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第2話「昭和57年、春」

第2部 

秋の終わりの

ある日。


持ち込まれた

同じ型の

パチスロの基板が、

三枚、

涼太の目の前にあった。


彼が、「志摩電装」に入社して

半年たった頃だった。



昭和57年(1982年)4月。


多摩川の

泥臭い川風が

吹き抜ける町工場

志摩電装の朝は、

ジリジリと温まる半田ごての

匂いと、

プレス機が吐き出す

機械油の

饐(す)えた匂いから始まる。


河田(かわだ)涼太(りょうた)は、

まだ糊(のり)のきいた

硬い作業服の袖を、

どこか持て余していた。


十八歳。


地元の工業高校の

電子科を出たばかりの、

新入社員だった。


工場の中には、

古いリレーや

トランジスタを使った

制御盤から、

比較的新しい

プリント基板まで、

さまざまな電子機器が

雑然と並んでいた。


その中に、

涼太が見慣れない

基板が一枚あった。


緑色のプリント基板。


そこには

黒いICチップが

何個も並び、

その中には、

角の丸い

長方形の

DIP型パッケージに

収められた、

八ビットの

マイクロプロセッサまで

載(の)っている。


それが

何に使われるものなのか、

涼太には

まだ分からなかった。


「電子科か?」


工場長の八木が、

白髪(しらが)の混じった

太い腕を組んだまま、

作業帽の

庇(ひさし)の奥から

涼太を見下ろした。


「悪いが、

 高校の実習なんぞ、

 ここじゃ

 半分も役に立たんぞ。

 オシロスコープの

 波形を眺めて

 喜んでるような

 坊ちゃんは、

 三日で

 指先を火傷して

 逃げ出すのが落ちだ」


「はい。……」


「だが、

 手だけは

 動かせるんだろう?」


八木は、

作業台の奥で

黙々と

ドライバーを握っていた男を

振り返った。


「溝口。

 こいつに何か

 適当な仕事を回してやれ」


呼ばれた溝口は、

二十八歳。


修理係の先輩で、

口数は極端に少ない。


薄暗い工場の中でも、

獲物を探す猛禽(もうきん)のように

目だけがよく動く

男だった。


溝口は

振り返りもせず、

油で黒ずんだ作業台の

隅に置かれた木箱を

顎(あご)で示した。


「それ、やってみろ」


箱の中には、

緑色の基板が一枚、

無造作に転がっていた。


「取引先から戻ってきた。

 動かなくなったらしい」


涼太は

基板を持ち上げた。


「何の機械ですか?」


「パチンコ屋に

 置いてあるやつだ」


「パチンコ?」


「違う。

 最近増えてきた、

 メダルを入れて

 三つのドラムを回す

 機械だ」


涼太は

基板をもう一度見た。


それが、

当時まだ新しい

遊技機だった。


後年になって、

パチスロ史を

振り返る人間たちは、

この頃の機械を

「0号機」と

呼ぶことになる。


だが、

昭和57年の現場で、

そんな呼び方をする者は

いなかった。


ただ、

新しい機械が

パチンコ店の中に

少しずつ増えている。


それだけだった。


「これ、

 電気でドラムを

 回してるのかなぁ?」


「そうらしいな。……」


「じゃあ、プログラムも……」


涼太が呟くと、

溝口の目が初めて動いた。


「余計なことは考えるな」


「はい?」


「預かってるのは

 故障した基板だ。

 動かす。

 それだけでいい」


涼太は

黙って

椅子に腰を下ろした。


回路図はない。


高校の実習で

使ったような、

親切なブロック図もない。


あるのは基板と、

テスターと、

ルーペだけだった。


まず電源を見る。


VCCとGNDの間には、

規定どおりの

電圧が来ている。


抵抗を測る。


異常なし。


ダイオードも生きている。


トランジスタも死んでいない。


ICの足にも、

目立った異常はない。


二時間ほどかけて

一つずつ

潰(つぶ)していったが、

原因らしいものは

見つからなかった。


涼太はテスターを置いた。


「全部、生きてる……」


「じゃあ、

 壊れて

 ねえんじゃねえか?」


背後から溝口の声がした。


「でも、

 動かないんですよね?」


「だから直すんだ」


涼太は基板を裏返した。


卓上蛍光灯の光を

一番強くして、

ルーペを目に近づける。


銅箔のパターンを、

一本ずつ追っていく。


電源からICへ。


ICから別のICへ。


モーターを駆動する回路へ。


そして、

基板の端にある

大きなコンデンサの根元で、

涼太の手が止まった。


「……これ。……」


ハンダの表面に、

ごく細い線が入っていた。


肉眼では、

ほとんど分からない。


涼太は

ルーペをさらに近づけた。


「ハンダが割れてます」


「どこだ?」


溝口が横から覗き込む。


「ここです。

 部品そのものじゃない。

 振動か熱で、

 ハンダに

 クラックが入ってます」


溝口は

黙ってルーペを取り上げた。


しばらく見つめたあと、


「……なるほどな。……」


とだけ言った。


それから、

涼太の手にルーペを返した。


「吸い取れ。盛り直せ」


涼太は

半田ごてを握った。


割れたハンダを吸い取り、

新しいハンダを

慎重に流し込む。


銀色の小さな山が、

蛍光灯の下で光った。


「終わりました」


「じゃあ、通電してみろ」

明朝 8:10 に投稿します。

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