昭和61年(1986年)の春。


エルドラドの打法を掴んでから、半年が過ぎていた。


涼太は、あの日から、慎重に動いた。

通うのは、日曜の朝だけ。

当たりは、数回に一度だけ。

ドル箱は、積まない。

店員の目と、常連の目の、どちらにも、留まらないように。


半年で、涼太の財布は、少しだけ、重くなった。

それ以上に、重くなったものがある。

紙の束を、誰にも見せていない、という秘密だった。


その日曜の朝七時。

サンライズの前に、いつもの列は、なかった。


入口のシャッターに、一枚の貼り紙。


〈本日、機械点検のため、開店は午後一時とさせていただきます〉


「どうなってんだ」


辰さんが、帽子の庇を押し上げた。

十数人の常連が、シャッターの前で、ぼやいている。


「点検だと。ここんとこ、他の店でもやってるらしい」


「全国一斉だそうだ。何かが、バレたって話だ」


「攻略法か」


「分からん」


涼太は、黙って、貼り紙を見つめた。

胸の奥に、冷たいものが、すっと落ちた。


午前十時。


シャッターの奥の、ホールの中では、見慣れない作業服の男たちが動いていた。


胸に、「日電協」の腕章。

五、六人の点検班が、メダルを使うシマの、一台一台の裏を、開けていく。


班長の宮田が、店長の浅田に、書類を差し出した。


「確認をお願いします。本日は、エルドラド全台の基板を差し替え、封印を施します」


「差し替え、ですか」


浅田は、書類を受け取りながら、眉をひそめた。


「理由は」


「メーカーから、仕様の見直しがありました。詳細は、お答えできません」


宮田の声は、事務的だった。


その横で、北洋機器の田島が、深々と頭を下げた。


「ご迷惑をおかけします。台数が多いので、半日はかかります」


「本社からは、何も」


「通達が、まもなく」


浅田は、小さく息を吐いた。


「野口。張り紙を、増やせ」


主任の野口が、足早に事務所へ消えた。


作業が、始まった。

北洋機器の技術員が、基板を一枚ずつ取り出し、中の部品を、新しいものに替えていく。

最後に、日電協の男が、特殊なシールを、丁寧に貼りつけた。


シールは、剥がせば、一目で分かる。


浅田は、その光景を、腕を組んだまま、じっと眺めていた。


午後一時。


開店のベルが、鳴った。


客が、流れ込む。

いつもの熱気が、戻ってきた。


エルドラドのシマには、新しい札が、一枚、掲げられていた。


〈改良型 基板更新済み〉


涼太は、いつもの角の台に、腰を下ろした。


千円を崩し、メダルを借りる。

赤い七を、止める。

プラムを、外す。

外す。外す。外す。


何度も、何度も、繰り返した。


十回。二十回。五十回。


台は、何も答えなかった。


数える仕掛けが、積み上がっていく気配が、まったくない。

リールが回り、止まり、小さく揃い、メダルが落ちる。

ただ、それだけ。


涼太は、手を止めた。


紙の束の中の、あの一行。

几帳面な誰かが、一度だけ、急いで書き足した、その痕。


その一行が、きれいに、直されている。


「……直された」


誰に聞かせるともなく、涼太は、呟いた。


隣の台から、辰さんが、顔を覗かせた。


「兄ちゃん。今日は、静かだな」


「ええ」


「出ないのか」


「……出ない台に、なりました」


辰さんは、涼太の横顔を、しばらく見つめた。

そして、何も言わずに、前を向いた。


通路の向こうで、浅田が、こちらを見ていた。

視線は、涼太の手元に、一瞬だけ留まり、すぐに離れた。


月曜の朝。志摩電装。


営業の田島が、八木に、頭を下げていた。


「エルドラドの基板ですが、今後、修理は、メーカー側で一括して受けることになりまして」


「一括、ですか」


「封印の関係で。外部の工場さんには、お預けできなくなります」


八木は、黙って、腕を組んだ。


溝口は、作業台の前で、背を向けたまま、手を止めなかった。

涼太は、その背中を見た。


預かり物の外側だけを、触る仕事。

その外側にさえ、封印が、かかっていく。


志摩が、社長室から、顔を出した。


「仕事が、減るな」


「……はい」


「なら、別の仕事を、探すだけだ」


志摩は、そう言って、また奥へ消えた。


その夜。


涼太は、アパートの四畳半で、西条から借りた紙の束を、机に広げた。


黄ばんだ方眼紙。

手書きの、暗号のような列。

三日三晩、目を凝らした、あの紙。


もう、読んでも、動かない。


だが、涼太は、その紙を、捨てなかった。


窓の外を、終電が、過ぎていった。


涼太は、鉛筆を取り、ノートの新しい頁に、こう書いた。


中身が読めないなら、外から、見る。


そして、その下に、もう一行。


機械は、必ず、どこかで、癖を残す。

10/29 8:10 に投稿します。

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