第308話 空っぽの水槽と、お魚団地の特大の失敗
何百年もメガコーポが垂れ流し続けてきた、死の海のヘドロ。
そのすべてを、うちらの作った『特大浄化泥団子』と、怪物の胃袋を利用した『オカン特製・胃薬爆弾』によって、完全に見事に洗い流したうちら一行。
ドス黒かった海は本来のクリスタルブルーの輝きを取り戻し、巨大な白鯨が気持ちよさそうに海中を泳ぎ回っとる。
海底都市編の最大の目標であった『海の浄化』は、こうして圧倒的な大成功を収めたかに見えた。
……だが。
歓喜に沸く深海用輸送艦の甲板で、うちは綺麗になった海面をジッと見つめ、特大のサングラスを押し上げた。
「……なぁ、ミナちゃん。水はピカピカに綺麗になったんやけど……なんか、えらい物足りへんな」
「物足りない、ですか?」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱えながら不思議そうに首を傾げる。
「せや。水は透き通ってるけど……白鯨ちゃん以外に、なんも泳いでへんやないか! これじゃあ海っちゅうより、ただの『特大のプール』やで! おばちゃんの楽しみにしてた、美味しいお魚さんらがおらへん!」
うちが不満げに特大トングで甲板を叩くと、リコとザックも顔を見合わせた。
「そりゃそうさ姐さん。何百年も猛毒のヘドロが溜まってた海なんだ。生き物なんざ、とっくの昔に死に絶えちまってるよ」
リコが、巨大レンチを肩に担いで肩をすくめる。
「静江さん。水質が正常値に戻ったとはいえ、生態系が自然に回復するまでには、ここから何十年、あるいは何百年という途方もない時間が必要です。……私たちが生きている間に、この海で魚を見ることは不可能です」
ミナちゃんが、絶望的なデータを読み上げて口ごもる。
「アホか! 何百年も待ってられるかいな! 今日の晩御飯のお刺身が食いたい言うとんねん!」
うちはパイプ椅子から勢いよく立ち上がり、アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込んだ。
「自然に増えるんを待ってられへんのなら、うちらの手でこの海に『命の種』を撒いたらええだけのことや!」
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ドサドサドサッ!!
うちが甲板にぶちまけたのは、無限に食材を取り出せるアイテムボックスに溜め込んでいた、大量の『明太子』や『イクラ』、『子持ちシシャモ』。そして、カラカラに乾いた『特大の乾燥ワカメと昆布』の束やった。
「な、なんだよこれ……。魚の卵に、干からびた草……?」
ザックが、新しいプロペラシールドの左腕で頭を掻きながら目を丸くする。
「せや! うちが神様からもろたこの『無限食材』はな、ただ腹を満たすためだけのモンやない。この空っぽの海を再生するための『特大の種籾』なんやわ!」
うちは、タラコとイクラのパックを高々と掲げた。
「この魚の卵たちを、綺麗になった海に放つ! そんで孵化させて、豊かな海の生態系を復活させるんやで!」
「い、いくらなんでも無茶苦茶だぜ姐さん! 食い物の卵をそのまま海に放り投げたって、波に流されるか、白鯨のオヤツになって終わりだ!」
リコが慌ててツッコミを入れる。
「せやから、波に流されへんように、赤ちゃんのお魚が安心して育つための『お家』を作ったらなアカンのや!」
うちは、甲板の隅に積まれていた、先日引き揚げて分別した『特大フィルターの残骸』や『メガコーポの廃材』をビシッと指差した。
「リコ! ザック! あんたらの力で、あの鉄骨やコンクリートの塊を海に沈めて、特大の『人工漁礁(お魚の団地)』を組み上げなはれ! 隠れる場所がなきゃ、魚は絶対に根付かへんわ!」
「お魚の団地……! なるほど、ゴミの残骸を再利用して、魚の棲み処にするんですね!」
ミナちゃんの顔に、パァッと希望の光が宿る。
「おうよ! 廃材の組み立てなら、アタシらジャンク屋の十八番だぜ! ザック、行くぞ!」
「任せとけ! 最高の団地を作ってやる!」
リコとザックが、輸送艦のクレーンとスラスターを駆使して、巨大な鉄骨やコンクリートブロックを次々と海中へと沈め、海底に複雑な立体迷路のような『漁礁』を組み上げていった。
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「よし、団地の枠組みは完成やな! 次は、お部屋の中の『内装』や!」
うちは、カラカラに乾燥した大量のワカメと昆布を抱え、水筒に入れた綺麗な水の中にドバッと浸した。
「ええかミナちゃん! 乾物っちゅうのはな、ただ水に浸けるだけやのうて、ちょっとだけ『ぬるま湯』と『お砂糖』を入れると、細胞がふっくらと生きたみたいに素早く戻るんや!」
オカンの台所の知恵で水戻しされたワカメと昆布は、瞬く間に青々とした瑞々しい姿を取り戻し、まるで海から引き揚げたばかりの生きた海藻のようにツヤツヤと輝き始めた。
「これを、リコたちが沈めた鉄骨の団地にしっかりと縛り付けるんや! お魚さんらが卵を産み付けて、身を隠すための『海中林』にするんやで!」
うちらは潜水服を着込み、海中へダイブして、手作業で一つ一つの海藻を漁礁に結びつけていった。
白鯨も手伝うように、巨大な口で海藻の束をくわえ、海底の岩場に器用に植え付けてくれる。
数時間後。
真っ白だった鉄骨とコンクリートの塊は、青々としたワカメと昆布に覆われ、見事な『海中の森』へと姿を変えとった。
「仕上げや! いよいよ新しい住人(お魚)の引っ越しやで!」
うちは、大切に抱えていたタラコやイクラの卵を、海藻の森の中に優しく、優しく放っていった。
そして、アイテムボックスから、生命力を爆発させる赤色の『イチゴ味』の飴ちゃんをすり鉢で粉々に砕き、栄養剤として海中にパラパラと撒き散らしたんや。
「ほら、おばちゃん特製の栄養サプリや! しっかり食べて、元気な稚魚として孵るんやで!」
イチゴ飴の魔力が海流に乗って広がり、魚卵たちを温かいピンク色の光で包み込んだ。
これで明日には、無数の稚魚が泳ぎ回る、豊かな海が戻ってくるはずや。誰もがそう信じて、その日は眠りについた。
……やけど。
大自然の生態系というものは、おばちゃんの甘い見通しでどうにかなるほど、簡単なもんやなかったんや。
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翌朝。
「……し、静江さん……!! オカン!! 来てください、海が……!!」
ミナちゃんの悲鳴のような声で、うちは飛び起きた。
嫌な予感がして、慌てて甲板に出て輸送艦の窓から海中を見下ろした瞬間。
「……な、なんやこれ……っ!!」
うちの口から、絶望の息が漏れた。
数日前にうちらが作った海藻の森(人工漁礁)。そこには、元気に泳ぎ回る稚魚の姿など一匹もあらへんかった。
それどころか、昨日撒いたはずのイクラやタラコの卵は、すべて白く濁って腐敗し、ドロドロに溶け出している。
さらに、青々としていたはずのワカメや昆布の森も、無惨に茶色く変色し、海流に千切れてボロボロに枯れ果ててしまっとったんや。
「なんでや……! 水はピカピカに綺麗になったはずやろ! なんで卵が死んでまうねん!」
うちは特大トングを床に落とし、ガラス窓にへばりついて絶叫した。
「……ダメです、静江さん。……水質データは正常ですが、この海には『命を育む力』が全くありません」
ミナちゃんが、情報端末の真っ赤なエラー画面を見つめ、ポロポロと涙をこぼした。
「猛毒のヘドロを浄化したことで、確かに水は綺麗になりました。ですが、綺麗になりすぎたんです。……今のこの海は、消毒液で満たされた『無菌のプール』と同じ。魚の赤ちゃんが食べるための『プランクトン(微生物)』も、海藻が育つための『海のミネラル(土壌)』も、何一つ存在していないんです!」
ミナちゃんのド正論の解説が、うちの胸に重く突き刺さった。
「プランクトンが……おらへん……」
「はい。生態系の底辺である微生物がいなければ、いくら卵を撒いても、彼らは栄養失調で孵化する前に死んでしまいます。……大自然のサイクルは、下から順番に積み上げなければ、決して機能しないんです……」
圧倒的な、オカンの大失態や。
水さえ綺麗にすれば、あとは種を蒔けば勝手に育つやろうという、浅はかな思い込み。
農業プラントで土作りの難しさを痛感したはずやのに、海というさらに複雑な環境を、完全に舐めきっとったんや。
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「……くそっ! アタシらが徹夜で組んだお魚の団地が、ただの『お墓』になっちまうなんて……!」
リコが、自分の巨大レンチを甲板に叩きつけて悔しがる。
「……俺たちの力が足りなかった。オカンの種を、無駄にしちまった」
ザックも、枯れ果てた海藻の残骸を見つめて、深く肩を落とした。
絶望的な空気が、輸送艦の甲板を重く包み込む。
白鯨も、死んでしまった卵たちの匂いを感じ取り、悲しそうに低く鳴き声を上げとった。
甲板の隅で、ポンコツのフリをしてうずくまっていたナポが、くすんだレンズの奥で冷徹に、そして計画の失敗を嘲笑うかのようにデータを明滅させとる。
「……」
うちは、崩れ落ちたパイプ椅子を拾い上げ、暗い艦内の中でどっかと腰を下ろした。
誰もが、この海の再生という目標が、人間の手には負えない不可能の領域であると思い知らされ、心を折られかけとった。
(……あかん。焦って上っ面だけ綺麗にしようとした、うちの完全なミスや。……基礎がおろそかなまま建てた家は、絶対に崩れる)
うちは特大のサングラスを外し、両手で顔を覆った。
海を浄化しただけでは終わらない。大自然の生態系を底辺から泥臭く育て直すという、想像を絶する苦戦の道のりが、いよいよその残酷な牙を剥き出しにして、うちらの前に立ち塞がったんや。




