第70話 絶望の聖女と、オカンの筑前煮
旧公爵領の境界線。
かつて死の呪いに覆われていたその大地は、今や豊かな黒土となり、異種族合同の巨大な「エコ魔導燃料」抽出プラントが規則正しい稼働音を響かせとった。
その真新しい街道を、一つの影がふらふらと歩いてくる。
真っ白だったはずの法衣は泥と血で汚れ、手にした白銀の杖は光を失って、ただの重たい棒切れになり下がっとる。
王都からやってきた「本物の聖女」クレアやった。
「……はぁ、はぁ……」
彼女の瞳には、かつてうちを「魔女」と罵った時の清廉な光はなく、ただ深い絶望と疲労だけが色濃く張り付いていた。
信じていた王都の神殿は、腐敗と強欲の温床やった。大司教ザドックたちの汚職を目の当たりにし、教会の教義そのものに絶望した彼女は、無意識のうちに、かつて自分が否定した「あの占い師」のいる場所へと逃げてきてしもうたんや。
プラントの入り口付近に設営された仮設のテントの前で、クレアはついに足がもつれ、冷たい土の上に膝をついた。
「……ここまで、ですか。……魔女よ……いえ、静江。私が間違っていました。……私の信じていた光は、すべて泥まみれの嘘だった。……さぁ、私を笑いなさい。偽善者と罵り、罰しなさい……」
クレアは泥に顔を押し付け、懺悔するように目を閉じた。
すべてを失った少女は、もはや罰せられることでしか、自分の存在意義を見出せなくなっとったんや。
「……アホか」
頭上から降ってきたのは、呪いの言葉でも嘲笑でもなく、呆れ果てたような、いつもの関西弁やった。
クレアが弾かれたように顔を上げると、そこにはギラギラのデコネイルを光らせ、腰に手を当てたうちが立っとった。
背中には『極』の刺繍が入ったスカジャン。相変わらず、聖女とは対極にあるハデなギャルの姿や。
「笑え? 罰せよ? ……お腹空かせて泥だらけになってる子に、そんな長ったらしい説教するほど、おばちゃん暇やないわ。……ええから立ちなはれ。とりあえず、手ぇ洗ってき!」
「え……?」
「え、やない! その泥だらけの手で、ご飯食べるつもりか! アレン、このお嬢ちゃん、裏の井戸で顔と手ぇ洗わせたって!」
うちはクレアの腕を強引に引っ張り上げると、ポカンとしているアレンに押し付けた。
クレアは抵抗する気力もなく、ただされるがままに泥を落とされ、暖かな灯りが漏れる仮設テントの食堂へと連れ込まれた。
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テントの中には、スパイスやハーブの香りとは違う、甘辛くてどこかホッとする匂いが充満しとった。
うちは、パイプ椅子にちょこんと座らされて縮こまっているクレアの前に、湯気を立てる山盛りの料理をドンッと置いた。
「ほら、食べなはれ。おばちゃん特製の『筑前煮』や」
「……ちく、ぜん……に?」
「せや。色んな根菜と鶏肉を、出汁でじっくり煮込んだもんや。王宮の地下を掃除した時にも作った、うちの得意料理やで」
クレアは、目の前の不格好な茶色い煮物を、震える手で見つめた。
教会の食卓で出されるのは、見た目だけは美しい精進料理や、冷たいパンばかりだった。こんなに湯気を立て、醤油とみりん(異世界の代用品やけど)の暴力的なまでに食欲をそそる匂いを発する料理は、彼女の人生で初めてやった。
「……毒は、入っていませんか……?」
「アホ。そんな高級なもん入れるか。入ってるんは、たっぷりの愛情と、鶏の旨味だけや。ええから黙って一口食べ!」
うちの凄みに押され、クレアは木のスプーンで、不揃いに切られた人参を口に運んだ。
その瞬間。
中までじっくりと染み込んだ甘辛い出汁の味が、クレアの舌の上でじゅわっと弾けた。
それは、教会の冷たい教義では決して得られなかった、「無条件の温かさ」そのものだった。
「……あ……」
クレアの目から、大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた。
一つ、また一つ。
涙は止まらず、やがて彼女はスプーンを握りしめたまま、顔をくしゃくしゃにして、小さな子供のように声を上げて泣き崩れた。
「……ううっ……、ああああっ……! わたしは……わたしは、どうして……あんな冷たい場所で……!」
聖女という重い看板に押し潰され、感情を殺して生きてきた少女が、初めて「一人の人間」として感情を爆発させた瞬間やった。
うちは何も言わず、ただ黙って、彼女の背中をポンポンと一定のリズムで叩き続けた。
アレンも、カイルも、エルゼも、誰も彼女を笑わへん。ただ、温かい目で見守っとる。
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「……しんどかったなぁ。あんた、ずっと一人で背伸びして、無理してたんやな」
クレアが泣き疲れて少し落ち着いた頃、うちはアイテムボックスから真っ赤な「イチゴ味」の飴ちゃんを取り出し、彼女の掌にそっと乗せた。
「これ、食べなはれ。イチゴ味や。疲れた体に一番効く、おばちゃん特製の魔法の飴やで」
「……魔女の……いえ、静江さんの、魔法の飴……」
クレアは、今度は躊躇うことなく、その飴を口に含んだ。
甘酸っぱいイチゴの味が、泣きはらして熱を持った喉を優しく潤し、底を尽きかけていた体力をじんわりと回復させていく。
「……美味しい。……こんなに優しくて、温かい味がするなんて」
「せやろ? ……ええか、クレアちゃん。あんたが信じてた『正義』は嘘やったかもしれん。でもな、あんたが祈ってきた優しい気持ちまで嘘になるわけやないんや」
「私の、気持ち……」
「そうや。これからはな、誰かが用意した分厚い経典なんか捨ててまえ。この筑前煮みたいに、自分の目で見て、自分の舌で味わって『温かい』と思えるもんだけを信じたらええ。……ここには、あんたを裁く神様はおらん。おるんは、お節介なおばちゃんと、騒がしい仲間だけや」
うちはニカッと笑い、彼女の頭を少しだけ乱暴に撫でた。
クレアは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔のまま、それでも、憑き物が落ちたような、これまでで一番美しい「年相応の笑顔」を浮かべた。
「……はい。……私、ここで……皆さんと一緒に、本当の世界を見てみたいです」
「よっしゃ、決まりや! ほな、まずはその筑前煮、残さず全部食べなはれ! 明日から、あんたも『異種族合同・エコ魔導プラント』の従業員やからな!」
偽物の魔女と罵られたおばちゃんが、本物の聖女の魂を、温かいおふくろの味で本当の意味で「浄化(救済)」した夜。
旧公爵領の夜風は、どこまでも優しく、新しい仲間を歓迎するようにテントを揺らしていた。
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