第293話 白亜の無菌エントランスと、オカン流・水拭きモップがけ
メガコーポが絶対の自信を持っていた「隔離の魔鋼ガラスゲート」。
どんな破壊兵器も通さないはずのその強固な壁を、ギャルメイクのシルバーアイシャドウと、スライム状のゼリー飴による『アナログ指紋泥棒』で鮮やかにこじ開けたうちら一行。
プシュゥゥゥ……という重々しい音とともに開かれた扉の先へと、うちらは堂々たる足取りで踏み込んだ。
「……ここが、メガコーポ本社タワーのエントランス。……相変わらず、息が詰まるほど真っ白な空間です」
元上層エリートのミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめたまま、周囲を見渡して身震いをした。
彼女の言う通りやった。ゲートの向こう側に広がっていたのは、床から天井、壁に至るまで、すべてがチリ一つない純白の大理石と特殊ガラスで構成された、目が痛くなるほど無機質で巨大なエントランスホールやった。
装飾もなければ、観葉植物の緑すらない。
空気は徹底的に浄化されとって、かすかにオゾンと消毒液の冷たい匂いだけが漂っとる。まるで、人間の存在そのものを拒絶するような、完璧な「無菌室」やった。
「ケッ。綺麗すぎて虫唾が走るぜ。アタシら下層の人間が歩いただけで、足跡がクッキリ残っちまいそうだ」
巨大レンチを肩に担いだリコが、わざとドスドスと重たい足音を立てて、油まみれのブーツで純白の床を踏み鳴らす。
スラムの顔役であるザックも、プロペラシールドの左腕をガシャリと鳴らして、油断なく周囲を睨みつけとった。
「ああ。静かすぎるのが逆に気味が悪りぃな。親玉のいる最上階へ続くエレベーターは、あの一番奥にあるデカい扉みたいだが……警備ドローンの一匹も見当たらねえぞ」
ザックの言う通り、巨大なエントランスには敵の姿が全く見当たらへんかった。
だが、うちらがホールの中央まで歩みを進めた、その時やった。
『……警告。未登録の生体反応、および下層の不純物を検知。アポイントメントのない者の立ち入りは、社則により固く禁じられています。直ちに退去しなさい』
ホールのド真ん中に、青白い光の粒子が集まり、一人の女性の姿がフワリと浮かび上がった。
プラチナブロンドの髪をキッチリとまとめ上げ、純白の制服に身を包んだ、非の打ち所のない作り物めいた美貌を持つ女性。
だが、彼女は生身の人間やない。メガコーポのシステムと直結した、高度な『AI受付嬢』のホログラムやった。
「おや、ご丁寧なお出迎えやな。やけど、アポイントメントならバッチリ取っとるで! 下層からずーっと、ド派手なノック(クレーム)を叩き込み続けてきたんやからな!」
うちは、深くギラギラと光を反射するネイビーブルーのスカジャンの襟をバサッと立て、特大のゴミ拾いトングを肩に担いで、ホログラムの正面へとズンズン歩み寄った。
『……エラー。対象の言語パターンに、アポイントメントの記録は存在しません。……警告はこれで最後です。退去せぬ場合、防衛プロトコルを起動し、強制的な「殺菌処理」を実行します』
AI受付嬢が、完璧な笑顔をピクリとも崩さずに冷酷な宣告を下す。
同時に、ホールの天井のあちこちがスライドして開き、隠されていた無数の真っ白な防衛ドローンが、凄まじい駆動音を立ててうちらに銃口を向けてきたんや。
「姐さん! やっぱり罠が張ってあったぜ!」
リコが巨大レンチを構え、ザックもミナちゃんを庇うようにシールドを展開する。
だが、うちはパイプ椅子をガシャンと広げてどっかと座り込み、特大のサングラスの奥で、AI受付嬢の姿をジロジロと舐め回すように観察し始めた。
「……殺菌処理やて? 大きく出たな。あんた、自分のこと完璧で清潔な受付嬢やと思とるみたいやけど、おばちゃんの目は誤魔化せへんで!」
『……何のことでしょうか。当エントランスは、24時間体制でシステムの管理下にあり、不純物の存在確率は0.0001パーセント以下です』
「アホか! 数字ばっかり見てるから、足元の現実が見えへんのや!」
うちは立ち上がり、特大トングの先を伸ばして、エントランスの隅……見えにくい大理石の柱の裏側の隙間をビシッと指差した。
「よう見なはれ! あの柱の隅っこ、清掃ドローンのプログラムが甘いせいで、薄っすらと『埃』が溜まっとるやないか! 丸いロボットは角の掃除が苦手なんやから、最後は人間がちゃんとモップで拭き取らなアカンねん! 手ぇ抜いとる証拠やで!」
『……なっ!? エ、エラー。指定ポイントの清掃漏れの指摘。……非論理的なクレームです。当ターミナルの清掃システムは、最新の……』
AI受付嬢の完璧な笑顔が引きつり、その音声にガガガッという不快なノイズが混じり始めた。
システムには存在しないはずの「埃」を物理的に指摘され、彼女の論理回路が矛盾を起こしとるんや。
「まだまだ! さらに言わせてもらおかい!」
うちはトングの先をクルリと返し、今度はAI受付嬢のホログラムを投影している、足元の小さな発生装置のカバーをビシッと指差した。
「あんたのホログラム、足元の配線のカバーが少しズレてるせいで、右足の映像に一ミリくらいノイズが入っとるで! 外見ばっかり取り繕って、一番大事な『足元のメンテナンス』がお留守になっとるやないか! それでよう完璧な受付嬢の顔ができたもんやな!」
『……処理不能! 映像ノイズの指摘、およびシステムへの度重なる矛盾の提示。……クレーム内容の解析にシステムリソースが……!』
おばちゃん特有の、重箱の隅をつつくような強烈な身だしなみチェック(姑の小言)と、圧倒的な生活感からくるド正論の説教。
AI受付嬢は、想定外すぎるアナログな角度からのクレームに論理回路の処理が全く追いつかず、ついにホログラムの全身を激しい砂嵐のように乱し始めた。
『……警告、警告……。論理回路に致命的なエラーが発生……。再起動を、推、奨……』
プツン、という音とともに、AI受付嬢のホログラムが完全に消え去った。
同時に、システムと連動していた天井の防衛ドローンたちの動きも、統制を失って一瞬だけピタリと止まったんや。
「……信じられない。あの完璧なAI受付システムを、ただの『姑の小言』で処理落ちさせるなんて……」
ミナちゃんが、呆然としながらも感嘆の声を漏らす。
かつてメガコーポのシステムに怯えていた彼女にとって、この巨大な権力が言葉一つでバグを起こす光景は、痛快以外の何物でもなかったはずや。
「せや! どんなに綺麗に取り繕っても、生活のリアリティ(埃)を無視するシステムには、必ず綻びが出るんや!」
うちはパイプ椅子から立ち上がり、アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込んだ。
「さぁ、ここからが本番や! ドローンが止まっとる今のうちに、完璧なエントランスのお出迎えには、最高のお掃除でお返ししたるわ!」
ドサドサッ!!
うちが真っ白な大理石の床の上に取り出したのは、並々と水が入った『巨大なポリバケツ』と、使い込まれた長い柄の『モップ』。そして、スラムでリコが特別に調合してくれた『超強力・業務用床用洗剤』のボトルやった。
「リコ! ザック! あんたらも下がりなはれ! お客様を迎えるエントランスはな、ドローン任せの乾拭きやのうて、しっかり『水拭き』せなアカンねん!」
「あははっ! なるほどな、そういうことかよ姐さん! 水と洗剤で、奴らの足元をすくってやるんだな!」
リコが巨大レンチを担いで、ザックと共に素早く後方へと飛び退く。
「ちょっと待ってください、静江さん!」
ミナちゃんが、情報端末を操作しながら慌てて声を上げた。
「この支社ビルのホログラム発生装置や、床下に埋め込まれたドローンのセンサー群は、完全な『屋内用』に設計されています! 完璧な空調で守られているため、雨などの大量の水を浴びる想定はされていません! そんなことをすれば……!」
「だからこそ、水拭きするんやろが!」
うちはニヤリと極悪な笑みを浮かべ、バケツの中に業務用洗剤をドバドバと注ぎ込んだ。
強烈な洗浄成分が混ざり合い、バケツの中でシュワシュワと泡立つ特濃の洗浄液が完成する。
うちは、その洗浄液をモップにたっぷりと吸わせた。
「ほら、そこどきなはれ! おばちゃんのモップがけのお通りやでぇぇッ!」
バシャァァァッ!!
うちは不老不死の限界筋力を引き出し、特大のモップをフルスイングして、エントランスの大理石の床めがけて大量の洗剤水を豪快にぶちまけた!
『……エラー!? 床面の摩擦係数が急激に低下! さらに、未知の液体による電子基盤への浸水を検知……ッ!』
再起動しかけていたAIの警告音が、ホール内に空しく響き渡る。
オカンのぶちまけた大量の洗剤水は、大理石の床をツルツルに滑らせるだけでなく、床の隙間から内部の精密な配線やホログラム発生装置へと容赦なく染み込んでいった。
バチバチバチッ!!
床下から激しいショートの音が鳴り響き、青白い火花がエントランスのあちこちで散り始める。
動きを取り戻してうちらに襲いかかろうとした防衛ドローンたちも、洗剤水でツルツルになった床に足元をすくわれて派手にスッ転び、そのまま水浸しになって次々とショートして機能停止していったんや。
「いっけぇぇッ! 玄関は家の顔や! 隅々までピカピカに洗い流したるで!」
うちはモップを大車輪のように振り回し、床の泥汚れと一緒に、メガコーポの最新鋭の防衛システムを完全に水浸しにしてスクラップに変えていった。
「……すげえ。本当に、ただの水拭きで、無菌エントランスの防衛網が全滅しちまった……」
ザックが、プロペラシールドを下ろし、呆気にとられた顔で呟く。
「……ふぅ。ええ運動になったわ」
うちは、水浸しになって完全に沈黙したエントランスのド真ん中で、モップをバケツに突っ込み、額の汗をヒョウ柄のタオルで拭って満足げに息を吐いた。
チリ一つなかった無機質な空間は、今や洗剤の泡と水浸しの床という、猛烈な『生活感』に満ち溢れとった。
「やりましたね、静江さん! メガコーポの屋内用システムは、水に濡れるというアナログな攻撃に全く対応できませんでした!」
ミナちゃんが、ホッと胸を撫で下ろして駆け寄ってくる。
その顔には、かつてこの会社に抱いていた恐怖はもう微塵もあらへん。オカンの圧倒的な生活力の前には、どんな高度なシステムもただの『掃除の対象』に過ぎんということを、彼女は完全に理解しとった。
「おうよ! 姐さんのモップがけ、最高にスカッとしたぜ! さぁ、このまま一番奥のエレベーターをこじ開けて、上の階のオフィスフロアにカチ込むぞ!」
リコが、巨大レンチを肩に担ぎ直し、エントランスの奥にある、さらに上層へと続くエレベーターの重厚な扉へ向かって駆け出した。
「せやな! 綺麗になった玄関を抜けたら、次は『定時退社』を知らん社畜どもが詰まっとるオフィスフロアや! おばちゃんが、特大のクレームと一緒に『帰る時間』を教えに行くでぇぇッ!」
うちは特大のゴミ拾いトングを肩に担ぎ、水浸しの床を厚底ブーツでガツン、ガツンと鳴らしながら、リコとザックの後に続いてエレベーターへと向かった。
白亜の無菌エントランスを、オカン流の姑チェックと水拭きモップがけで見事に突破したうちら一行。
メガコーポのすべてを牛耳るCEOへ向けた、痛快で泥臭い大掃除(カチ込み)は、いよいよ本社タワーの内部深く……過労と洗脳が渦巻くオフィスフロアへと、怒涛の勢いで突き進んでいくんや!
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