第297話 パニックの無菌居住区と、オカン流・海底都市の合同大掃除
メガコーポのすべてを牛耳る冷酷なCEOが支配していた、海底都市の中央インフラシステム。
その無機質で完璧な制御が、オカンの繰り出した『特大コタツ』という極上の生活感とド正論のお節介によって完全に溶かされ、ついに機能を停止した。
「……ふぅ。これで親玉の説教も終わりやな。システムも止まったし、これでこの街も息がしやすくなるわ」
うちは、ヒョウ柄のパッチワークが施された深海ネイビーブルーのスカジャンを翻し、満足げに特大のゴミ拾いトングを肩に担いだ。
「やりましたね、静江さん! メガコーポの冷たいシステムが、完全に沈黙しました!」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめて、嬉し涙を浮かべながら駆け寄ってくる。
かつてこのタワーで働いていたエリートの彼女にとって、この親玉の陥落は、自分の過去との完全な決別でもあったんや。
「おうよ! オカンのコタツの温もりには、どんな最新鋭のAIだろうが勝てねえってことだな!」
リコも巨大レンチを振り回し、油まみれの顔でニカッと笑う。
「……だが、静江さん。喜んでばかりもいられねえぜ。システムが止まったってことは、上の階層のエリートどもの生活も完全にストップしたってことだ」
スラムの顔役であるザックが、プロペラシールドの左腕をガシャリと鳴らして、天井の方を指差した。
「せやな。あいつら、自分で自分の部屋の掃除もできへんモヤシっ子ばかりやからな。ちょっと様子を見に行ったろか」
うちらは、機能停止した中枢タワーから、エリートたちが暮らす『無菌居住区』へと向かった。
……そして、そこに広がっていたのは、まさに想像を絶する地獄絵図……いや、滑稽な大パニック状態やった。
「あぁっ! 私のスケジュールが! 次に何をすべきか、端末が何も教えてくれない! どうすればいいんだ!」
「配給のペーストが出てこない! このままでは、完璧に計算された私の栄養バランスが崩れてしまう! 死ぬ、飢え死にしてしまうぞ!」
「清掃ドローンが止まっている! 廊下の隅に、目に見えない埃が溜まっているかもしれない! 誰か、早く除菌してくれぇぇッ!」
純白のスーツを着たエリートたちが、頭を抱えて廊下を転げ回り、ある者は壁に頭を打ち付け、ある者は機能停止した清掃ドローンを抱きしめて号泣しとる。
彼らは、AIによって秒単位で行動を管理されることに慣れきっていたため、システムという『親』を失った途端、何もできない幼児のようにパニックを起こしてしもうたんや。
「……なんやこれ。大の大人が揃いも揃って、情けない顔して泣き喚いて。……ほんまに、呆れてものも言えへんわ」
うちは、パイプ椅子をガシャンと広げて、パニックに陥るエリートたちのド真ん中にどっかと腰を下ろした。
そして、アイテムボックスの奥深くに両手を突っ込み、使い込まれたタロットカードを取り出したんや。
「はいはい! そこ退きなはれ! おばちゃんの出張鑑定の時間やで!」
うちが腹の底から怒鳴りつけると、エリートたちがビクッと肩を震わせ、一斉にこちらを振り返った。
「き、貴様は……下層のスラムから入り込んだバグ分子!」
「お前たちがシステムを壊したせいで、我々の完璧な生活が終わってしまったのだ! どうしてくれる!」
エリートの一人が、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして叫ぶ。
「終わったやて? アホか!」
うちは、純白の床の上に、バシッ、バシッと二枚のカードを展開した。
出たのは、『審判(The Judgement)』の正位置と、『ペンタクルの6』の正位置や。
「よう見ときや! 『審判』は過去からの解放と新しいサイクルの始まり。『ペンタクルの6』は、富や知識の公平な分配と助け合いの暗示やな」
うちはカードの絵柄をなぞり、特大のサングラス越しに彼らを真っ向から見据えた。
「あんたら、システムが止まって終わったと思とるかもしれんけど、タロットは『ここからが本当の人間らしい生活のスタートや』って言うとるで!」
「に、人間らしい生活だと……? 馬鹿な、完璧なスケジュールが崩壊したのだ! 我々はもう飢えて死ぬしかない!」
「死ぬかいな! 機械が動かへんのやったら、自分の手ぇ動かして飯作って、自分の足で歩いて掃除したらええだけのことやろが!」
うちはアイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込み、精神を安定させるオレンジ色の『オレンジ味』の飴ちゃんを限界まで大量に引っ張り出した。
「ほら! パニックになっとる脳みそに、糖分補給や!」
うちは、泣き叫ぶエリートたちに向かって、飴ちゃんの雨をバサァァッ! と豪快にばら撒いた。
「んぐっ……!?」
口の中に飛び込んできたオレンジ飴の強烈な甘さと柑橘の香りが、彼らの舌の上で弾ける。
飴の魔力が、パニックで暴走していた彼らの交感神経を強制的にリラックスさせ、極度の不安と恐怖をスゥッと溶かしていった。
「……あ……。甘い……。なんだか、張り詰めていた心が、フッと軽くなっていくような……」
「息が……できる。スケジュールがなくても、私は、息をしている……」
エリートたちが、床にへたり込みながら、ポロポロと大粒の涙を流し始めた。
それは恐怖の涙やない。これまで彼らを縛り付けていた強烈なプレッシャーから解放された、安堵の涙やった。
「せや。システムなんかなくても、人間は生きていけるんや。……でもな、生きていくためには、自分らの生活圏を自分らで綺麗に保たなアカン!」
うちはパイプ椅子から立ち上がり、特大のゴミ拾いトングを肩に担ぎ直した。
「ミナちゃん! ザック! スラムの下層で待機しとる連中全員、この上層エリアに呼び寄せなはれ! 今からこの海底都市全体を巻き込んだ、『超特大・合同大掃除』の始まりやでぇぇッ!」
「「「おおぉぉぉぉぉッ!!」」」
リコやザックたちが力強く応え、スラムの住人たちが次々と上層エリアへと雪崩れ込んできた。
彼らの手には、モップや雑巾、そしてスラムで鍛え上げられた逞しい生活力が握られとる。
「……な、なんだ、この薄汚れた連中は……! スラムのゴミどもが、なぜ我々の神聖な居住区に……!」
エリートの一人が、スラムの住人たちを見て後ずさる。
「ゴミちゃうわ! あんたらのお掃除の『大先輩』や! ほら、ボサッと突っ立ってんと、あんたらも雑巾持ちなはれ!」
うちは、エリートたちの純白のスーツの上に、容赦なく使い古された雑巾をバシッと押し付けた。
「わ、私が、手作業で床を磨くなど……! そんな非効率なこと、私のプライドが……!」
「プライドで床が綺麗になるかいな! 掃除っちゅうのはな、自分で汗かいて、汚れを落として初めて自分の『居場所』になるんや! ほら、四の五の言わずに手ぇ動かす!」
うちの容赦ないオカン怒声に押され、エリートたちは震える手で雑巾を握りしめ、恐る恐る床を拭き始めた。
だが、彼らはこれまで肉体労働など一度もしたことがない。雑巾の絞り方も知らなければ、床を拭く姿勢もへっぴり腰で、全く力が入っとらへんかった。
「チッ、違う! 腕だけで拭こうとするから疲れるんや! もっと腰を入れて、体重を乗せて拭くんやわ!」
「おいおい、エリートの旦那。そんなヤワな拭き方じゃ、一生終わらねえぞ。貸してみな、俺が手本を見せてやる」
スラムの大男が、呆れたように笑いながらエリートの横にしゃがみ込み、力強く床を磨き上げてみせた。
エリートの男は、その無駄のない動きと、見る見るうちに綺麗になっていく大理石の床を見て、驚きに目を見開いた。
「……すごい。システムによる計算など一切ないのに、こんなにも効率的に、しかも綺麗に汚れが落ちていくなんて……」
「へへっ、スラムじゃ自分の身の回りは自分で綺麗にしねえと、すぐにカビや病気にやられちまうからな。これが俺たちの『生活の知恵』ってやつさ。ほら、もう一度やってみな」
スラムの男が雑巾を返すと、エリートの男は小さく「……ありがとう」と呟き、見様見真似で体重を乗せて床を拭き始めた。
今度は、しっかりと床に力が伝わり、黒ずんでいた汚れがスッと落ちていく。
「……落ちた。私の手で、汚れが落ちたぞ……!」
エリートの男の顔に、これまでの冷徹なシステム管理では決して得られなかった、純粋な『達成感』と喜びの笑顔がパッと弾けた。
「ガハハ! ええ顔になっとるやないの!」
うちは、特大トングを杖代わりにして、その光景を満足げに見渡した。
広場のあちこちで、同じような光景が繰り広げられとった。
スラムの住人たちが、モップの掛け方、壁の磨き方、ゴミの分別の仕方を教え、エリートたちが泥だらけになりながらそれを懸命に実践していく。
彼らが着ていた純白のスーツは、すでに泥と水でドロドロに汚れとった。
だが、その表情には、システムに縛られていた頃の青白さはなく、血の通った人間の健康的な赤みが差しとった。
「……静江さん。すごいです。上層のエリートたちと、スラムの人たちが……同じ広場で、笑い合いながら一緒に汗を流しています」
ミナちゃんが、泥だらけの手で顔の汗を拭いながら、感動したように広場を見渡した。
昨日まで、お互いを「冷血な支配者」と「汚らわしいゴミ」として憎み合っていた二つの階層。
それが今、オカンの押し付けた『合同大掃除』という一つの共同作業を通じて、完全に同じ目線に立ち、同じ泥にまみれとるんや。
「せやろ? 掃除っちゅうのはな、ただ部屋を綺麗にするだけやないねん。一緒に汗かいて、一緒に『疲れたなぁ』って笑い合うことで、心の壁まで一緒に拭き取ってくれる最高のコミュニケーションなんやわ」
うちは、満足げに頷き、持っていた特大トングを肩に担ぎ直した。
やがて、数時間に及んだ大掃除が終わりを迎えた。
無菌居住区は、システムが管理していた時よりも、はるかに『生きた輝き』を放ち、ピカピカに磨き上げられとった。
エリートもスラムの住人も、全員が床にへたり込み、荒い息を吐きながらも、自分たちの手で作り上げた『綺麗になった街』を誇らしげに見渡しとった。
「……ふぅ。みんな、ほんまによう頑張ったな! これが、あんたら自身の力で掴み取った『本物の生活』の第一歩やで!」
うちが広場のド真ん中で声を張り上げると、全員から自然と割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
「よっしゃ! 部屋が綺麗になったら、次はお待ちかねの『ご飯』の時間や! 今日は階層なんか関係あらへん! スラムで採れたキノコと、上層の備蓄食料を全部混ぜて、特大の『打ち上げ炊き出し』やでぇぇッ!」
「「「おおぉぉぉぉぉッ!!!」」」
歓喜の叫びが、海底都市のドーム全体にこだまする。
冷徹なシステムに縛られていた住人たちに、自分の手で環境を変える喜びを叩き込んだオカン一行。
理不尽なカーストの壁を完全に破壊し、すべてを一つに繋ぐための『特大の宴会』が、いよいよ最高の笑顔とともに幕を開けようとしとったんや!




