第306話 十万個の泥団子投下と、深海で蠢くヘドロの怪物
上層のエリートたちと下層のスラムの住人たちが、種族や階級の壁を完全に越えて泥だらけになりながら作り上げた、十万個に及ぶ『特大・浄化泥団子』。
第七ドームの広場で一晩かけてしっかりと乾燥させ、内側に浄化のバクテリアを定着させたその黒々とした泥塊たちを、うちら『オカン・ユニオン』は深海用輸送艦にギチギチに積み込み、再びあの『死の海』のド真ん中へとやってきとった。
分厚い防護ガラスの向こうには、メガコーポが何百年もかけて垂れ流してきた、高濃度の魔力廃液と重金属が混ざり合った酸性のヘドロの海が、相変わらずドス黒く渦巻いとる。
「そーれッ! もっと奥の方まで満遍なくばら撒くんだ! 一箇所に固まったら、バクテリアの力が偏っちまうからな!」
ザックが、新しく換装したプロペラシールドの左腕と残された右腕の限界筋力をフル稼働させ、重たい泥団子の詰まった木箱を次々とリフトへと運んでいく。
彼の額からは大粒の汗が流れ落ちとるが、その顔には疲労よりも、自分たちの手で世界を変えるという確かな誇りが満ち溢れとった。
「おうよ! アタシのクレーン操作を舐めんなよ! ミナ、次の投下ポイントの座標を教えな!」
リコが、操舵室で無数のレバーを油まみれの指で器用に操り、輸送艦の底面ハッチから泥団子を効率よく海中へと投下していく。
ボボボボボッ! という重たい音を立てて、大量の泥団子が暗い海底へと沈んでいくのがモニター越しに見えた。
「はい! 現在の海流データと、海底のヘドロの堆積濃度から計算して……次は北北西へ三十メートル進んだポイントが最適です! 泥団子のバクテリア生存率、百パーセントを維持しています!」
ミナちゃんが、情報端末のホログラム画面を素早く叩きながら、的確な指示を飛ばす。
十万個という途方もない数の泥団子が、次々と死の海へと放たれていく。
泥団子の中に仕込まれた『特製コンポスト』の微生物と、毒を吸着する炭の粉末。
それが海底の分厚いヘドロ層に触れた瞬間、ミクロの世界で凄まじい大掃除(分解作業)が開始されたんや。
「……静江さん! 見てください! 外部カメラの映像です!」
ミナちゃんが歓喜に上擦った声を上げ、メインモニターの映像を切り替えた。
そこには、信じられない光景が映し出されとった。
泥団子が着底したポイントを中心に、ドス黒かったヘドロがシュワシュワと白い泡を立てて分解され、濁りきっていた海水が、少しずつ、けれど確実に透明度を取り戻し始めとったんや。
まるで、黒い画用紙の上にポタポタと綺麗な水滴を落として、本来の鮮やかな色を浮き上がらせていくような、劇的な変化やった。
「アハハハ! すげえ! マジで海が綺麗になっていきやがる!」
リコが、操舵レバーから手を離し、巨大レンチを振り回して大喜びする。
「せやろ! 機械のフィルターみたいに一箇所で無理やり濾すんやのうて、広範囲に散らばったバクテリアが、それぞれ自分の周りのゴミを地道に食ってくれるんや! これが『自然の力』っちゅうもんやで!」
うちは、特大トングを肩に担ぎ、徐々に青さを取り戻していく海を見て、満足げに大きく頷いた。
誰もが、この作戦の大成功を確信した。
……やけど。
何百年もかけてメガコーポが溜め込んだ大自然のゴミ箱は、そう簡単に素直に綺麗になってくれるほど、甘いもんやなかったんや。
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「……ん? なんや、あの表示」
うちは、ミナちゃんが持っている情報端末の画面の端に、小さな赤い光が点滅し始めたのを見逃さへんかった。
「えっ……? 赤い光……? そ、そんな……! おかしいです、静江さん!」
ミナちゃんが、血相を変えて情報端末のキーボードを猛烈な速度で叩き始めた。
警告音は鳴っていない。だが、モニターに映し出されたレーダーの波形が、異常なほどの乱高下を繰り返しとる。
「どうしたんだ、ミナ! バクテリアが死んじまったのか!?」
ザックが、木箱を下ろして慌てて駆け寄ってくる。
「違います! 泥団子のバクテリアは正常に活動して、ヘドロを分解しています! ですが……その分解作業によって海底の分厚い毒素の層が剥がされたことで、その奥深くに何百年も沈み込んでいた『未知の巨大な生体反応』が目を覚ましてしまったんです!」
ミナちゃんの悲痛な叫びが、操舵室に響き渡る。
「巨大な生体反応やて!? ゴミの奥に、なんか埋もっとったんか!」
うちが特大のサングラスを押し上げた、その瞬間やった。
ゴゴゴゴゴゴォォォォ……ッ!!!
輸送艦の真下、深い海の底から、まるで巨大な海底火山が爆発したかのような凄まじい地鳴りが響き渡った。
先ほどまで青さを取り戻しかけていた海面が、一瞬にして再びドス黒く濁り、輸送艦を飲み込むほどの巨大な渦潮が巻き起こる。
「うおぉぉぉッ!? 船が、船が引っ張られるぜ!」
リコが必死に操舵輪にしがみつき、姿勢を立て直そうとするが、自然の猛威の前には分厚い装甲の輸送艦すらも、ただの木の葉のように揺さぶられる。
「みんな、掴まりなはれ!」
うちが特大トングを床に突き立てて踏ん張った次の瞬間。
ザッバーーーンッ!!!
凄まじい水飛沫とともに、真っ黒な海面を突き破って『それ』は姿を現した。
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見上げるほど巨大な、ヘドロの化け物やった。
メガコーポの工場から垂れ流された魔力廃液、サビだらけの巨大な鉄骨、そして何百年分もの腐敗した海洋生物の死骸。それらすべての『死の海のごみ』を全身に纏い、ドロドロに融合させたような、おぞましい姿。
輸送艦の分厚い防護ガラス越しでさえ、鼻を突くような強烈な硫黄の匂いと、酸性の有毒ガスが伝わってくるような気がした。
「な、なんだあの化け物は……! 海底のゴミが、一つに集まって生きてるのか!?」
ザックが、プロペラシールドを構えながら、恐怖に顔を引きつらせて絶叫する。
「静江さん! あの怪物の中心から、強烈な苦痛の魔力波長が出ています! あれはただのゴミの塊じゃない……この海を何百年も守ってきた大自然の神霊……『白鯨』の成れの果てです!」
ミナちゃんが、端末の分析結果を見て震える声で叫んだ。
「白鯨やて!? こんなドス黒いヘドロの塊が!?」
うちは、特大のゴミ拾いトングを握り締め、その化け物を真っ向から睨みつけた。
本来なら、神々しい白さで海を泳いでいたはずの伝承の生き物。
それが、メガコーポの連中が際限なく不法投棄を繰り返したせいで、全身に猛毒のヘドロと産業廃棄物がこびりつき、身動きも取れずに海底の底で苦しみ続けていたんや。
そして今日、うちらが投下した泥団子によって、こびりついていたヘドロの一部が剥がれ落ちたことで、長年の激痛が刺激され、パニックを起こして海面まで暴れ出てきてしもうたっちゅうわけや。
『グオォォォォォォォォッ!!!』
ヘドロの化け物……いや、狂乱した白鯨が、鼓膜が破れそうなほどの悲痛な絶叫を上げた。
その巨大な口がパカッと開き、輸送艦を丸飲みしようと、真っ黒な渦を巻き起こしながら突進してくる。
「チィッ! 相手が神様だろうがなんだろうが、やられる前にやるしかねえ! ザック! アタシのレンチと一緒に、あいつの顎をカチ割るぜ!」
リコが操舵をオートに切り替え、巨大レンチを振りかぶって甲板に飛び出そうとする。
「ちょっと待ちなはれ! 武器はしまえ!」
うちは、リコの首根っこを特大トングでガシィッと掴んで強引に引き戻した。
「なんでだよ姐さん! このままじゃ船ごとペシャンコだぜ!」
「アホ! よう見なはれ! あの子は怒ってうちらを攻撃しとるんやない! 全身にこびりついたゴミと毒が痛くて、苦しくて、パニックになっとるだけや! 痛がってる子を棒で殴るオカンがどこにおるんや!」
うちの怒声に、リコとザックがハッとして動きを止める。
せや。あの子は敵やない。この理不尽な世界の、一番の被害者や。
胃袋には有毒な魔力廃液が溜まり、皮膚には酸性のヘドロがベットリと張り付いとる。そら、誰かて暴れ狂いたくなるわ。
「……静江さん! でも、あの巨大な顎が迫ってきています! このままでは本当に飲み込まれてしまいます!」
ミナちゃんが、涙目で叫ぶ。
窓の向こうには、輸送艦をスッポリと覆い隠すほどの、ドス黒いヘドロの顎が迫っとった。
「飲み込まれるんやったら、逆にそれを利用したるわ!」
うちは、アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込み、ニヤリと極悪な笑みを浮かべた。
痛がっている大自然の神様を救うため、そしてこの死の海を完全に浄化するため。
おばちゃん流の『超特大・深海の胃薬大作戦』が、荒れ狂う暴風雨とヘドロの渦の中で、いよいよド派手に幕を開けようとしとったんや!




