第294話 不眠不休のオフィスフロアと、オカン流・夜鳴きうどんの強制退勤
白亜の無菌エントランスで、AI受付嬢を姑チェックで機能停止させ、防衛システムを水拭きモップがけで完全にショートさせたうちら一行。
水浸しになったエントランスを抜け、メガコーポ本社タワーのさらに上層へ向かう直通エレベーターに乗り込んだ。
「……静江さん。この上の階層は、メガコーポの中枢を担う『メインオフィスフロア』です」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめ、エレベーターの階数表示を見上げながら震える声で呟く。
「中枢ってことは、エリート中のエリートが揃っとるんやな。さぞかし綺麗で快適な部屋で、ふんぞり返って仕事しとるんやろ」
うちが特大のゴミ拾いトングを肩に担いで言うと、ミナちゃんは青ざめた顔で首を横に振った。
「……いいえ。彼らは、ふんぞり返る暇など一秒もありません。メガコーポのシステムを維持するために、二十四時間体制でデータを処理し続ける『生きた演算装置』として酷使されているはずです」
チーン、と無機質な音が鳴り、エレベーターの重厚な扉が開いた。
そこに広がっていたのは、うちらの想像を絶する、異常で狂気に満ちた光景やった。
見渡す限りの広大なオフィスフロア。だが、そこには窓一つなく、昼夜の感覚を麻痺させるような青白い蛍光灯の光だけが、冷たく降り注いどる。
何千、何万というデスクが整然と並び、純白のスーツを着たエリートたちが、モニターに向かって猛烈な速度でキーボードを叩き続けとった。
「な、なんだこいつら……! 気味が悪りぃぜ。アタシらがこんなに派手に乗り込んできたのに、誰一人として振り向きもしねえ!」
巨大レンチを構えたリコが、後ずさりしながら声を上げる。
無理もあらへん。彼らの瞳は完全に焦点が合っておらず、ただモニターの数字だけを追っている。瞬きすらほとんどしていない。
「おい、見ろよオカン。あいつらの腕に刺さってる管……あれはなんだ?」
プロペラシールドを構えたザックが、エリートたちの腕を指差して顔をしかめた。
よく見れば、彼らの腕には透明なチューブが直接刺さっており、そこから緑色や赤色の不気味な液体が、絶え間なく体内に流し込まれとる。
「……あれは、高濃度の栄養剤と、睡眠欲求を強制的に遮断する『覚醒ドラッグ』の混合液です。……彼らは、食事をとる時間すらも無駄だとシステムに判断され、点滴で命を繋ぎながら、倒れるまでタイピングを強要されているんです」
ミナちゃんが、涙声で事実を説明する。
スラムで泥水をすすって生きるより、ずっと残酷で冷たい地獄が、このエリートの頂点には広がっとったんや。
「部品やて? ほんまに腹立つ親玉やな。……ええか! ずっと興奮しとる脳みそを強制的に『オフ(お休みモード)』にするには、小難しいシステムなんか要らんのや!」
うちはパイプ椅子から立ち上がり、アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込んだ。
「リコ、ザック! 防衛ドローンが来たら相手は任せたで! ミナちゃん、あんたはうちの手伝いや!」
「は、はいっ! 何をすればいいですか!?」
「決まっとるやろ! 夜遅くまで残業しとるお父ちゃんに、一番効く『睡眠薬』を作って食わせるんや!」
うちが取り出したのは、特大の『寸胴鍋』と、スラムの地下農園で収穫した極太の『もやし』、そして大和郷の出張鑑定で仕入れていた、極上の『鰹と昆布の合わせ出汁』と『うどんの乾麺』やった。
「夜食の定番! オカン特製『夜鳴きうどん(炭水化物)』やでぇぇッ!!」
うちは、フロアのド真ん中にカセットコンロを並べ、特大の寸胴鍋にたっぷりの水と極上の出汁を放り込んだ。
火にかけると、すぐにグツグツと沸騰し始め、鰹と昆布の暴力的なまでに香ばしく、そして胃袋の底を鷲掴みにするような『和風出汁の匂い』が、青白いオフィスフロアに一気に充満していった。
「……な、なんだ、この匂いは……」
点滴で無理やり覚醒させられ、キーボードを叩き続けていたエリートの一人が、ふと手を止めて鼻をヒクヒクとさせた。
「さらに、醤油とみりんで味を整えて、スラム育ちのシャキシャキもやしと、天かすをたっぷりと乗せるんや! これが、脳みそを強制的にバグらせる究極の飯テロやで!」
うちは茹で上がったうどんを何百ものお椀に取り分け、その上に熱々の出汁をなみなみと注いでいった。
ネギの香りと、天かすの油が溶け出した甘い匂いが広がる。
「さぁさぁ! 残業はおしまいや! 腹が減っては戦はできへんし、眠たくなったら寝るんが人間の基本や! 熱いうちに食いなはれ!」
うちは、ミナちゃんとリコ、ザックに手伝わせ、タイピングの手を止めて呆然としているエリートたちのデスクに、次々と熱々の夜鳴きうどんを無理やりドンッと置いていった。
「わ、私は……システムへのデータ入力を……。こんな未知の有機物を摂取する時間など……」
エリートの男が、震える手でキーボードに戻ろうとする。
だが、その手よりも早く、彼のお腹が「グゥゥゥ〜ッ」と、フロア中に響き渡るほど大きな音を立てて鳴り響いた。
点滴でごまかしていても、彼らの胃袋は完全に空っぽなんや。出汁の匂いが、封じ込められていた生存本能(食欲)を強引に引きずり出したんや。
「四の五の言わんと、一口すすってみぃ! 火傷すなよ!」
うちは男の手に割り箸を握らせ、お椀を口元へと運ばせた。
男は、抗い難い匂いに負け、半ば無意識にうどんを一口、ズルッとすすり込んだ。
「……っ!!」
男の瞳孔が、限界まで見開かれた。
鰹出汁の深い旨味と、醤油の香ばしさ。そして何より、炭水化物の圧倒的な糖質が、覚醒ドラッグで極限まで張り詰めていた彼の脳髄に、直接電気ショックのような安らぎを叩き込んだんや。
「……あ……あぁ……。温かい……。口の中から、身体の芯まで……解けていくようだ……」
男の目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「美味しい……。なんて、優しい味なんだ……。私は、何のためにこんな……冷たい画面ばかりを……」
男は、腕に刺さっていた点滴のチューブを自ら力任せに引き抜き、箸を動かす手を止めることなく、一心不乱にうどんをすすり続けた。
他のエリートたちも同じやった。
次々と点滴を引き抜き、ある者は泣きながら、ある者は笑いながら、熱々のうどんを口に運んでいく。
そして、炭水化物を限界まで摂取し、満腹になった彼らを襲うのは、必然的な『強烈な睡魔』や。
「……なんだか……すごく、眠い……。……もう、休んでも……いいのかな……」
エリートたちは、空になったお椀を抱きしめるようにして、次々とデスクに突っ伏し、スゥスゥと穏やかな寝息を立てて深い眠りに落ちていった。
過労で死ぬ一歩手前だった彼らに、オカンの夜食が「強制的な休息」を与え、命を救ったんや。
『……エラー。生体演算処理部隊の稼働率が、100パーセントから……0パーセントへと急降下……。全システムへのデータ供給が停止しました』
フロアの最奥に設置された巨大なモニターに、メガコーポのすべてを牛耳る冷徹なCEOの顔が映し出された。
その氷のような仮面が、信じられないものを見るようにピクリと歪む。
『……馬鹿な。完璧な覚醒プログラムを投与された彼らが、一斉に睡眠状態に陥るなど、いかなるハッキングを用いても不可能なはずだ。……貴様ら、一体何をした!』
CEOが、モニター越しにギリッと歯を食いしばって叫ぶ。
「……ふぅ。これで全員、強制退勤やな」
うちは、デスクでスヤスヤと眠るエリートたちの背中に、アイテムボックスから取り出した毛布を優しく掛けてやりながら、モニターのCEOを真っ向から睨みつけた。
「ハッキングなんかやないわ! 人間はな、腹が減ったら飯を食うて、お腹いっぱいになったら眠くなるんや! それを機械みたいにコントロールできると思ったら大間違いやで!」
『……野蛮なエラー分子め。私の完璧なシステムを、そのような非論理的な手段で汚染するとは……絶対に許さん』
「許さんで結構や! 従業員に寝る暇も与えへんようなブラック社長には、おばちゃんが直接、特大の労働基準法を叩き込みに行ったらぁ!」
うちは特大のゴミ拾いトングを肩に担ぎ、モニターのCEOに向かってビシッと突きつけた。
「アレン……やない、リコ! ザック! ミナちゃん! みんなしっかり休ませたし、このフロアの掃除は完了や! いよいよ親玉の引きこもっとる最上階へ、カチ込みに行くでぇぇッ!」
「おうよ! 最高の夜食だったぜオカン! これでアタシらも力百倍だ!」
「俺のシールドで、どんな扉でもこじ開けてやる!」
「静江さん、行きましょう! この理不尽なシステムを、完全に終わらせるために!」
仲間たちが武器を構え、力強い声で応える。
メガコーポのすべてを牛耳る冷酷なCEOとの直接対決へ向けて、怒涛のタワー登頂は、いよいよ核心となる最上階へと突き進んでいくんや!
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