第4話 昭和59年、晩秋
第2部
昭和59年(1984年)の晩秋。
都内の遊技機メーカー
『ビンゴ開発』の開発室は、
夜になっても、
明かりが落ちなかった。
新風営法の施行が、
間近に迫っている。
各社は、
新しい基準に合わせた
パチスロの開発に、
総力を挙げていた。
電子制御開発の責任者、
西条は、四十歳。
白衣の袖をまくり、
試作機の前で、
腕を組んでいる。
「保通協への
持ち込みまで、
あと二週間だ」
開発部長の久我が、
背後から言った。
「ここで落ちれば、
半年は遅れる。
わかっているな」
「わかっています」
「営業は、もう
発売時期の
稟議を回している。
専務の判も、もらった」
久我の声には、
苛立ちが混じっていた。
「出玉は、
派手に頼むぞ。
ホールが
飛びつく台でなければ、
意味がない」
西条は、答えなかった。
派手さだけを追えば、
機械は壊れやすくなる。
40年の人生と、
15年の現場で、
身にしみている。
だが、
それをここで口にしても、
稟議の流れは止まらない。
開発室の奥では、
若手の技術者が三人、
徹夜で作業を続けていた。
松村、戸田、小野寺。
乱数とカウンターの処理を、
一行ずつ、詰めている。
小野寺は、
重圧に耐えかねたのか、
無言で席を立ち、
廊下へ出ていった。
誰も、呼び止めなかった。
しばらくして、
西条は、
缶コーヒーを二本提げて、
階段へ向かった。
小野寺は、
踊り場で、
膝を抱えて座っていた。
「飲め」
「……すみません」
「機械は、嘘をつかん」
西条は、プルタブを引いた。
「嘘をつくのは、いつも、
納期と、人間の都合だ」
小野寺は、答えなかった。
やがて、缶を開け、
一口だけ、飲んだ。
「戻れるか?」
「……はい」
西条の流儀は、
他社の機械を買ってきて、
中身の動きを
観測することだった。
棚には、
他社の基板が、
ずらりと並んでいる。
「敵の機械は、
最高の教科書だ」
若手に、よくそう言った。
どう作られ、
どこが強く、
どこが危ういか。
それを知らずに、
新しいものは作れない。
その夜、最後の確認で、
試作機がおかしくなった。
リールが、一瞬、固まる。
次の試験では、
何事もなく動く。
条件を揃えても、
再現しない。
「また出たか。……」
戸田が、青い顔で言う。
「ソフトの暴走だろう。
プログラムを洗い直せ」
久我が命じた。
若手たちは、再び、
画面にかじりついた。
だが、
西条は、動かなかった。
試作機の前に立ち、
腕を組んだまま、
夜が明けるまで、
一歩も動かない。
ソフトの欠陥なら、
再現するはずだ。
再現しないのは、
別の何かが、
気まぐれに顔を出している。
朝。
「電源だ」
西条が、ぽつりと言った。
「しかし、
社内の測定では、
電圧は安定しています」
松村が言った。
「社内の電源は、
立派すぎる」
西条は言った。
「実機は、
そうはいかない。
モーターが
動きだす瞬間に、
何が起きるか。
それを、
測れる人間が必要だ」
だが、開発室には、
電源の
一瞬を追いかける手も、
時間もなかった。
若手は、
ソフトの洗い直しで
手一杯だ。
出入りの部品商が、
教えてくれた。
「測定機器を、
そろえたばかりの
町工場がありますよ。
多摩川沿いの、
志摩電装ってところで」
営業部長の平井は、
渋い顔をした。
「町工場に、
うちの試作機を
預けるのか?
外には出せんぞ」
「基板の外側だけです。
中身は見せません」
西条は言った。
「電源の波形だけを、
取ってもらう」
平井は、しばらく考え、
稟議書に、判を押した。
外注の調査にも、
稟議はいる。
開発部長、営業部長、専務。
三つの判をもらうのに、
二日かかった。
数日後。
志摩電装から、
報告書が届いた。
A4で、三枚。
波形の記録が、
丁寧に貼られている。
リールが回りはじめる、
その一瞬だけ、
電源の電圧が、
数百ミリボルト、
数ミリ秒、
落ち込んでいる。
そして、
試作機の動きが止まるのは、
いつも、その瞬間だった。
西条は、息をのんだ。
社内の誰も、
見つけられなかったものが、
そこにあった。
「うちの機器でも、
測れたはずなのに、……」
戸田が、
報告書を覗き込んで、
呟いた。
「測れなかったんじゃない。
時間がない、と言って、
測らなかっただけだ」
西条は言った。
「見ようとしなければ、
見えないものがある」
しかも、報告書は、
「中身」には、
一言も触れていない。
電源と、クロックまで。
その先は、
測らず、
書かず、
踏み込んでいない。
預かり物を、
預かり物のまま、
ここまで測った人間がいる。
西条は、
その几帳面な字を、
しばらく見つめた。
末尾には、
確認者の欄に
「溝口」の判。
その隣、担当者の欄にも、
名前があった。
河田涼太。
西条は、
その名前を、胸の中で、
一度だけ、繰り返した。
明朝 8:10 に投稿します。




