第7話「ホールに生まれた熱狂」
第2部
開店の
10分前だというのに、
ホールの入口には
人が並んでいた。
冬の朝だった。
吐く息は白く、
ジャンパーの襟を立てた
男たちが、
煙草を吸いながら
開店を待っている。
ポケットには、千円札。
今のように、
スマートフォンで
機種の情報を調べる
ことなどできない。
攻略雑誌も限られていた。
店に置かれた機械が
どんな癖を持っているのか、
どこで当たるのか。
客たちは、自分の目と耳と、
実際に失った金で
覚えるしかなかった。
男も、その一人だった。
閉店の札が裏返る。
客たちは
一斉に店内へ流れ込んだ。
椅子を引く音、
メダルが
受け皿に落ちる音、
店員の
「いらっしゃいませ」
という声。
煙草の煙が天井近くに漂い、
蛍光灯の白い光を
ぼんやりと曇らせている。
男が座ったのは、
ペリカンXXXだった。
隣の男は、
十歳ほど年上に見えた。
作業着の袖をまくり、
メダルを一枚ずつ
投入している。
無駄な動きがない。
レバーを叩き、
停止ボタンを押す。
その繰り返しだった。
しばらくして、
隣の男が小さく声を上げた。
「……来たか。……」
顔を向けると、
彼の台では
小役が揃っていた。
一度だけではない。
次のゲームでも、
また小役が揃った。
彼は慌てなかった。
むしろ、
何かを確かめるように、
リールの動きを
じっと見ていた。
「おじさん、
何かあるんですか?」
「さあな。……」
彼は
煙草をくわえたまま答えた。
「こういう並びが
続くときがあるんだよ。
俺は、
こうなったら
少し様子を見る」
「当たりが近いんですか?」
「そういうこともある。
だが、
決まってるわけじゃねえ」
彼は、そこで話を切った。
その直後だった。
ボーナスが揃った。
「ほらな」
彼は得意げに笑ったが、
男の方を見て、
すぐに顔を引き締めた。
「勘違いするなよ。
今の一回で、
何でも分かった
気になるな。
次も同じとは限らねえ」
その言葉が、妙に耳に残った。
隣の男にとって、
機械は
ただの遊び道具
ではなかった。
毎日のように打ち、
何度も外し、
金を失いながら、
それでも見続けてきた
相手だった。
その日の午後、
男は別の台で、
マーキュリーⅢを打つ
彼を見た。
彼は
リールが停止するたびに、
図柄の並びを確かめていた。
揃った図柄だけでなく、
揃わなかった図柄まで
見ているようだった。
「おい、兄ちゃん」
彼が男を呼んだ。
「今の、何か分かったか?」
「いえ、何も。……」
「そうだろうな。
俺だって、
全部分かるわけじゃねえ」
彼は笑った。
「前はな、
リーチ目が出なきゃ
当たらねえと
思ってたんだよ。
ところが、
そう思って見ていると、
説明のつかねえ
当たり方を
することがある」
「どういうことです?」
「突然、
ボーナスが揃うんだ。
こっちは何も出てねえと
思ってるのにさ。
そういうのを、
飛び込みだなんて
呼ぶ奴もいる」
彼はレバーを叩いた。
リールが回る。
停止ボタンが押される。
そして、また回る。
「機械の中で
何が起きてるかなんて、
俺たちには見えねえ。
だから、
出てきた結果を
見て考えるしかない。
だがな、
結果を見て考えるのと、
勝手に法則を
決めつけるのは違うんだ」
その彼も、
最後にはボーナスを引いた。
だが、
男が本当に驚いたのは、
その後だった。
彼は大きく喜ぶでもなく、
ただリールを眺めていた。
まるで、
今の当たりが
自分の考えを裏付けたのか、
それとも偶然だったのか、
確かめようと
しているようだった。
ホールの熱気は、
午後になるにつれて
増していった。
別の島では、
ペリカンXXXを
打っていた客が、
仲間を呼んでいた。
「おい、見てみろよ!」
ボーナスが揃ったらしい。
仲間たちは背後に集まり、
台を覗き込んだ。
「何ゲームだった?」
「知らねえよ。
そんなもん、
いちいち数えてねえ」
「さっきも当たってただろ?」
「たまたまだよ、たまたま!」
そう言いながらも、
顔には
笑みが浮かんでいた。
客たちは、
当たりが続けば仲間を呼び、
珍しい出方をすれば
隣の客に話す。
負けた客も、
勝った客も、
同じ機械の前で
自分の経験を語った。
誰かが
「この台は何かある」
と言えば、
翌日には
別の客が確かめに来る。
誰かが
「昨日は駄目だった」
と言えば、
それを聞いた別の客が、
今日は違うかもしれないと
座る。
確かな情報と、
思い込みと、
噂話。
それらが、
煙草の煙と一緒に
ホールの中を漂っていた。
閉店が近づいたころ、
男は
朝からペリカンXXXを
打っていた男を見つけた。
彼は、まだ台の前にいた。
「今日はどうでした?」
声をかけると、彼は苦笑した。
「朝はよかったんだがな。
最後は全部飲まれちまった」
「それでも、
明日も来るんですか?」
「来るさ」
彼は、
空になったメダル皿を
指で叩いた。
「分からねえから、
面白いんだよ。
分かったつもりに
なったところで、
次の日には裏切られる。
だから、
また確かめたくなる」
店員が閉店を告げた。
客たちは渋々立ち上がり、
台に残ったメダルを
精算機へ運んでいく。
勝った者は明日の夢を語り、
負けた者は
今日の負けを取り返す
算段をしていた。
男は出口で、
もう一度店内を振り返った。
ペリカンXXXも、
マーキュリーⅢも、
さっきまで
客の手を受け止めていた
レバーも、
静かになっていた。
だが、
客たちの話は終わらない。
「あの台は、
昼過ぎから変わった」
「いや、朝から出てたぞ」
「明日は、
あっちを打ってみるか」
機械の中身は見えない。
それでも客たちは、
目の前で起きたことを
持ち寄り、
何とかして
その正体を
つかもうとしていた。
パチスロが
新しい時代へ
踏み出したころ、
ホールには、
まだ誰も
正解を知らないという
熱気があった。
当たりが続けば、
奇跡のように思えた。
突然ボーナスが揃えば、
機械の秘密を
垣間見た気がした。
そして次の日には、
また別の誰かが
台の前に座る。
昨日の噂を確かめるために。
自分だけが知らない何かを、
見つけるために。
男もまた、
あのホールの客たちと
同じように、
機械の向こう側にあるものを
知りたいと思い始めていた。
明朝 8:10 に投稿します。




