第11話「昭和60年、夏」
第2部
昭和60年(1985年)の八月。
蝉の声が、
サンライズの駐車場に、
降りそそいでいた。
その日、
ホールの入口に、
見慣れない貼り紙が出た。
〈新台入荷 ミリオンスター〉
『ビンゴ開発』の新機種だった。
メダルを使うシマの端の、
6台。
エルドラドの人垣から、
少し離れた場所に、
淡い青の筐体が並んでいる。
開店前、店長の浅田が、
スーツ姿の男と、
筐体の前で立ち話をしていた。
ビンゴ開発の営業部長、
平井だった。
「よろしくお願いします。
うちの、自信作です」
平井は、深く頭を下げた。
「出玉は穏やかですが、
長く遊んでいただける
設計でして」
「穏やか、ですか?」
浅田は、苦笑した。
「そこが、いちばん、
難しいところでね」
開店。
客は、
エルドラドのシマへ、
まっすぐ流れていく。
ミリオンスターの前には、
誰も座らない。
「見ろよ。
誰も、寄りつかん」
辰さんが、
通りすがりに言った。
「新台の顔を、
拝んでやるか」
辰さんは、
1台に座り、
千円を挿入した。
レバーを叩く。
ストップボタンを押す。
10分ほど、
無言で打ち、
ふっと立ち上がった。
「つまらん」
「何がですか?」
涼太が聞いた。
「何も起きそうな気が、
しねえんだ。
当たりが
来るか来ないか、
ぜんぜん、感じない」
辰さんは、
エルドラドのシマへ
戻っていった。
涼太は、
その台に、
少し残った。
メダルを入れ、
レバーを叩く。
出方は、穏やかだ。
大きくも小さくも、
揺れない。
当たりの前後に、
これといった癖は、
見つからない。
派手さは、ない。
だが、
リールが回り、
止まり、
小さく揃う、
その繰り返しは、
不思議なほど、静かだった。
「あら、兄さん、
その台、いいの?」
声をかけられて、
涼太は振り向いた。
小柄な、年配の女性。
買い物かごを提げている。
「いえ。見ているだけです」
「そう。私は、これが好き」
女性は、
隣の台に腰を下ろし、
メダルを一枚ずつ、
数えるように入れた。
「大きく
勝てなくていいの。
一時間、
こうして座っていられれば」
涼太は、うなずいた。
派手でなくても、
この台を好む客は、いる。
その事実を、
涼太は、胸の中にしまった。
そのとき、視線を感じた。
ホールの隅で、
平井が、こちらを見ていた。
平井は、
ミリオンスターの前の、
数少ない客を、
一人ずつ、目で追っていた。
その表情には、
焦りと、
諦めと、
まだ消えない期待が、
混ざっていた。
涼太は、軽く会釈した。
平井も会釈を返したが、
すぐに、目を伏せた。
夕方、事務所で、
浅田が、小さく言った。
「6台とも、稼働は、
ほとんどないな」
「撤去の話は、出ますか?」
野口が聞くと、
浅田は、首を横に振った。
「契約がある。
しばらくは置く。……が」
浅田は、
帳面に、線を一本引いた。
「入れ替えの判断は、
早いぞ。
本社は、結果しか見ん」
数日後。
志摩電装の工場。
営業の田島が、
木箱を提げて現れた。
「ご無沙汰してます。
エルドラドの基板が、
また不具合でして。
修理を、お願いしたく、……」
「また、ですか?」
八木が、箱を受け取った。
「連チャン機は、
報告も増えるんですよ」
田島は、苦笑した。
箱が、溝口の前に置かれた。
「やれ」
溝口は、
涼太に、顎をしゃくった。
「外側だけだ」
涼太は、基板を受け取った。
緑色の基板に、
白い文字で、
機種名が印字されている。
ELDORADO。
ホールで、
毎日のように見ている
機械の心臓部が、
いま、この手の中にある。
涼太の指先が、
わずかに震えた。
「見るな、と言ったな」
溝口が、
背を向けたまま言った。
「はい」
「触るのは、
ハンダと、
電源だ。
その先は、
お前の仕事じゃない」
「……はい」
涼太は、テスターを握った。
割れたハンダを見つけ、
吸い取り、盛り直す。
基板は、静かに動きだした。
中身には、
一歩も踏み込まなかった。
だが、
その中身が、いま、
すぐ手元にある、
という感覚が、
涼太の頭から、離れなかった。
その月の終わり。
涼太は、
社長室の机の前に
立っていた。
「寮を、出たい、と?」
志摩が、
書類から顔を上げた。
「はい。
夜の勉強が、
消灯で、
続けられなくて、……」
「勉強、ね」
志摩は、ペンを置いた。
「保証人は?」
「……いません」
沈黙が、流れた。
「俺が、なる」
低い声が、背後から響いた。
溝口だった。
「溝口、お前。……」
「仕事は、
きちんとしてます。
保証人くらい、書きます」
溝口は、
涼太の顔を見ずに言った。
志摩は、小さく笑った。
「野村、書類を」
経理の野村が、
渋い顔で書類を差し出した。
溝口は、
その場で、判を押した。
八木は、
廊下で腕を組んで、見ていた。
「若いのは、いいな」
誰に言うともなく、
そう呟いて、
八木は背を向けた。
九月のはじめ。
涼太は、
工場から歩いて10分の、
古い木造アパートの、
2階の四畳半に引っ越した。
家具は、ほとんどない。
折りたたみの机と、
布団と、
あのマイコンボードと、
ノート。
窓を開けると、
遠くに、電車の音が聞こえた。
涼太は、机にノートを広げた。
何を数えているのか。
その一行の下に、
新しい一行を書いた。
誰が、数えているのか。
窓の外で、
蝉の声が、少しずつ、
細くなっていった。
明朝 8:10 に投稿します。




