第29話 地下の悪臭と、黄金のゴミ袋
グレミオ公爵邸の地下へと続く階段は、冷たく湿った空気が肺にまとわりつくようやった。先を歩くアレンが灯す魔導ランプの光が、壁にへばりつく粘つくような「影」を照らし出す。
「……督察官、ここから先は空気が変わります。単なるカビの匂いじゃない。生き物の、それも悍ましい何かが腐敗しているような……」
「ええねん、アレン。それはな、溜まりに溜まった『隠し事』が発酵して腐ってる匂いや。……エルゼちゃん、準備はええか?」
「はい、静江さん」
エルゼは、父を幽閉した時よりも鋭く、冷徹な支配者の瞳をしていた。彼女は懐から、ルミナ伯爵家の正統なる**『金剛の公印』**を取り出し、行く手を阻もうとする私兵たちの前に突きつけた。
「退きなさい。これは王宮洗浄督察官のガサ入れであり、同時にルミナ領主による正当な調査です。この印に背くことは、王国の法そのものに背くことだと知りなさい!」
エルゼの気迫に押され、私兵たちが道を開ける。もはや彼女は、静江に守られるだけの令嬢やない。自らの権威で道を切り拓く、若き女傑や。
地下最深部の扉を開けた瞬間、強烈な瘴気がうちらを襲った。そこにあったのは、煌びやかな屋敷の地上からは想像もつかんような、禍々しい**『禁忌の祭壇』**。そこには、魔族領から密輸されたであろう「人の生命力を吸い取る呪具」が鎮座しとった。
「……ひっ、な、何をする! それに触れるな!」
奥から飛び出してきたのは、公爵が雇った黒魔術師やった。彼は震える手で杖を掲げ、うちらに向けて黒い雷を放とうとする。
「アレン、今や! 塩、ぶちかましなはれ!」
「承知!」
アレンは腰の袋から、市場で買い叩いたあの『粗塩』を鷲掴みにした。彼は単に投げるんやない。騎士としての集中力を極限まで高め、魔力が爆発する「刹那」を観測して、一点に塩を叩きつけた。
「はぁッ!」
アレンの剛腕によって放たれた塩の塊が、黒い雷を物理的に中和し、魔術師の杖を粉砕した。占術によるタイミングの教示と、アレンの武力の完璧なコンビネーションや。
「な、バカな……ただの塩で、私の秘術が……!?」
「兄ちゃん、あんたな。術がどうこう言う前に、この部屋の『換気扇』どないなっとんねん」
うちは鼻をつまみながら、スカジャンの襟を立てた。
「邪気が溜まるんはな、掃除をサボって風通しを悪くしてるからや。こんなジメジメした地下で呪いなんて編んでるから、あんたの魂までカビだらけになるんやわ。……あー、汚い汚い! 全部まとめてゴミ袋行きや!」
うちはアイテムボックスから、前世で「安売り」の時に大量に仕入れておいた、頑丈な**特大の布袋(ゴミ袋)**を取り出した。
「エルゼちゃん、その公印でこの袋を『証拠品回収袋』として封印しなはれ。……カイル、あんたはこの魔術師を『不法投棄の現行犯』で縛り上げとき!」
うちは、祭壇に置かれた呪具や裏帳簿を、文字通り「ゴミ」を捨てるような手つきで袋に詰め込んでいった。その時、ふと部屋の隅にある古い青銅の鏡が目に入った。霊視を使いすぎたせいか、精神的な疲労がどっと押し寄せ、急に頭の中が真っ白になる。
(……あれ? うちは、なんでこの世界に……。……あ、そうや。今日は特売の……特売の……。……特売の、何やっけ?)
自分の記憶が、霧のように薄れる感覚。鏡に映ったのは、一瞬だけ、自分の精神的な疲れが投影されたような、58歳の本来の自分の姿やった。若々しい肉体とは裏腹に、魂の「年季」が鏡の中で一瞬だけ主張しよったんや。だが、それは物理的な変化やない。ただの、自分にしか見えへん、疲れが見せた幻覚や。
「……静江さん?」
エルゼの声で、うちはハッと我に返った。指先は少し痺れ、頭が重たい。けれど、うちはニカッと笑って袋の口を縛り上げた。
「なんでもないわ。ちょっと知恵熱出そうになっただけや。……さぁ、ゴミ出しの時間やで。アレン、これ運ぶん手伝いや。……いや、待て。こんな重たいもん、ずっと運んでたら日が暮れるわ。……証拠品、全部ここに預かるで!」
うちはパンパンに膨らんだ三つの巨大な「ゴミ袋」に次々と手を触れ、アイテムボックスの中へとスッと吸い込ませていった。これで横槍も入らへんし、安全に王宮まで運べるわ。
公爵邸の地下から出てきたうちらを、月明かりが照らし出していた。物理的な荷物はボックスの中やけど、肩には「仕事をした」っていう心地よい、やけどズッしりとした精神的疲労が乗っとる。
うちは気づいとった。このゴミ袋の中身より、もっと巨大で、もっと臭う「本当の粗大ゴミ」が、王宮のさらに深い場所に潜んでいることを。
「王都の皆さん! 汚いもんは、おばちゃんが全部まとめてゴミ袋に放り込んだげるわ!」
うちはスカジャンの襟を正し、夜の王都を睨みつけた。
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