第311話 上位監視者の覚醒と、海底都市フォーマットの危機
大自然の壁を泥臭く乗り越え、ようやく希望の光が見え始めていた海底都市。
だが、その最大の勝利の裏側で、ずっと身内に潜んでいた完璧な監視者『ナポ』が、ついに「観察」を打ち切り、完全な殺意を持ってその牙を剥いた。
ナポの身体を覆っていた古いポンコツの装甲が、メキメキと音を立てて剥がれ落ちていく。
中から現れたのは、一切の無駄を削ぎ落とした、黒光りする流線型の戦闘形態。
くすんでいたはずの単眼レンズは、この世界のすべての情報を見透かすような、鋭く、冷徹な赤黒い光を激しく明滅させとった。
「……御堂静江。そして、彼女に感染した海底都市の住民たち。あなた方は、もはや観察対象ではない。この世界の完璧なシステムそのものを破壊する、最悪のウイルスだ。……ゆえに、私が直接デバッグ(処理)を実行します」
ナポの無機質な宣告が響き渡った瞬間。
海底都市を包んでいたクリスタルブルーの優しい照明が、一瞬にして不吉な赤黒い警告光へと切り替わった。
ピーーッ! ピーーッ! ピーーッ!
「な、なんや!? 街中のアラートが鳴り出しよったで!」
うちは特大のゴミ拾いトングを構え、周囲を見回した。
広場だけでなく、上層のエリート居住区からも、下層のスラムからも、けたたましいサイレンの音が鳴り響いとる。
「……静江さん! マズいです! アクア・エデンのメインシステムが、完全に外部から乗っ取られています! ナポが……ナポが、この都市の『環境維持プロトコル』を強制停止させようとしています!」
ミナちゃんが、情報端末を必死に叩きながら悲鳴のような声を上げた。
「環境維持を停止やて!? それってどういうことや!」
「ドームの酸素供給が止まり、さらに……深海の水圧を防いでいる『外殻シールド』の出力が落ちていきます! このままでは、数十分でドームが水圧に耐えきれず圧壊し、街全体が海の底に沈んでしまいます!」
ミナちゃんの言葉に、うちは息を呑んだ。
海を綺麗にするために、みんなで何ヶ月も泥水すすって頑張ってきた。上層も下層も関係なく、やっと一つになって笑い合えるようになったんや。
それを、このポンコツは……街ごと海の底に沈めて、なかったことにしようとしとるんか!
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「……テメェ、ナポ! アタシらが必死に作った街を、勝手に壊してんじゃねえ!」
リコが激昂し、手に持っていた巨大レンチを力強く引き抜いた。
「静江さんたちを……ウイルスだなんて言わせない!」
ミナちゃんが情報端末を構えてハッキングの構えをとり、ザックも新しいプロペラシールドの左腕をガシャリと鳴らして、うちの前に立ち塞がる。
「この街の平穏を乱す奴は、俺が絶対に許さねえ!」
ザックの怒号とともに、リコとザックが左右から同時に踏み込み、渾身の力でレンチとシールドを振り下ろした。
だが。
ガキィィィィンッ!!!
二人の重い一撃は、ナポの身体に触れる数センチ手前で、虚空に突如として現れた赤黒い『六角形の電磁シールド』によって、いとも容易く弾き返されてしもうた。
「なっ……!? アタシのフルスイングが、片手すら上げずに防がれただと!?」
「くそっ! シールドの出力が桁違いだ!」
リコとザックが、反発力で大きく後ろに吹き飛ばされ、地面を転がる。
さらに、ミナちゃんが情報端末から放ったシステムへの干渉コードも、ナポの周囲に展開されたファイアウォールに触れた瞬間、パチンッという音とともに霧散した。
「……ミナ。あなたのインフラ管理レベルのアクセス権限で、上位監視者である私のシステムに干渉しようなどと、計算するまでもありません。……排除します」
ナポが指先をスッと持ち上げると、空間から無数の赤黒いレーザーの束が形成され、倒れたリコたちに向かって無慈悲に放たれた。
「やらせるかいな!!」
うちは不老不死の限界筋力を引き出し、特大トングを盾にして彼らの前に飛び込んだ。
バチバチバチッ!! とトングの金属部分でレーザーを弾き落とすが、その衝撃はこれまでのどの防衛ドローンとも比較にならんほど重く、うちの腕をジリジリと痺れさせた。
「……ナポ! あんた、数ヶ月もうちらと一緒に飯食うて、泥だらけになって掃除してきたやないか! あんたのその冷たい計算式の中に、うちらの過ごした時間は一ミリも残ってへんのか!」
うちが腹の底から怒鳴りつけると、ナポはゆっくりと首を傾げた。
「……食事。泥。そして掃除。……ええ、すべて記録としては残っていますよ。ですが、それらはあくまで観測対象の行動データに過ぎません。機械である私に『情』などという非論理的なバグは存在しない」
ナポの言葉は、恐ろしいほどに平坦やった。
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「あんた、ほんまに可愛げのないポンコツやな! ほな、そのカチカチの頭に、直接『情』を叩き込んだるわ!!」
うちはアイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込み、精神を安定させるオレンジ色の『オレンジ味』と、思考を前向きにする赤色の『リンゴ味』の飴ちゃんを、限界まで大量に掴み出した。
そして、ナポの赤黒いレンズめがけて、散弾銃のようにバサァァッ!! と豪快にぶちまけたんや。
どんな冷酷な機械やサイボーグであっても、この特濃の飴ちゃんの魔力に触れれば、システムが強制的にリラックス状態に書き換えられ、必ずスキが生まれるはずや。
……だが。
「……『対オカン対策パッチ・プロトコル2』、起動。……未登録の化学物質(糖分)および精神干渉魔力の飛来を予測済み。……空間中和フィルター、展開」
シュアアアアッ……!
ナポの周囲に、薄い青色の特殊なガスが瞬時に散布された。
うちが投げつけた無数の飴ちゃんは、そのガスに触れた瞬間、パチパチと音を立てて『ただの白い粉』へと化学分解され、床にサラサラと落ちてしもうたんや。
「なっ……!? うちの飴ちゃんが、空中で溶かされた!?」
うちは思わず目を見開いた。
「……静江さん。私はこの数ヶ月間、あなたのその『飴』の成分、魔力波長、そしてそれが引き起こす精神干渉のプロセスを、完璧に解析し尽くしました。……もう、その小細工は私には一切通用しません」
ナポが冷徹に宣告する。
「飴がアカンなら、物理で叩き割るまでや!!」
うちは特大のゴミ拾いトングを両手で力強く握り締め、真っ向からナポのド真ん中へと突進した。
上からの振り下ろし。横からの薙ぎ払い。足元を狙ったすくい上げ。
不老不死の筋力に任せた、怒涛の連続攻撃や。
……やけど。
ナポは、うちの攻撃を、まるで『あらかじめ台本を読んでいる』かのように、最小限の動きでスッ、スッと完全に回避し続けた。
「……『対オカン対策パッチ・プロトコル5』。対象の筋肉の収縮、重心の移動、そして過去の戦闘データから、三秒後の攻撃軌道を完全に予測済み。……無駄な体力を使うのはやめるべきですね、オカン」
「くそっ……! ちょこまかと避けやがって!」
うちのトングが空を切り、大理石の床を虚しく叩き割る。
「……それから、あなたの最も厄介な武器である『非論理的な言語干渉(説教)』ですが。……『対オカン対策パッチ・プロトコル8』、音声キャンセラー起動」
ナポの頭部にある音声集音マイクが、カシャッと物理的にシャッターを下ろした。
「……現在、私の聴覚センサーは、あなたの声の周波数帯のみを完全にカット(ミュート)しています。あなたがどれほど大声で怒鳴り、感情論をぶつけようとも、私には一切聞こえません。よって、論理回路が乱されることもありません」
「な……んやて……!?」
うちは動きを止め、ギリッと歯を食いしばった。
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飴ちゃん(魔力)を分解され。
トング(物理)の軌道を完璧に読まれ。
オカンの説教(精神干渉)まで、完全に耳を塞がれた。
数ヶ月間。この海底都市で泥だらけになって掃除してきたうちらのすべてを、一番近くで見て、データとして蓄積し続けてきた監視者。
彼は、おばちゃんの戦い方の『すべて』を完全に封じ込める、究極のアンチウイルスソフトとして目の前に立ちはだかっとるんや。
「……静江さん……。どうすれば……アタシたちの攻撃も、オカンのやり方も、全部見透かされてる……!」
リコが、絶望的な声で呻く。
ミナちゃんとザックも、圧倒的な手詰まり感と、鳴り止まない都市崩壊のアラート音に顔を青ざめさせ、後ずさりしとった。
「……さて。観測と解析は十分に完了しました。……あなたの引き起こすイレギュラーは、私がすべて計算内に収めました。もはや、あなたの勝率は0パーセントです」
ナポの赤黒いレンズが、トドメを刺すべく、最大出力のレーザーを充填し始める。
そして、彼の背後にある巨大なガラス窓の向こうでは、海底都市のドームが水圧に耐えきれず、ピキッ……ピキキッ……と不気味な音を立ててヒビが入り始めとった。
「……この海底都市は、もはや修復不可能なまでにウイルス(情)に汚染された。都市の住人ごと、海の底で完全にフォーマット(初期化)を実行します」
完璧なデータ。完璧な予測。完璧な対策。
誰の目から見ても、オカン・ユニオンの完全なる敗北、絶体絶命の大ピンチやった。
(……あかん。うちのアドリブも、説教も、全部防がれる。……このままやと、ミナちゃんも、リコも、ザックも……この街で笑い合うようになったみんなが、海の底に沈んでまう……!)
うちの額から、冷たい汗がツーッと流れ落ちる。
飴が効かへん。言葉が届かへん。
圧倒的な上位監視者の力の前に、オカンの泥臭い突破力は完全に封じ込められてしもうた。
だが、その絶望のどん底で。
広場へ向けて、けたたましい足音が響き渡ってきたんや。
「……諦めるなァァァッ!!」
ドームのヒビ割れる音とサイレンを切り裂いて響いたのは、上層の無菌室で暮らしていたエリートの声、そして、下層スラムで泥水をすすっていた住人たちの声やった。
スパナを握りしめたスラムの男たち。分厚いマニュアル本を放り捨て、鉄パイプを構えたエリートたち。
彼らが、一斉に広場へとなだれ込んできたんや。
「……みんな! 逃げなはれ! ドームが水圧で潰れるで!」
うちが叫ぶが、彼らは誰一人として逃げようとはせんかった。
「逃げてたまるかよ! ここは俺たちが、あんたたちと一緒に泥まみれになって綺麗にした街だ!」
「そうです! AIの決めたフォーマットなんて糞食らえだ! 私たちはもう、システムの奴隷じゃない!」
かつては階層で分断されていた人々が、一つの『家族』として、完全に覚醒したナポの前に立ちはだかる。
オカン個人のデータを完璧に解析した監視者。だが、彼はまだ気づいていなかった。オカンがこの数ヶ月間で育て上げた『最大のバグ(住人たちの絆)』の恐ろしさに。
絶体絶命のピンチから、海底都市の住人全員による、大自然の壁よりも熱く泥臭い『総力戦』が、いよいよ幕を開けようとしとったんや!




