第285話 無菌エリアの潔癖症と、オカン流・水漏れ救急対応
スラムの顔役であったザックたちを『オカン・ユニオン』の新たな家族として迎え入れ、彼らが牛耳っていた隠しダクトのルートを自由に行き来できるようになったうちら一行。
有機物検知センサーを『オカン流・真空パック』で完璧に欺き、ゲリラ豪雨のように強酸性の廃液が降ってくる排気ダクトを抜けて、ついにメガコーポの中層エリア……『インフラ管理区画』の裏路地へと辿り着いたんや。
「……ふぅ。やっと着いたな。それにしても、ダクトの中と外で、えらい空気の違いやな」
うちは、ゴミ袋で作った即席のレインコートを脱ぎ捨てながら、路地裏の先に見える中層のメインストリートを覗き込んだ。
そこは、カビとヘドロの匂いが充満していたスラムとは、完全に別世界やった。
道にはチリ一つ落ちておらず、壁も床も、まるで手術室のようにピカピカの純白や。
空気は徹底的に浄化されとって、かすかに消毒液とオゾンのような、冷たくて無機質な匂いが漂っとる。
「……ここが、中層のエリート居住区。私がかつて住んでいた世界です」
ミナちゃんが、情報端末を胸に抱きしめ、どこか息苦しそうに自分の腕をさすった。
かつてのトラウマが蘇るのか、彼女の顔色は少し青ざめとる。
「ケッ。虫唾が走るくらい綺麗に磨き上げられた街だぜ。……おい、姐さん。そろそろこのカチカチの真空パック、開けてもいいか?」
リコが、うちが背負ってきた『特大キノコともやしの真空パック』を巨大レンチでコツンと叩いた。
「おう、開けなはれ。せっかくスラムのみんなで育てた極上品や。はよ空気吸わしたって」
「任せな! ジャンク屋特製のカッターで、中身を傷つけずにスパッと切ってやるよ!」
リコが手際よくポリマー袋を切り裂くと、プシュゥゥゥッという音とともに、圧縮されていた空気が一気に戻り、中から立派な特大シイタケと極太もやしが姿を現した。
スラムの土と、オカンの愛情がたっぷり詰まった、むせ返るような生命力の匂いが裏路地に広がる。
「よし! 商品の準備は万端やな。……ザック、表の様子はどうや?」
「……相変わらずだな。エリートどもは、全員が端末の画面しか見てねえ。足元がどれだけ綺麗だろうが、あいつらの目は死んでるぜ」
ザックが、プロペラシールドの左腕をガシャリと鳴らして、路地の外を鋭く観察しながら吐き捨てる。
彼の言う通り、メインストリートを行き交うエリートたちの顔は、純白のスーツとは裏腹に、土気色で、目の下にはひどいクマができとった。
彼らは、上層の富裕層たちのために、この都市の水や空気を寝ずに管理させられとるんや。
「……あいつら、自分らが一番偉いと思とるんやろうけど、やってることはシステムに縛られた奴隷と同じやな。……まさに、最高のターゲット(見込み客)や!」
うちは特大のサングラスを押し上げ、目を光らせた。
そして、ひときわ顔色が悪く、フラフラと千鳥足で歩いているエリート風の若い男の前に、ズンッと立ちはだかった。
「おーい! そこのお疲れの兄ちゃん! ちょっと待ちなはれ!」
「……ひっ!? な、何だ君たちは! 私は第4浄水プラントの点検に向かわなければならない。スケジュールが遅延してしまう、邪魔をしないでくれたまえ!」
男が神経質そうに眼鏡を押し上げ、怯えたように早口でまくし立てる。
その顔には、一秒の遅れが自分の評価を下げるという、強迫観念に近い恐怖が張り付いとった。
「まぁまぁ、そんなカチカチにならんと! あんた、毎日味気ないペーストばっかり食うて、胃も心もすり減っとるんやろ? おばちゃんが、スラムの暗闇で精魂込めて育てた『本物の極上野菜』を持ってきたったで! これ食うて、元気出しなはれ!」
うちは風呂敷をバサッと広げ、肉厚でプリップリの特大シイタケと、真っ白なもやしの束を、男の目の前にズイッと突き出した。
「さぁ! 初回は特別に試食無料や! 遠慮せんと匂い嗅いでみぃ!」
……その瞬間やった。
「ひぃぃぃぃぃッ!?」
男は、シイタケを見るなり顔面を蒼白にさせ、悲鳴を上げて数メートルも後ずさったんや。
「き、菌類だと!? それに、土のついた不衛生な有機物……! そ、そんな恐ろしいものを私に近づけるな! 無菌コーティングのスーツが汚染されてしまう!」
男は、まるで凶悪な爆弾でも突きつけられたかのようにパニックを起こし、そのまま脱兎のごとく逃げ去ってしもうた。
「……なんやあいつ。えらい失礼な奴やな」
うちは、差し出したシイタケを持ったまま、呆れて首を傾げた。
スラムの連中や荒野のアウトランダーたちは、この極上野菜を見て泣いて喜んだ。過酷な環境で『本物の味』に飢えとったからや。
……やけど、この無菌室のような中層で、徹底的に衛生管理されて育ったエリートたちには、その常識が全く通用せえへんかったんや。
「……なるほどな。土から生えた野菜は、あいつらにとってはただの『バイ菌の塊』っちゅうわけか」
うちは、風呂敷を閉じながら、自分の「浅はかさ」を猛烈に反省した。
赤ちゃんにいきなり極厚のステーキを食わせようとしても、胃腸が受け付けへんのと同じや。
『美味いから食ってみろ』というおばちゃんの押し売り(お節介)だけでは、何世代にもわたって築き上げられた「衛生観念の壁」は、到底越えられへんかったんや。
「……ちくしょう。せっかくスラムの皆で育てた極上のキノコなのに。これじゃあ、中層の連中から金を巻き上げるどころか、商売にすらなんねえぜ」
リコが、巨大レンチで路地裏の壁をドンッと叩き、忌々しそうに舌打ちをした。
「俺たちの泥臭い努力は、この綺麗な街の連中にはただのゴミに見えるってことか……」
ザックも、悔しそうに拳を握り締める。
「焦ったらアカン、二人とも」
うちは、パンッと両頬を叩いて気合を入れ直した。
「商売の基本はな、客の『ニーズ(お困りごと)』を見極めることや。あいつらが野菜を欲しがってへんのなら、野菜の話は一旦横に置いといたらええ。……まずは、あいつらが今、何に一番困っとるんかを探るんや」
「困ってること……?」
ミナちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
「せや。あんな目の下に特大のクマ作って、フラフラになりながら歩いとるんやで。システムに守られて完璧なフリしとるけど、絶対にどこかで『無理』が出とるはずやわ」
うちがそう言って、再び大通りの様子を窺おうとした、まさにその時やった。
ブォォォォン……!! ガコンッ、バギギギギッ!!
中層エリアのさらに奥、巨大なパイプが入り組んだインフラ施設の方角から、地響きのような異音と、金属が激しく軋むような恐ろしい音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
「第4浄水プラントの方向からです!」
ミナちゃんが、情報端末の画面を見て青ざめる。
大通りを歩いていたエリートたちも、一斉に顔を見合わせてざわめき始めた。
先ほど、うちのシイタケを拒絶して逃げていった男の端末に、緊急のアラートがけたたましく鳴り響いているのが見えた。
「……ば、馬鹿な! 第4浄水プラントのメインパイプから、異常な水圧の上昇を検知!? バルブが破損し、大量の海水と汚水が居住区に向かって逆流してきているだと!?」
男が、血の気を失った顔で絶叫した。
その言葉に、中層のメインストリートは一瞬にして阿鼻叫喚のパニックに陥った。
チリ一つない無菌の生活に依存しきっていた彼らにとって、汚水が逆流してくるというのは、まさに世界の終わりを意味する大災害や。
「ひぃぃぃッ! 汚水が……! 私の純白のスーツが汚れてしまう!」
「誰か、早くメンテナンス部隊を呼べ! システムはどうなっているんだ!」
エリートたちは右往左往するばかりで、誰一人として自ら事態を解決しようとはせえへん。
システムに守られて生きる彼らには、想定外のトラブルに対処する『生活力(泥臭さ)』が完全に欠如しとるんや。
「……ほら、見なはれ」
うちは特大のゴミ拾いトングを肩に担ぎ、パニックに陥るエリートたちに向かってニヤリと極悪な笑みを浮かべた。
「綺麗事ばっかり並べて、見えない地下の配管のメンテナンス(掃除)をサボっとったツケが回ってきたんやわ」
「姐さん! アタシらの出番ってことか!」
リコが、巨大レンチを肩に担ぎ直して目を輝かせる。
「せや! 野菜が売れへんのなら、こっちから『水回りの緊急修理(お掃除)』を売り込んだらええだけのことや! 困ってるお客さんを助けて、特大の恩(請求書)を叩きつけたるでぇぇッ!」
「「「おおぉぉぉぉぉッ!!!」」」
スラムで鍛え上げられた泥臭いオカン・ユニオンの面々が、力強い雄叫びを上げる。
完璧な無菌室の住人たちに、強烈な「アナログの力」を見せつける絶好のチャンス。
大失敗に終わったゲリラ営業やが、この水漏れ騒動をきっかけに、エリートたちの頑なな無菌信仰に、特大の風穴が空き始めようとしとったんや!
読んでくれてありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」「応援したい!」と思っていただけたら、
作品ページ上部の【☆評価】【ブックマーク】、そして【リアクション】ボタンをポチッと押していただけるととても励みになります!
みなさんの応援が、次回更新の原動力になります。
引き続きよろしくお願いします!




