第304話 特大フィルターの失敗と、オカン流・浄化の泥団子作戦
特大の炭と牡蠣殻で作った大自然のフィルターが、メガコーポが何百年も垂れ流してきた猛毒ヘドロの圧倒的な質量と酸性の前に目詰まりを起こし、無惨な破裂音とともに決壊してしまった。
ドームの窓越しに見える海は、一瞬だけ取り戻しかけていた透明感を完全に失い、再び吐き気を催すようなドス黒い濁流に飲み込まれ、元の『死の海』へと逆戻りしていく。
数日間、不眠不休で希望を持って作業に取り組んできたミナちゃんは、真っ赤なエラー画面が点滅する情報端末を抱きしめたまま、膝から崩れ落ちた。
「……そんな……。せっかく、綺麗な海を取り戻せると思ったのに……。大自然の汚染は、私たちが考えていたよりずっと、深くて重かったんですね……」
ミナちゃんの目から、絶望の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
リコも、手にしていた巨大レンチを甲板に荒々しく投げ出し、油まみれの顔を歪ませた。
「……ああ、くそっ! アタシらが徹夜で組み上げた特大フィルターが、たった十分でゴミ屑になっちまうなんてな! やっぱり、何百年も溜まった猛毒を、アタシらの手作りのガラクタなんかで一気にどうにかしようなんて、都合が良すぎたのかよ……」
スラムの顔役であるザックも、新しいプロペラシールドの左腕をガシャリと鳴らして深く肩を落とした。
彼らの街のゴミで、この星の海を救える。そう信じていた希望が、圧倒的な物理の壁の前に粉々に打ち砕かれたんや。
「……俺たちの街のゴミで、この海を救えると思ったんだがな。……自然の怒りってやつは、俺たちスラムの喧嘩なんかよりずっと底知れねえぜ……」
圧倒的な大自然の猛威を前に、すっかり心が折れかけている仲間たち。
だが。
「……アハハハハハッ!!」
うちは、暗く沈み切った艦内に響き渡るような、腹の底からの大爆笑を上げた。
「ね、姐さん!? マジでショックで頭がおかしくなっちまったのか!?」
リコがギョッとして顔を上げる。
「アホ! 誰がおかしくなるかいな! あんたら、一回失敗したくらいで何をお通夜みたいな顔しとんねん!」
うちは特大のサングラスを押し上げ、ギラギラとしたネイビーブルーのデコネイルで、モニターに映る真っ黒な海をビシッと指差した。
「ええか! 掃除っちゅうのはな、一回でピカピカになるなんて虫のええ話は絶対にあらへんのや! 換気扇のフィルターかて、一年分の油汚れをいっぺんに吸い込もうとしたら、すぐに目詰まりして破れてまうわ! 失敗したんなら、やり方を変えればええだけのことやろが!」
「やり方を変えるって……でも静江さん、これ以上大きなフィルターを作る資材なんて、もう海底都市には残っていませんよ。……それに、これ以上の失敗は、街の住人たちの心を完全に折ってしまいます」
ミナちゃんが涙目で訴えかけてくる。
「ミナちゃん、あんたはエリートやから『一箇所にデカい機械を作って全部解決する』っていうシステム的な考え方から抜け出せてへんのや。……フィルターが詰まるんなら、網で濾すのはやめや!」
うちはパイプ椅子から立ち上がり、アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込んだ。
「相手は大自然の巨大なゴミ箱や。やったら、機械の力やのうて『大自然の力』で対抗するんがオカンの鉄則やで! これを見なはれ!」
ドサッ!
うちが艦内の床に豪快に放り出したのは、強烈な土の匂いと、少し酸っぱい発酵臭を放つ、黒々とした『特製コンポスト(堆肥)の泥』やった。
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「うおっ!? なんだこの臭ぇ泥は! 姐さん、まさか第七ドームの畑から持ってきてたのか!?」
ザックが鼻をつまんで後ずさる。
「せや! 第七ドームでプラント長のおっちゃんらと一緒に作った、微生物と栄養がたっぷり詰まった究極の発酵泥や! これこそが、死の海を浄化するための『最強の洗剤』になるんやわ!」
「バクテリア……微生物の力ですか?」
ミナちゃんが、情報端末でその泥の成分をスキャンし、目を丸くした。
「そうです! 自然界のヘドロを分解するのは、最終的には微生物の働きです! 高濃度の浄化菌を海に放てば、酸性のヘドロを根本から分解できるかもしれない……! でも静江さん、この泥をそのまま海に撒いても、海流に流されてあっという間に散らばってしまいますよ?」
ミナちゃんのド正論のツッコミに、うちはニヤリと極悪な笑みを浮かべた。
「せやから、流されへんように『重り』をつけて海底に沈めるんや!」
うちはさらにアイテムボックスから大量の『木炭の粉末』を取り出し、コンポストの泥の横にドサッと置いた。
「前世の日本のテレビで見た『川のお掃除特集』でやっとった知恵や! 浄化菌の入った泥に、毒を吸着する炭の粉を混ぜて、野球ボールくらいのカチカチの『泥団子』を作るんや! それを海の底に何万個も投げ込めば、泥団子がヘドロの中に沈んで留まり、そこからじわじわとバクテリアが毒を分解してくれるっちゅう算段やで!」
「……泥団子!!」
リコとザックが、そのあまりにも原始的で泥臭い作戦名に、思わず声を揃えて叫んだ。
「す、すげえ……。フィルターで一気に濾すんじゃなくて、海底のあちこちに『小さな浄化装置(泥団子)』をばら撒いて、時間をかけて大自然の力で分解させるのか……!」
ザックが、震える声で感嘆を漏らす。
「おうよ! アタシらスラムのガキは、泥団子作りならエリートどもに負けねえぜ! 最高に固くて丸いヤツを量産してやろうじゃねえか!」
リコも巨大レンチを放り出し、作業着の袖を捲り上げて再び闘志を燃やす。
「よっしゃ! ほな、方針は決まりや! 一旦海底都市に引き返して、あのエリートどもとスラムの連中を総動員するで! オカン・ユニオン特大『泥遊び大会』の開幕やぁぁッ!」
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数時間後。
海底都市『アクア・エデン』の上層居住区にある巨大な広場は、これまでの歴史上、最もカオスで泥臭い熱気に包まれとった。
「ほらほら! 水分が多すぎたら丸まらへんよ! 炭の粉をしっかり混ぜ込んで、両手でギュッ、ギュッと固く握るんや!」
うちは、拡声魔道具を片手に、広場に集まった数千人の住人たちに向かって怒号を飛ばしとった。
広場には、スラムの住人たちだけやない。かつては無菌室で栄養ペーストだけをすすり、「土」に触れることすら忌み嫌っていた純白のスーツのエリートたちも、今はズボンを捲り上げ、顔に泥をつけながら一生懸命に泥団子を握っとるんや。
「……くそっ! 泥が丸まらない! 計算上は完璧な水分量のはずなのに、すぐにボロボロと崩れてしまう!」
エリートの男が、ポロポロと崩れる泥を前に悪戦苦闘しとる。
「アハハハ! 旦那、頭でっかちになってるぜ! 泥団子ってのはな、手のひらの感覚で水分を微調整するんだよ! ほら、こうやって力を込めて、ギュッと水分を絞り出すように……」
スラムの若者が、隣で笑いながら手本を見せる。
「な、なるほど……! 泥の感触と対話するのだな……! よし、次こそは!」
エリートの男も感心し、泥だらけの若者と一緒に手を動かしとる。
身分の違いも、過去のいざこざも、今は完全に消え去っとった。
あるのはただ、自分たちの街と、この星の海を綺麗にするという一つの目標に向かって、泥にまみれて汗を流す「同じ人間」たちの姿だけや。
「いいぞ、その調子だ! 今日は徹夜で十万個作るぞ! スラムの意地を見せてやれ!」
ザックが、出来上がった泥団子を次々と木箱に並べていく。
「アタシの作った泥団子は、石より硬えぜ! 海の底でバッチリ効くはずだ! ほら坊主ども、どっちが丸くて硬い泥団子を作れるか勝負だ!」
リコも、油と泥で顔を真っ黒にしながら、スラムの子供たちと一緒に笑い合っとる。
「……本当に、信じられない光景です。システムで管理されていたこの都市の住人たちが、自らの意思で泥に触れ、こんなにも活き活きと笑い合っているなんて」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめ、泥だらけの広場を見渡して嬉し涙を浮かべる。
「せやろ! 泥遊びは人間の本能や! 綺麗すぎる環境におったら、心が窮屈になってまう。こうやって、みんなでワイワイ言いながら手ェ動かすんが、一番の『心の浄化』にもなるんやで!」
うちは、泥だらけになって笑い合う住人たちを見て、満足げに大きく頷いた。
「「「オオォォォォォッ!!!」」」
海底都市に響き渡る、泥だらけの住人たちの力強い歓声。
大自然の猛威に対する、オカン流のアナログで泥臭い大反撃。
星の海を再生させるための『十万個の浄化泥団子作戦』が、笑いと汗にまみれながら、いよいよ本格的なクライマックスへと突き進んでいくんや!




