第301話 特大のぼったくり契約と、死の海への宣戦布告
巨大なインフラコアの最深部で、チューブに繋がれたまま自らを「都市の部品」と化していた真のCEO。
彼の心と配管にこびりついていた『ストレスという名のドス黒い水垢』を、オカン流の特製パイプクリーナー(重曹とクエン酸と飴ちゃん)で見事に洗い流したうちら一行。
青白い液体で満たされていた水槽は、今やオレンジとレモンの爽やかな香りが漂う温かいお湯へと変わり、CEOの顔からは冷酷な機械の仮面が完全に剥がれ落ちとった。
「……私は、この都市を効率的に回すことだけが、上に立つ者の責任だと信じていた。……だが、それはただ、私が他人と向き合うことから逃げて、この水槽に引きこもっていただけだったのですね」
びしょ濡れのまま水槽の縁に座り込んだCEOが、自嘲気味に呟く。
その目には、何十年ぶりかの人間らしい温かい涙が滲んどった。
「せや。上に立つもんがガチガチに緊張して引きこもってたら、下で働く人間はもっと息が詰まるわ。……失敗してもええ、無駄があってもええねん。みんなで笑って飯が食えることの方が、よっぽど大事なんやからな」
うちは、アイテムボックスから使い込まれたバスタオルを取り出し、CEOの頭にバサッと被せてやった。
そして、彼の隣にパイプ椅子を広げてどっかと腰を下ろした。
「さてと。親玉の目も覚めたことやし、ここからがほんまの『商談』やで」
うちは特大のサングラスを押し上げ、ギラギラと光る『深海ネイビーブルーのスカジャン』の襟を正した。
アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込み、ドサッと床に広げたのは、分厚い羊皮紙の束……大和郷やこれまでの旅で培った、えげつないほど緻密な『特大の定期購入契約書』や!
「なっ……静江さん、それは……!」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめながら目を丸くする。
「おっ、出たな! オカンの特大ぼったくり営業!」
リコが巨大レンチを肩に担ぎ、ニヤニヤと笑いながら身を乗り出してくる。
ザックも、プロペラシールドの左腕をガシャリと鳴らして、頼もしい用心棒としてうちの後ろに立った。
「社長さん、あんたの会社、今日からうちら『オカン・ユニオン』の完全な下請け……いや、最大のお得意様になってもらうで! あんたらが食べてた味気ない無菌ペーストは全廃や!」
うちは契約書をバシッと叩き、CEOの鼻先に突きつけた。
「その代わりに、うちらがスラムの地下農園で手塩にかけて育てた『特大キノコ』と『極太もやし』、それに地上の荒野から仕入れる新鮮な食材を、毎月定期購入してもらう! お値段は、ペーストの生産コストの『百倍』や!」
「ひゃ、百倍……!?」
CEOが、バスタオルを被ったまま素っ頓狂な声を上げた。
「ボッタクリやと思うか? アホ言いな! 完全オーガニックで、スラムの住人たちが泥水すすって育て上げた『血と汗と命の味』やで! それに、美味い飯を食えば、社員のモチベーションも爆上がりして、結果的に会社の利益も倍増する! これは立派な『先行投資』やろが!」
うちの圧倒的なオカン理論とド正論の波状攻撃。
「……なるほど。確かに、あのペーストが思考を鈍らせていたことは、今の私には痛いほど分かります。……しかし、百倍のコストとなれば、上層の予算をすべてスラムの労働者に還元する形になりますが……」
CEOが少しだけ躊躇する。
そこでうちは、トドメの一撃として、アイテムボックスから焼きたての『特大シイタケのバター醤油焼き』を取り出し、彼の口元に近づけた。
飴ちゃんの魔力が溶け込んだ、あの暴力的なまでに香ばしい匂いが、CEOの鼻腔を直撃する。
「……ゴクリ」
何十年も固形物を口にしていなかったCEOの喉が、本能のままに大きく鳴った。
「これ食うても、まだ高いって言えるんか?」
CEOは震える手でシイタケを受け取り、ガブッと噛み付いた。
ジュワァァァッ!
肉厚なキノコの旨味と、バター醤油の強烈なコクが、彼の枯渇していた味覚細胞を雷のように打ち据える。
「……あ……あぁっ……! な、なんだこれは……! 噛みしめるたびに、命のエネルギーが全身に染み渡っていく……。美味しい……なんて美味しいんだ……!」
CEOは、ボロボロと涙を流しながら、夢中でシイタケを咀嚼し、飲み込んだ。
そして、顔を上げると、憑き物が完全に落ちた清々しい笑顔で、契約書にサインを書き殴ったんや。
「……喜んで、買わせていただきます。この『命の味』に比べれば、百倍の対価など安すぎるくらいだ。今日から海底都市の経済は、あなた方『オカン・ユニオン』を中心に回っていくことでしょう」
商談成立や!
これで、上層のエリートたちがスラムの野菜を買い支えるという、完璧な富の再分配システム(オカン・ユニオン経済圏)が、海底都市に確立されたんや。
「しゃあ! やったぜ姐さん! アタシらのスラムが、この街の一番の稼ぎ頭になったんだ!」
リコが歓喜の声を上げ、ザックとハイタッチを交わす。
「静江さん……本当に、あなたという人は……。たった一つの野菜と契約書で、この都市の理不尽なカースト制度を完全に破壊してしまいましたね」
ミナちゃんが、感動の涙を拭いながら微笑む。
(……驚愕です。武力による制圧ではなく、味覚への直接的なアプローチと経済の掌握によって、敵のトップを完全に傀儡化(パートナー化)してしまうとは。……一切の電子ハッキングを行わず、契約書というアナログな法的束縛と、シイタケという有機物の旨味だけで、メガコーポの意思を上書きしてしまう。……私の計算式では、力で制圧された者は必ず反逆の機会を狙うはずですが、オカンの『旨味と情』で縛られた者は、自ら進んで隷属を受け入れる。……これは、洗脳よりも厄介で、強固な支配システムです。実に恐ろしい)
インフラコアの隅で、ポンコツのフリをしてしゃがみ込んでいたナポが、くすんだレンズの奥で冷徹なデータを記録しとった。
彼自身のハッキング能力すら入り込む余地のない、強引すぎるオカンのビジネスモデルに、彼は底知れない畏怖の念を抱いとった。
「……よし! これでこの街の『中』のお掃除は完了やな!」
うちは特大トングを肩に担ぎ、満足げに大きく伸びをした。
スラムの換気扇から始まり、中層でのゲリラ営業、そして最上層のCEOの更生。
海底都市を根本からホワイト企業に作り替えるという大仕事は、見事な大成功を収めた。
……やけど。
うちが、ふとインフラコアの奥にある分厚い魔鋼ガラスの窓に近づいた、その時やった。
窓の外には、クリスタルブルーの美しいドーム内の海ではなく、ドームの外側に広がる『本当の深海』の景色が広がっとった。
「……なんや、これ」
うちの口から、低い、怒りに満ちた声が漏れた。
窓の外の海は、真っ黒やった。
太陽の光が届かないから暗いんやない。文字通り、ドス黒いヘドロと、得体の知れない産業廃棄物が、雪のように絶え間なく降り注ぎ、海水を完全に汚染しきっとったんや。
「……静江さん。それが、この海底都市の現実です」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめ、暗い顔で窓の外を見つめた。
「ドームの中だけを無菌状態で維持するために、メガコーポは何百年もの間、すべてのゴミと汚水を、濾過することなく外の海へと垂れ流し続けてきました。……その結果、この都市の周囲の海は完全に死に絶え、一切の生命が住めない『死の海』と化してしまったんです」
「死の海、やて?」
うちは特大トングを持つ手に、ギリッと力を込めた。
「自分の部屋の中だけ綺麗にして、出たゴミは全部家の外の道路に不法投棄しとるんと同じやないか! どんだけ自分勝手やねん!」
うちは振り返り、バスタオルを被ったままのCEOを恐ろしい形相で睨みつけた。
CEOはビクッと肩を震わせ、申し訳なさそうに視線を伏せた。
「……おっしゃる通りです。効率を最優先した結果、外の環境は完全に破壊されてしまった。……今更悔やんでも、遅いのですが」
「遅いことあるかいな!!」
うちの腹の底からの怒声が、インフラコアに響き渡った。
「散らかしたもんがあるなら、片付けるのが人間の責任やろが! こんなドス黒い海じゃ、美味しいお魚も採れへんし、気持ちよく泳ぐこともできへんやないか! おばちゃんはな、新鮮な刺身が食いたいねん!」
「さ、刺身……?」
ザックがポカンと口を開ける。
「せや! この海底都市の連中にも、ほんまに美味い海の幸を食わせてやらなアカン! あんたら!」
うちは、パイプ椅子の上に立ち上がり、拡声魔道具を口に当てて、その場にいる全員……リコ、ミナちゃん、ザック、そしてCEOに向かって宣言した。
「部屋の中の掃除は終わった! 次は『お庭(外の海)』の大掃除や! あの真っ黒な死の海を、うちら『オカン・ユニオン』と、この都市の技術を全部結集して、ピカピカの青い海に浄化したるでぇぇッ!」
「海を……浄化する!? 本気かよ姐さん! 相手は自然環境そのものだぜ!」
リコが目を丸くして絶叫する。
「当たり前や! どんなにデカいゴミ箱でも、オカンの知恵と根性があれば絶対に片付くわ! 行くで、みんな! 次の任務は『死の海の大浄化作戦』や!!」
海底都市を実効支配し、富裕層の胃袋を完全に掌握したおばちゃん一行。
その怒涛の大掃除は、ついに都市の枠を飛び越え、環境破壊によって死に絶えた『外の海』そのものを再生させるという、途方もないスケールのエコ・ミッションへと突き進んでいくんや!




