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第3話 昭和57年、秋

第2部

昭和57年5月。


朝礼の席に、

取引先の営業が

顔を出した。


遊技機メーカー

『北洋機器』の担当、

田島だった。


「社長、

 耳に入れて

 おきたいことが

 ありまして」


田島は声を落とした。


「遊技機の検査をする、

 新しい機関が

 できたそうです。

 保通協と言いましてね。

 パチンコも、

 メダルの機械も、

 これから

 そこで見ていくらしい」


「うちの基板も、ですか?」


志摩が眉を寄せた。


「そうなるかも

 しれません。

 基準が厳しくなれば、

 基板の品質も、

 今のままでは、……」


工場の空気が、

少し重くなった。


八木が咳払いをし、

事務所の奥では、

経理の野村が

書類を握りしめる。


溝口だけが、

腕を組んで、

天井を見上げていた。


志摩は、

その日一日、

誰とも口をきかなかった。


翌週、

工場に木箱が届いた。


中身は、

信号発生器と、

オシロスコープ。


社長の志摩が、

社運を賭けて

買い足した、

高価な測定機器だった。


「測れないものは、

 直せん」


志摩は、

木箱を撫(な)でながら

言った。


事務所の奥では、

野村が帳簿をめくり、

深い溜め息をつきながら

電卓を叩いている。


八木は渋い顔のまま、

作業台の隅を空けた。


「坊ちゃんの玩具が、

 増えたな」


言葉とは裏腹に、

八木の目は、

緑色に光る画面から、

離れなかった。


その夜。


残業の合間に、

溝口が、

新しい箱の電源を入れた。


暗い画面に、

緑の線が一本、走る。


プローブ

(測定用の針・

 クリップ付きコード)を

基板に当てると、

線はゆるやかに揺れた。


涼太は、息をのんだ。


目に見えないはずの

電気の動きが、

そこにあった。


「同じ五ボルトでも」


溝口が、

画面を見たまま言った。


「いつ、

 どのくらいの時間、

 どんな形で来るかで、

 意味がまるで変わる」


「……はい」


「見ていいのは、

 電源と、

 クロックまでだ。

 その先は、見るな」


「分かっています」


「きれいなうちは、

 まだいい。

 歪(ゆが)みはじめたら、

 どこかが嘘をついてる」


涼太は、

緑の線から、

しばらく

目が離せなかった。


そんな、

秋の終わりの

ある日。


同じ型の

パチスロの基板が、

立て続けに三枚、

持ち込まれた。


テスターを当てても、

部品の破損はない。


ハンダにも、割れはない。


電源を入れれば、

正常に動く。


だが、

北洋機器の現場からは、

「ときどき、

 リールが暴走するか、

 固まる」と、

クレームがついて

戻ってきていた。


「電源部を、

 丸ごと新品に替えろ。

 それで送り返せば、

 納期には間に合う」


八木は苛立ちを隠さず、

作業台を叩いた。


「八木さん、

 原因を特定しないと、

 また

 同じものが戻ってきます」


涼太が言い返すと、

八木は

苦々しい顔で吐き捨てた。


「原因を探る時間も、

 コストもねえんだ。

 俺たちの仕事は、

 箱とハンダの修理だ。

 余計なことに

 首を突っ込むな」


その夜、

涼太は、工場に居残った。


帰り際、溝口が、

鍵を一つ、

涼太の机の上に、

黙って置いていった。


預かり物は、

外へは持ち出せない。


だから、

誰もいなくなった作業台で、

基板を

オシロスコープにつないだ。


蛍光灯の消えた工場に、

緑の光だけが灯る。


涼太は、

画面を流れる線を、

ノートに、一本ずつ

書き写していった。


夜明けが近づくころ、

あることに気づく。


リールの回り出す瞬間。


モーターが動きだす

その一瞬だけ、

電源の電圧が、

数百ミリボルト、

数ミリ秒のあいだ、

落ち込んでいる。


そして、

基板の動きが止まるのは、

いつも、

その落ち込みの瞬間だった。


原因は、電源の揺らぎだ。


だが、

揺らぎを受けた瞬間、

CPUが何を読み込み、

どう暴走したのか。


そこから先は、

志摩電装の人間が、

決して

足を踏み入れてはならない

「中身」の領域だった。


涼太は、ふと思う。


溝口は、かつて、

基板の中身に

傾倒していた時期が

あるらしい。


プレス係の古株から、

そんな噂を、

聞いたことがあった。


だが、溝口自身は、

自分の過去について、

口にしない。


翌朝。


涼太は、

徹夜で書き写したノートを、

作業台にそっと置いた。


溝口は、

無言でそれを手に取り、

乱れのない線で描かれた

波形を、

じっと見つめた。


数分間、

静けさが、

二人の間に降りた。


やがて溝口は、

ノートを閉じることもせず、

涼太の顔も見ないまま、

一言だけ呟(つぶ)いた。


「見たければ、

 見られる人間になれ」


叱責にも、

許しにも聞こえた。


その日の仕事帰り、

涼太は、

まっすぐ寮には戻らなかった。


晩秋の

冷たい風が吹き抜ける

街角で、

彼は、

吸い込まれるように、

ネオンの明滅する

パチンコ店の

自動ドアをくぐった。


煙草の煙と、

金属音が充満する店内。


薄暗いシマの端に置かれた、

メダルを使う

『パチスロ』の前に、

初めて腰を下ろす。


千円札を崩し、

借りたメダルを、

投入口に滑り込ませた。


レバーを叩き、

ストップボタンを、

一つずつ押す。


ト、ト、トン。


リールが止まり、

小さな小役の出目が揃った。


涼太は、

リールの上で繰り広げられる、

その無機質な動きを、

まるで

基板の波形を覗き込むような

眼差しで、

長いこと、

ただじっと見つめていた。

明朝 8:10 に投稿します。

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