第309話 命の土台作りと、オカン流・特大のぬか床バクテリア
特大浄化泥団子と、怪物の胃袋を利用した『胃薬爆弾』によって、何百年も溜め込まれていた猛毒ヘドロは完全に洗い流された。
だが、透き通ったクリスタルブルーの海に、肝心のお魚さんの姿は一匹も見当たらへん。うちがバラ撒いた魚の卵や海藻の種も、孵化する気配が全くなかったんや。
誰もが、この海の再生という目標が、人間の手には負えない不可能の領域であると思い知らされ、心を折られかけとった。
(……あかん。焦って上っ面だけ綺麗にしようとした、うちの完全なミスや。……基礎がおろそかなまま建てた家は、絶対に崩れる)
うちは特大のサングラスを外し、両手で顔を覆った。
「……静江さん。ごめんなさい、私がもっと早く、プランクトンの重要性に気づいていれば……。無菌の綺麗な水だけでは、食物連鎖の底辺となる微生物が育たない。だから、お魚の卵も孵らないんです……」
ミナちゃんが、自分の無力さを責めるように俯き、情報端末を抱きしめてポロポロと涙をこぼす。
その言葉を聞いて、うちはハッと顔を上げた。
「……ミナちゃん、謝る必要なんか一ミリもあらへん。あんたのおかげで、原因がハッキリ分かったんやからな」
うちは特大のサングラスをかけ直し、パイプ椅子から力強く立ち上がった。
「無菌のプールやからアカンのやろ? 綺麗なだけの水に、お魚さんが食べるプランクトンが湧かへんのやったら……おばちゃんが、その『海の栄養スープ(土台)』を、一から泥臭くコトコト煮込んで作ったるわ!」
「えっ……? 海の栄養スープ、ですか?」
ミナちゃんが涙を拭いながら目を丸くする。
「せや! 無菌がいかんのやったら、適度な『汚れ(有機物)』と『菌』をぶち込めばええねん! 農業の土作りと一緒や! リコ、ザック! ちょっと海底都市に戻るで!」
うちらは、深海用輸送艦を反転させ、再び巨大なドーム都市へと舞い戻った。
ミナちゃんの的確な指摘から、生命を育むためには「泥臭い不純物」が必要やと気付いたからや。
だが、うちはニヤリと極悪な笑みを浮かべ、海底都市の上層……エリートたちが暮らす居住区と、スラムの方向をビシッと指差した。
「終わらない供給源なら、うちらの頭上に腐るほどあるやろが!」
「……頭上?」
リコが巨大レンチを肩に担ぎながら、不思議そうに首を傾げる。
「せや! あんたら、この海底都市に住んでる何万人っちゅう人間が、毎日毎日出しとる『生活排水(ウンチや生ゴミ)』はどうしとんねん!」
「えっ? それは……メガコーポの浄水システムで、完全に無菌のペーストに還元するか、高熱で焼却処分されていますが……」
ミナちゃんが答えると、うちは特大のゴミ拾いトングで床をガァァン! と叩いた。
「それや! 人間の出した排泄物や生ゴミはな、大自然にとっては一番の『最高のご馳走』なんやで! それを無菌にしたり燃やしたりして完全に消してしまうから、海に栄養がいかんようになって、痩せ細って死んでまうねん!」
うちは、ザックとミナちゃんを両脇に抱え込んだ。
「ザック! ミナちゃん! あんたらのインフラ知識とスラムの技術で、この海底都市の『下水パイプ』のルートを強引に書き換えなはれ! 住人の生活排水を焼却炉に行かさんようにして、一回『特大のコンポストタンク』に集めるんや!」
「生活排水を発酵させて、海に流すのか!? ……なるほど、それがプランクトンの持続的なエサになるんだな!」
ザックが、新しい機械の左腕をガシャリと鳴らして興奮する。
「はい! 下水のルート変更なら、私のハッキングとザックさんの物理作業で可能です! コンポストタンクの中で先ほどの『ぬか床バクテリア』と混ぜて適度に発酵させれば、毒素のない完璧な『海の栄養液』として外に排出できます!」
「おうよ! 配管の魔改造なら、アタシらジャンク屋の十八番だぜ! スラムの連中も、上のエリートどもも総動員で、パイプを繋ぎ変えてやる!」
リコが巨大レンチを頭上で振り回して吠える。
「よっしゃ! ほな、オカン・ユニオンの『特大・食物連鎖の底辺作りプロジェクト』の開始や! この空っぽの水槽に、泥臭い命のスープを流し込むでぇぇッ!」
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海底都市の住人たちを巻き込んだ、前代未聞の下水道大改造工事。
無菌で完璧だったドーム都市のインフラシステムは、オカンの手によって、大自然の泥臭い循環サイクルへと強引に組み込まれていったんや。
「おい、白服! そっちのボルトが緩んでるぞ! しっかり締めねえとクソ水が漏れちまうだろうが!」
「わ、分かっている! だがこの悪臭と泥は、私の計算の範疇外なんだ!」
インフラの地下区画では、スラムの荒くれ者と、純白のスーツを泥だらけにしたエリートたちが、鼻をつまみながらも必死になって極太の汚水パイプと格闘しとった。
これまで「汚いもの」をすべて見えないところで機械に処理させてきたエリートたちにとって、生ゴミや排泄物の強烈な悪臭は地獄のような環境や。
やけど、誰もそこから逃げ出そうとはせえへんかった。
自分たちの出した「ゴミ」が、この星の海を再生させる「命の種」になるんやと、彼ら自身が骨の髄まで理解しとったからや。
「ほらほら、泣き言言うてんと手ぇ動かす! おばちゃん特製の『ぬか床バクテリア』、タンクにドバドバ投入するで!」
うちは、パイプ椅子の上に立ち、アイテムボックスから取り出した発酵バクテリアの塊を、巨大なコンポストタンクの中に次々と投げ込んでいった。
人間の生活排水とバクテリアが混ざり合い、発酵の独特な熱気と匂いが地下空間に充満していく。
それは決して綺麗な匂いではないけれど、地球が生きているという、紛れもない『命の匂い』やった。
「静江さん! メインパイプのルート変更、完了しました! タンクの圧力も正常、発酵の数値も完璧に安定しています!」
ミナちゃんが、泥だらけの顔を拭いながら、情報端末を高く掲げて報告してくる。
「おうよ! アタシらの溶接もバッチリだぜ! これでこの街の生活排水は、全部この特大の『命のスープ鍋』を通過して海に流れる仕組みだ!」
リコが、レンチを肩に担いで、汗と油にまみれた顔でニカッと笑う。
「よっしゃ! ほな、海への排出バルブ、全開やぁぁッ!!」
うちの号令とともに、ザックが巨大な赤いレバーを力任せに引き落とした。
ゴボゴボゴボォォォッ!!
重低音とともに、特大のコンポストタンクで発酵した「海の栄養液」が、外の海へ向かって勢いよく吐き出されていく。
うちらは急いでモニター室へと駆け込み、外の海の様子を息を呑んで見守った。
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排出から、数日が経過した。
クリスタルブルーに澄み切っていた死の海に、特製の栄養スープが広がり、少しずつ、少しずつ海の色が変化し始めたんや。
「……静江さん! 見てください! センサーの数値に反応があります!」
ミナちゃんが、震える指でモニターを指差す。
ただの透明な水だった海中に、微細な緑色の粒……無数の『植物プランクトン』が爆発的に発生し、それに引き寄せられるように、動物プランクトンたちがワラワラと湧き出してきたんや。
完全な無菌状態だった海に、ようやく食物連鎖の一番底辺の『土台』が完成した瞬間やった。
「よしっ! 土台ができたんやったら、次はいよいよ『お魚さん』のお出迎えや!」
うちは、アイテムボックスから、以前バラ撒いたのと同じ、大量の『タラコ』や『イクラ』、『子持ちシシャモ』を取り出し、海へと続くハッチから再び豪快に放り込んだ。
「……頼むで。今度こそ、しっかり育つんやで……」
全員が祈るようにモニターを見つめる中。
数日後、プランクトンが豊富に漂う海中で、イクラやシシャモの卵から、小さな、本当に小さな命の粒(稚魚)が、次々と元気よく尾びれを振って泳ぎ出したんや!
小さな稚魚たちは、うちらが作った栄養スープで育ったプランクトンを腹いっぱい食べて、少しずつ、けれど確実に大きくなっていく。
「や、やった……! 卵が孵った! 海に、本物の命が戻ってきたぞ!」
ザックが、モニターに顔を擦り付けるようにして絶叫する。
「アハハハ! すげえ! アタシたちのウンチや生ゴミが、あの魚たちの命になってるんだな!」
リコが腹を抱えて大笑いし、ミナちゃんも「はいっ! これが、本物の生態系のサイクルです!」と歓喜の涙を流しとる。
無菌で死んでいた海が、泥臭い人間の生活と結びつき、ついに『生きた海』として産声を上げたんや。
「……何年も……」
ザックが、稚魚の群れを見つめながら息を呑む。
稚魚が大きな魚になり、サンゴや海藻が育ち、豊かな海が完全に復活するまでには、ここから何年、何十年という途方もない時間がかかる。
「せや。農業で荒野の土作りに三年かけたのと同じや。大自然を怒らせて散らかしたツケは、それくらい泥臭く、気長に向き合わな返されへんのや。……あんたら、明日からも毎日毎日、泥にまみれて海のお世話する覚悟、できとるな?」
うちは特大トングを肩に担ぎ、彼らの顔を順番に見渡した。
「……おうよ! アタシらの海だ、何年でも付き合ってやるぜ!」
「はい! この街の皆で、絶対に綺麗なお魚の海を取り戻してみせます!」
リコとミナちゃん、そしてザックが力強く頷く。
その顔には、結果を急ぐ焦りはもうあらへん。長い時間をかけて大自然と向き合い、自分たちの手で環境を守り続けるという、本物の生活者(親)の顔になっとった。
すぐに結果が出る魔法はない。
命の海を取り戻すための、気が遠くなるほど泥臭く、そして希望に満ちた『果てしない大掃除(再生への数年間)』が、今、静かに幕を開けたんや!




